メガブランド戦略とTSUBAKIへの集中投資

分散した約100ブランドから、資生堂はなぜ一つのシャンプーへ宣伝費を集中させたのか

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時期 2006年3月
意思決定者 前田新造 資生堂 社長
論点 ブランド投資の集中と資源配分
概要
2006年3月、資生堂が前田新造社長のメガブランド戦略のもと、ヘアケアの新ブランド「TSUBAKI」に発売初年度で50億円を超える宣伝費を集中投下した経営判断。約100に膨らんでいたブランドを少数の基軸ブランドへ絞り込み、一つのブランドへ資源を集める配分へ組み替えた。TSUBAKIは発売直後にヘアケアで首位へ立ち、2001年のブランド集約に続く「選択と集中」を実行に移した。
背景
資生堂は2001年からのブランド集約で赤字を脱したものの国内化粧品の成長は鈍く、2005年3月期には連結最終損益が88億円の赤字へ転じていた。約100のブランドへ宣伝費を薄く配る売り方では一つひとつが市場で埋もれ、投資効率も低いままであった。2005年に就いた前田新造社長は、勝てる少数の基軸ブランドへ資源を集める必要をみていた。
内容
前田新造社長は、各カテゴリーで首位を狙える少数の基軸ブランドへ絞り込む「メガブランド」戦略を掲げ、その象徴としてヘアケアにTSUBAKIを投入した。発売初年度に50億円を超える宣伝費を一つのブランドへ配分し、複数の女優を起用した広告を集中的に投じた。目先の利益ではなく先行投資の製品ととらえ、3年目以降の黒字化を見込む構えであった。
含意
TSUBAKIは発売直後にヘアケアでトップシェアを取り、資生堂はシャンプーのメーカー別シェアで4位から首位へ立った。売上は初年度に計画を1.8倍上回り、連結業績も2006年3月期以降の黒字回復につながった。数を絞って一点へ投資を集める型は以後の資生堂の基調となり、高価格帯への集中やパーソナルケア事業の売却(2021年)へ延伸した。
筆者の見解

集中という戦略の切れ味と危うさ

この判断の意味は、2001年の集約から一歩進めた点にあった。約100に膨らんだブランドを絞る決断が「増やす」から「減らす」への転換であったとすれば、TSUBAKIへの大型投入は、絞ったうえで一点に賭けるという、より踏み込んだ実行であったとみることができる。一つのシャンプーに50億円を超える宣伝費を投じる大胆さは、資源を薄く広く配ってきた資生堂の売り方への、明確な決別でもあった。数を競う発想から、勝てるブランドへ集めて育てる発想への切り替えが、初年度の成果によって裏づけられたといえる。

もっとも、集中には裏面もある。広告費を一点へ集める手法は短期に市場を席巻した反面、発売から一年ほどで店頭の値崩れも広がり、話題性に頼るブランドの持続力という問いも残した。少数への集中がもたらす効率は、その少数が当たり続けるかぎりで成り立つ。以後の資生堂が高価格帯や中国市場への集中を強め、やがてその集中ゆえの脆さに直面していく道筋を思うとき、TSUBAKIの成功は、集中という戦略の切れ味と危うさを同時に映し出していたとみることもできる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

集約後も残る分散と、伸び悩む国内市場

資生堂は2001年からのブランド集約とチェーン店再生でいったん赤字を脱したものの、国内化粧品の成長は鈍いままであった。連結最終損益は2003年3月期に黒字へ戻したあと、2005年3月期には経常段階で306億円の黒字を確保しながら最終損益が88億円の赤字へ転じ、売上高も6398億円で伸び悩んでいた。約100に膨らんだブランドを絞る方針は打ち出されていたものの、限られた宣伝費を薄く配ったままでは、一つひとつのブランドが市場で埋もれてしまう。国内首位を守りつつ次の成長へ踏み込むには、資源の集め方そのものを組み替える必要があった[1]

メガブランド構想の始動

病巣は、依然としてブランドの分散にあった。2005年に社長へ就いた前田新造氏は、100を超えて乱立したブランドを統廃合し、資生堂が手がける各カテゴリーでそれぞれ首位を狙える少数の基軸ブランドへ絞り込む「メガブランド」の構想を掲げた。数を競って新製品を投入する従来の売り方から、勝てるブランドへ人と広告費を集める売り方への転換である。スキンケアやメイクアップと並び、その最初の試金石とされたのが、花王やP&G、ユニリーバといった日用品大手がしのぎを削るヘアケア市場への大型投入であった。ヘアケアは、シャンプーやコンディショナーを反復して買う日用品の市場であり、スキンケアやメイクを得意としてきた資生堂には手薄で、逆に一気に押し込む余地の残る領域でもあった[2]

決断

TSUBAKIへの50億円集中

2006年3月、資生堂はヘアケアの新ブランド「TSUBAKI」を全国へ投入した。際立っていたのは、その宣伝の規模であった。同社はTSUBAKIの発売初年度に50億円を超える宣伝予算を一つのブランドへ配分し、複数の女優を起用したテレビ広告を集中的に投じた。赤を基調とした売り場で一斉に売り出す手法は、それまで数多くのブランドへ薄く分散させてきた広告投資を、一点へ集める発想の表れであった。巨額の宣伝費と豪華な女優陣を束ねたこのプレミアムシャンプーは、発売とともにヘアケア市場を席巻していった[3][4]

先行投資として賭ける

投資の考え方も、従来と違っていた。前田新造社長は、TSUBAKIを目先の利益ではなく先行投資の製品ととらえ、3年目以降に利益が出ればよいとの構えで、初年度から巨額の宣伝費を投じた。少数のブランドへ資源を集めれば、一つあたりの投下額が厚くなり、店頭での存在感と認知を一気に高められる——数を絞ることと投資を集めることを一体で進める点に、メガブランド戦略の勘所があった。初年度の赤字を覚悟してでも先に認知を固めるこの構えは、四半期ごとの採算を優先しがちな消費財の宣伝とは異なる発想であった。乱売と多品種で薄く広がっていた資生堂の売り方を、勝てる少数へ賭ける売り方へ組み替える判断であった[5]

結果

ヘアケア首位と、集中投資の果実

賭けは、短期で報われた。TSUBAKIは発売直後からヘアケア市場でトップシェアを取り、資生堂はシャンプー分野のメーカー別シェアで、それまでの4位から一気に首位へ立った。日用品の大手が競う市場で、化粧品メーカーが新ブランド一本で頂点に立った意味は小さくない。売上も初年度から伸び、当初の計画を1.8倍上回る水準に達した。先行投資として3年目以降の黒字化を見込んでいたブランドが、初年度から利益を出したことは、資源の集中が販売とマーケティング効率を同時に押し上げ得ることを示していた[6][7]

黒字回復と、集中への延伸

一つのブランドの成功は、会社全体の数字にも表れた。連結最終損益は2005年3月期の88億円の赤字から、2006年3月期に144億円、2007年3月期に252億円の黒字へと回復し、売上高も2007年3月期には6945億円へ伸びた。TSUBAKIで確かめた「少数のブランドへ資源を集める」型は、その後の資生堂の投資の基調となる。前田新造氏に続く経営陣は、この考え方を高価格帯(プレステージ)への集中へと延ばし、のちにマス市場向けのパーソナルケア事業を手放す2021年の売却や、魚谷雅彦社長のもとでのブランド再編へとつながっていった[8]

出典・参考