三菱自動車総会屋利益供与事件と中村院政の終焉
- 概要
- 木村雄宗社長が1年余りで会長へ退き、社長候補に挙がったことのなかった河添克彦が上席役員を越えて社長に就き、中村裕一会長の院政の打破と社風改革に着手した経営判断。
- 背景
- 米国三菱自動車製造でのセクハラ問題と、2年で塚原董久・木村雄宗と続いた不明瞭な社長交代が重なり、人事権を握る中村裕一会長の院政が病巣として名指しされた。株主総会は社長が欠席し23分で終わる形骸化ぶりで、都合の悪い情報を遮断する体質が定着していた。
- 内容
- 河添克彦社長は全役員が出席する経営会議のメンバーを絞り、結論ありきの根回しを排して実質的な議論に改めた。西郷隆盛の"無私"を掲げ、パジェロの成功に安住した社風を戒めた。再生の第一歩は中村嘉彦会長による院政の廃止にあるとの指摘も、当時から出ていた。
- 含意
- だが同じ時期に戦略なき開発による1000億円超の連結赤字が露呈し、ガバナンス危機と業績危機が同時に進んだ。順法精神の欠落そのものは是正しきれず、2000年・2004年の二度のリコール隠しへ地続きに連なる。二度の外資・他社依存の根にある"一度目のガバナンス危機"であった。
筆者の見解
腐った根幹は、社長交代では正せない
この判断の核心は、不祥事の後始末を社長の首のすげ替えで済ませようとしたところにある。河添社長の抜擢と合議改革は、形骸化した意思決定を実質へ戻す点で理にかなっていた。だが総会屋への利益供与も米国のセクハラも、人事権を握る中村嘉彦会長の院政という一点に根を持つと、当時から名指しされていた。その院政に正面から手を入れないまま新社長だけを立てても、腐った根幹は残る。順法意識の欠落は、経営会議の顔ぶれを変えれば消えるたぐいのものではなかった。
この体質は河添改革を生き延び、2000年にダイムラーへ、2016年に日産へと救済を求めるたびに、隠蔽という同じ病となって噴き出す。外資や他社の規律は資本と管理をもたらしても、順法の意識までは移植できない。1997年の危機は、その後の三菱自動車を貫く構造課題が最初に露呈した地点として読める。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
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