医薬分業という一つの理念から出発した薬局が、化粧品メーカーへ姿を変えていった道筋は、創業判断の帰結として振り返るに値する。医薬品の成分管理という薬局の強みが、練歯磨や化粧水という消費財の品質差別化へと移し替えられた。社名に掲げた"万物資生"の四字が、薬学と美という異なる領域を一社のうちに結ぶ言葉として働いていたと思われる。
銀座という街の只中に置かれた立地は、後年の商標"花椿"やチェインストア制度といった、流通とブランドをめぐる一連の判断の土台となった。薬剤師の職能を掲げて福原有信氏が開いた民間薬局が、一世紀を超えて化粧品のグローバル企業へと連なっていく。その最初の一歩に、事業の形を長く規定する選択が含まれていたといえる。