地面師詐欺事件の責任をめぐる取締役会の内紛と会長・社長の交代
約55億円の被害の責任は誰にあるか——会長による社長解任が、社長の逆転劇に転じた取締役会
更新:
- 概要
- 2017年に地面師グループから約55億円をだまし取られた詐欺事件の責任をめぐり、2018年1月24日の取締役会で和田勇会長(当時)が阿部俊則社長(同)の解任動議を提出したところ、逆に和田会長が辞任へ追い込まれ、阿部社長が会長へ昇格した。事件の責任配分と経営体制をめぐる取締役会内の内紛である。
- 背景
- 品川区五反田の一等地取引で、積水ハウスは地主になりすました地面師に約55億円をだまし取られた。社長決裁を先に得る「事後回付」で稟議が進み、社内外の警告も握りつぶされていた。社外役員でつくる調査対策委員会は、その経緯と責任を記した調査報告書をまとめた。
- 内容
- 報告書を受領した取締役会で、和田会長は国内事業を統括した阿部社長の引責を求めた。だが票を固めた阿部社長側が動議を5対5で否決させ、続いて議長交代と和田会長の解任へと逆転させた。会社は15ページの報告書のうち2ページ半のみを公表し、本文を封印した。
- 含意
- 取引に関与した形跡のない会長が退き、真っ先に稟議へ判を押した社長が現体制を率いた。株主代表訴訟で報告書の提出を命じられ、和田前会長は2020年に取締役刷新の株主提案を起こしたが否決された。機関が整うことと機能することの違いが露呈した一件であった。
機関設計と、それが働くこと
この一件が投げかけるのは、詐欺被害そのものより、被害のあとに露呈した統治の姿であったといえる。取引に関与した形跡のない会長が退き、稟議書へ真っ先に判を押した社長が会長に昇格して現体制を率いる——責任の重い者が残り、軽い者が去るという逆転が、取締役会という機関の内側で起きた。第三者の目を入れるために設けたはずの調査報告書は、その第三者性ゆえに封じられ、株主の手が届かないところへ置かれた。機関設計が整っていることと、それが働くことは別だという事実が、ここには表れている。
もっとも、株主総会は現経営陣を選び直した。好調な業績が、統治への疑義を上回った結果ともみることができる。だが被害額の大半はなお回収されず、報告書が問うた「上位者になるほど重い」責任の帰属は、明確な形をとらないまま残された。危機が去ったのちに、会社が自らの失敗をどこまで自らの言葉で語れるか——地面師事件は、被害の大きさ以上に、その問いの重さを積水ハウスに残したとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
史上最大級の地面師詐欺
2017年、積水ハウスは東京・品川区西五反田の一等地をめぐる取引で、地主になりすました「地面師」グループに約55億円をだまし取られた。舞台となったのは、JR山手線・五反田駅から徒歩3分、約2000平方メートルの敷地に廃業した老舗旅館「海喜館」が立つ、不動産業界では垂涎の物件であった。同社は手付金を含め計63億円を支払い、その直後に取引が詐欺と判明した。不動産を専業とする一部上場企業が被った、史上最大級の地面師被害であった[1]。
事件後、公認会計士や弁護士を含む社外監査役・取締役4名でつくる調査対策委員会が、数カ月をかけて調査報告書をまとめ、2018年1月24日の取締役会に提出した。報告書は、偽の女将が本人確認の場で誕生日や住所を書き間違えても見抜けず、社内外から届いた警告や複数通の内容証明郵便を「怪文書の類」と一蹴した経緯を、克明に記していた。事件が手口の巧妙さだけでなく積水ハウス側の落ち度によっても起きたことを、報告書自身が指弾していた[2]。
稟議に判を押した経営陣
積水ハウスでは10億円以上の取引に役員級の決裁を要し、本来は稲垣士郎副社長ら決裁権者4名の審査を経たうえで、最後に阿部俊則社長(いずれも当時)が捺印する手順であった。ところが本件では、回議者の審査に先立って社長決裁を得る「事後回付」がとられた。阿部社長は稟議の起案当日に現地を視察し、その2日後、4名を飛び越えて先に稟議書へ判を押した。当時を知る関係者は、これで案件が「トップのお墨付き」となり、下位の役員が口を挟めなくなったと悔やんだ[3]。
社内に警告がなかったわけではない。子会社の松吉三郎社長は、手付金が地主にわずかしか渡っていないとの情報を得て不動産部長へ伝えたが、担当本部長は「売主の本人確認はできている」と一蹴し、検討されないまま握りつぶされた。決済当日の2017年6月1日、測量に向かった作業員が警察官の同行を求められる異常事態が起きてもなお、積水ハウスは手続きを止めず、49億円分の預金小切手を相手に手渡した。報告書はこの責任について「上位者になるほど重い」と結んでいた[4]。
決断
2018年1月の取締役会
事件の責任を誰がとるのか——その決着は、2018年1月24日の取締役会に持ち越された。調査報告書を受領した和田勇会長(当時)は、国内事業を統括してきた阿部俊則社長(同)の責任を重くみて、解任動議を提出した。和田会長は取締役会の前夜、賛同する取締役とともに解任動議に賛成する挙手の練習までしていたという。会社は後にこの日の人事を「ガバナンス体制の刷新と経営陣の若返りが目的で、詐欺事件とは関係がない」と説明したが、実際には会長と社長が正面から衝突する場であった[5]。
だが番狂わせが起きた。和田会長の動きを事前に察知した阿部社長が水面下で票を固め、練習に加わっていた取締役2名が阿部支持へ回った。解任動議は当事者を除く取締役10名で採決され、5対5の賛否同数で否決される。退室から戻った阿部社長はただちに反撃し、議長を稲垣士郎副社長へ交代させる動議を6対5で可決させたうえで、和田会長の解任動議へと転じた。勝負ありとみた議長が退任を促し、和田会長は失意のうちに辞任へ追い込まれた。空席の会長には阿部社長が就き、仲井嘉浩取締役が社長へ昇格した[6]。
封印された調査報告書
内紛のもう一方の焦点は、調査報告書の扱いであった。社外役員らがまとめた15ページの報告書に対し、積水ハウスが2018年3月に公表したのは、事件の概要と再発防止策に触れる2ページ半のリリースだけであった。「捜査上の機密保持への配慮」を理由に、それ以上の開示を経営陣は拒んだ。公表を免れた本文には、「いつ」「誰が」を含む具体的な経緯と、経営陣の責任への言及が記されていた。事件当時の代表取締役は、いずれも五反田の稟議書に判を押した当事者であった[7]。
封印は訴訟へ発展した。個人株主が2018年、阿部会長と稲垣士郎副会長(いずれも当時)らの責任を問い、被害額約55億円の会社への支払いを求める株主代表訴訟を起こす。原告が報告書の提出を申し立てると、大阪地裁は2019年4月に提出を命じ、積水ハウスは即時抗告したものの、大阪高裁は「外部に開示することが予定されていなかった文書であると断定することは困難」として抗告を棄却した。同社はなお閲覧制限を求めたが、2019年11月1日に大阪地裁はこれも却下した。会社が開示を拒むほど、傷はかえって深くなるとみられた[8]。
結果
和田前会長の反旗と株主提案の否決
解任から2年後、内紛は株主総会の場へ持ち込まれた。和田勇前会長は2020年2月、自らを含む社内取締役4名と独立社外取締役7名、計11名の選任を求める株主提案を発表した。現経営陣は地面師事件の責任を明らかにせず、調査報告書の開示を拒み、阿部氏の解職を求めた人事・報酬諮問委員会の答申も無視していると批判し、社外取締役が過半を占める「新しい積水ハウス」を掲げた。前会長が現経営陣へ公然と反旗を翻す、異例の展開であった[9]。
しかし2020年4月23日の定時株主総会で、和田前会長の株主提案は否決された。阿部俊則会長と仲井嘉浩社長ら会社側の取締役候補が再任される一方、前会長側の11名は一人も選ばれず、事実上の惨敗に終わった。過去最高益を背景に業績の堅調さを訴えた現経営陣が、株主の支持をつなぎ留めた形であった。地面師詐欺という外部からの被害に端を発した統治の内紛は、被害額の回収や責任の所在を残したまま、現体制の続投という決着をみた[10][11]。
- 週刊東洋経済 2019年10月19日号「積水ハウス地面師事件 『封印された報告書』の全貌」
- 週刊東洋経済 2019年10月19日号「事件の責任はいずこに 取引を承認した役員が経営を担う“怪”」
- 週刊東洋経済 2019年11月16日号「積水ハウス地面師事件 『調査報告書』封印の限界」
- 週刊東洋経済 2020年3月7日号「積水ハウス前会長が『反旗』 くすぶる地面師事件の余波」
- 日本経済新聞(2020年4月23日)「積水ハウス、総会で阿部会長を再任 和田氏の提案否決」
- 積水ハウス 有価証券報告書(2018年1月期・連結)