伊与田光男

資生堂・元取締役社長

Iyoda Mitsuo(敬称略)

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社長就任 1953年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学理学部化学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1920年に入社し、東京帝国大学の大学院で研究を続けながら資生堂の一員となった。化粧品の中身を扱う化学の出であり、販売や宣伝ではなく製品そのものから経歴を始めている。1930年に取締役、のちに専務取締役へ上がり、1953年に社長へ就任した。創業家の福原家からでも外部からでもなく、社内で育った技術者が指名された最初の代にあたる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1953年、松本昇氏の後任として社長に就任した。就任年度の1953年11月期は売上高29億8300万円、営業利益1億8000万円である。上場から4年、1955年時点の販売会社は73社、契約チェインストアは約8000店、セールスメンバーは約10万店を数えた。売る仕組みが行き渡った先で、作る側を強める人選だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

1954年6月に資本金を3億円とし、同年度の売上は40億7000万円へ伸びた。1955年時点で扱う品目は化粧品267、石鹸・歯磨48に達している。1956年には東京・渋谷へ東洋最大の資生堂美容室を出店し、店頭で美容を教える場を広げた。1957年6月には台湾資生堂を設立し、翌年4月から現地での製造を開始している。1958年11月期の売上高は100億5100万円で、就任時の3倍を超えた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1953〜1958年
在任中の業績
就任前(FY52)30億円
退任時-
変化-
就任前(FY52)6.0%
退任時-
変化-

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