高島屋総会屋への利益供与と、株主代表訴訟を全面的に受け入れた和解

争う構えを見せていた新旧役員は、なぜ賠償と株主総会の公開を一度に呑んだのか

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時期 1996年8月
意思決定者(推定) 田中辰郎 高島屋 社長
論点 総会屋との関係の清算とガバナンスの立て直し
概要
1997年4月21日、総会屋への利益供与をめぐって新旧役員が訴えられていた株主代表訴訟が和解で決着した。1994年と1995年の株主総会対策費1億6000万円に使途不明金課税分1000万円を加えた計1億7000万円を、日高啓前社長や田中辰郎社長ら新旧役員九人が連帯して支払い、あわせて以後の株主総会を報道機関へ公開することを約束した。
背景
高島屋は商法違反事件に問われ、1996年8月に個人株主の団体などが大阪地裁へ株主代表訴訟を起こしていた。被告側は同年11月の第一回口頭弁論で全員が賠償責任を否定し、日高前社長らは暴力団への利益供与を知らなかったと争う構えを見せていた。同じ時期、高島屋は悲願だった新宿店を開業したばかりで、訴訟の長期化は企業イメージの悪化に直結しかねなかった。
内容
和解条項には、総務担当の元役員の商法上の責任だけでなく、日高前社長の取締役としての注意義務違反と、他の役員の経営上の責任も書き込まれた。「総務が」「担当者が」と言い逃れる余地を残さない内容で、返還される1億7000万円の一部は大阪府暴力追放推進センターへ寄付する意向が示された。
含意
株主代表訴訟で被告が株主の要求を全面的に認め、経営陣が総会の公開に応じるのは異例の決着だった。会社は事件の発覚後に法務対策室と業務監査室を設けており、総会屋との関係を断つ制度をこの時期に組み込んでいる。
筆者の見解

「聞いていない」が通らなくなるということ

この和解の重さは、支払った金額よりも、責任の書かれ方にあったとみることができる。日本の企業で不祥事が起きたとき、経営トップは「総務が」「担当者が」と述べて自らの責任を回避する説明がしばしば取られてきた。高島屋の和解条項は、その逃げ道を正面から塞いだ。判例としては残らなかったものの、実質的には原告側の主張がほぼ通った決着であり、経営トップの無責任な体質に対する警鐘として受け止められた。

株主総会の公開を会社が約束した点も、当時としては前例のない対応だった。総会屋との関係は、総会を閉じた場に保つことで成り立ってきた側面がある。外部の目を入れると決めたことは、その前提そのものを崩す選択であり、費用の返還よりも構造に踏み込む措置だったといえる。もっとも、制度を作ることと、それが実際に機能し続けることは別の問題である。この和解が本当に企業経営を変えたのかどうかは、その後の日本企業の不祥事史のなかで問われ続けている。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

商法違反事件と、1996年8月の提訴

高島屋の商法違反事件に端を発し、1996年8月、個人株主の団体「市民オンブズマン」のメンバーなどが新旧役員らを相手取って大阪地裁へ株主代表訴訟を起こした[1]。争点となったのは、会社が総会屋対策に投じた費用を役員が会社へ返還すべきかどうかである。同年11月の第一回口頭弁論で被告側は全員が賠償責任を否定し、翌1997年2月の弁論では刑事事件で起訴された二人の元役員が賠償に応じる意向を示したものの、日高啓前社長や現役の役員は暴力団への利益供与を知らなかったとして争う構えを崩さなかった[2]

新宿店開業と重なった訴訟

提訴の二か月後にあたる1996年10月、高島屋は35年越しの悲願だった新宿店を東京都渋谷区千駄ケ谷に開業した[3]。1000億円を超えるとみられた投資を回収しながら、経営陣が被告席に並び続ける状態は、店の評判にも取引先との関係にも重くのしかかる。1995年9月には横浜・岐阜・泉北・岡山・米子の五社を一括合併して地域子会社を本体へ束ねたばかり[4]で、財務と組織の立て直しが同時に進んでいた時期でもあった。

決断

争わずに全面的に受け入れる

1997年4月21日、訴訟は和解で決着した。1994年と1995年の株主総会対策費1億6000万円に、使途不明金課税分の1000万円を加えた計1億7000万円を、日高啓前社長や田中辰郎社長など新旧役員九人が連帯して支払う[5]内容である。急転直下の和解となった理由は二つあった。1994年と1995年の総会対策費については役員の関与が明白で被告側に勝算が薄かったこと、そして現役の役員が被告に名を連ねる状態で訴訟が長引けば企業イメージが悪化しかねないという判断[6]が経営側と弁護側にあったことである。

総会の公開という条件

和解のもう一つの柱は、高島屋が以後の株主総会を報道機関などへ公開すると約束した点にある[7]。1997年5月の総会を含め、外部の目を入れた状態で総会を開くことを会社が自ら受け入れた。あわせて和解条項には、総務担当の元役員の商法上の責任はもとより、日高前社長に取締役としての注意が不十分だったことによる法的責任、さらに他の役員にも取締役としての経営上の責任があったことが書き込まれた[8]。責任の所在を総務や担当者にとどめず、経営トップまで及ぶ形で明記した点が、この和解の特徴である。

結果

制度の整備と、原告側の評価

高島屋は事件の発覚後、法務対策室や業務監査室の設置に乗り出し、田中辰郎社長は不祥事が二度と起きない、起こしようがないシステムの構築を進めていると述べた[9]。返還される1億7000万円の一部は大阪府暴力追放推進センターへ寄付する意向が示され、原告側もこうした対応を評価した。原告弁護団長の山田庸男氏は「株主代表訴訟には、会社が失った損失の補填と、違法行為を抑制するという二つの機能があるが、我々は後者を重視した」[10]と述べ、今回の代表訴訟が高島屋一社にとどまらず、業界全体や閉鎖的な日本の企業経営を変える契機になることへの期待を語っている。

出典・参考
  • 週刊東洋経済 1997年5月10日号「[フラッシュ]高島屋 株主代表訴訟が和解一億七〇〇〇万円を新旧役員が賠償、経営トップの責任逃れ許されず」
  • 高島屋 有価証券報告書【沿革】

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