この創業が示すのは、自ら一から看板を立てたのではなく、義父の屋号と近江・京間で培われた信用を受け継いで商いを始めた経緯である。初代飯田新七氏が掲げた"高島屋"は米穀商の屋号であり、古手・木綿という日常の衣料を商う地味な家業として、京の商業地の一角から出発している。既存の信用を看板として借り受け、そこに自らの商いを重ねていく歩みは、のちに呉服から百貨店へと商材を広げていく過程にも通じているとみられる。
もう一つ見えてくるのは、家業の連続性を保ちながら商材と販路を組み替えていった歩みである。古着・木綿から呉服へ、呉服から雑貨・食品を含む総合的な小売へと品目を拡大し、京都・大阪・東京の三都へ店を重ねていった過程は、屋号と家督を代々受け継ぐ家業の枠のなかで進められたと読める。義父の屋号を借りて始めた小さな古手商が、御堂筋の整備という都市の変化に合わせて難波斉氏へ大型店を構え、両証券取引所への上場に至るまでには、創業から一世紀を超える時間が費やされていた。