高島屋JR東海との共同出資による名古屋出店と、初年度黒字という別解
自前の借地で建てた新宿が計画に届かないなか、高島屋はなぜ名古屋では他社と組む道を選んだのか
- 概要
- 1997年7月末までに、JR東海が名古屋駅に建設する高層ツインビル「JRセントラルタワーズ」へ入る百貨店の運営会社が「ジェイアール名古屋タカシマヤ」と決まり、高島屋の資本参加とロゴ使用が固まった。2000年3月15日に開業した同店は初年度の売上高608億円・経常利益7億7000万円を計上し、当初二十年と見ていた累積損失の解消を開業四年で終えた。
- 背景
- 高島屋は1996年10月に自前の借地方式で新宿店を開いたが、売上は計画の約1600億円に対し1998年度で752億円にとどまり、投資回収の見通しは後ろへずれていた。一方で中京地区には店舗がなく、JR東海が主導する名古屋駅の再開発は、その空白を埋める機会にあたった。
- 内容
- 総工費約2000億円、百貨店と専門店を合わせた床面積約6万5000平方メートルという規模に対し、高島屋は資本参加とロゴの提供にとどめて関与した。社内には提携を深めることへの慎重論もあったが、店舗のなかった中京地区に拠点を確保できる利点が上回っている。開業前の準備には約三年を費やした。
- 含意
- 駅上の立地は売場が取りづらく品ぞろえも利便性商品に偏るとして、それまで百貨店には不利と見られていた。名古屋店はローズパティオと呼ぶ休憩所や通常より20センチ高い天井でその通念を覆し、JRと百貨店の提携モデルの原点となった。
同じ会社が同じ時期に出した二つの答え
高島屋はほぼ同じ時期に、二つの異なる方式で旗艦店を出した。新宿は自前で土地を借りて建てる形で、名古屋は鉄道会社と組んで資本参加にとどめる形である。結果は対照的だった。新宿が計画の半分に届かず投資回収の見通しを後ろへずらす一方、名古屋は初年度から黒字を出し、二十年と見ていた累損解消を四年で終えた。立地の質だけでは説明が付かない差であり、誰と組み、どこまでリスクを負うかという設計そのものが採算を分けたとみることができる。
名古屋で効いたのは、パートナーが鉄道会社だったことによる時間の余裕でもあった。田中君明氏が「目先の売り上げから離れ、百貨店のあるべき姿をじっくりと考えられた」と語ったように、開業前に三年を費やして売場を設計できたのは、小売業が単独で背負う投資圧力から一定の距離を取れたからである。もっとも、この方式は主導権を相手に委ねる面も持つ。自前で建てれば重い賃料を抱え、組めば裁量が減る——高島屋が二つの店で示したのは、出店という判断が立地選びではなく、誰とどう組むかの設計であるという事実だった。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
新宿という自前方式の重さ
高島屋は1996年10月、東京都渋谷区千駄ケ谷に新宿店を開いた。1956年に地元の反対で阻まれた新宿進出を三十五年越しで実現した店だったが、当初見込んだ年商約1600億円に対し、1998年度の実績は752億円にとどまった[1]。社長の田中辰郎氏は「現時点では、新宿店の売上額として九〇〇億円は欲しい」と述べ、当初十三年としていた投資回収の見通しが若干ずれ込むと認めている[2]。土地を保有せず借りて巨艦店を構える方式は、賃料という固定費で経営を縛る側面を持っていた。
JRグループが動かした駅ビル再開発
1990年代後半、JR各社は大型駅ビルを建てて百貨店と組む戦略を相次いで採った。JR西日本は伊勢丹と京都駅で、JR北海道は大丸と札幌駅で、そしてJR東海は高島屋と名古屋駅で提携している[3]。1997年9月に開いたJR京都伊勢丹は初年度目標の320億円を楽に超える立ち上がりを見せ、この方式への注目が高まった。名古屋ではJR東海が高層ツインビル「JRセントラルタワーズ」を建て、百貨店・専門店・ホテルを含む複合施設を2000年春に開く計画で、総工費は約2000億円に及んだ[4]。
決断
資本参加とロゴ提供という関与の仕方
1997年7月末までに、運営会社の名称はジェイアール名古屋タカシマヤと決まり、懸案だった高島屋の資本参加とロゴ使用も固まった[5]。社内には提携を深めることへの慎重論もあったが、経営企画室副室長の俣野宏氏は「出資額が少ないとはいえ、責任は重大。すでに取引先との交渉が始まっており、ロゴがあったほうが取引先との交渉も円滑に進む」[6]と述べている。従来店舗のなかった中京地区に新拠点を確保できる利点が大きいという判断だった。自前で土地を借りて建てる新宿方式に比べ、投じる資本を抑えたまま一等地に店を持てる形である。
三年をかけた売場の設計
開業までの準備には約三年を費やした。売場中央の一等地に「ローズパティオ」と呼ぶ休憩所を全フロアへ置き、天井は通常より20センチメートル高い3メートルに設定している[7]。ターミナル出店に難色を示す外資系ブランドは時間をかけて説得し、通常のターミナル百貨店では扱わない呉服・宝飾・美術品まで揃えた[8]。「お値打ち」という言葉が定着する名古屋市場にありながら、バーゲンを基本的に打たない方針も採っている。総合企画室長の田中君明氏は「JR東海と組んだことで、目先の売り上げから離れ、百貨店のあるべき姿をじっくりと考えられた」[9]と述べた。
結果
初年度黒字と、四年での累損解消
2000年3月15日に開業したジェイアール名古屋タカシマヤは、初年度に来客数3840万人を集めた[10]。1996年に開いた新宿店の3300万人を上回る数字である。売上高は目標の500億円を超えて608億円に達し、赤字を見込んでいた経常利益も7億7000万円の黒字となった[11]。開業から黒字化まで五年以上を要するとされた百貨店業界では異例の立ち上がりで、当初二十年と見ていた累積損失の解消を開業四年で終えている。2005年度には売上高896億円、経常利益44億円まで伸び、名古屋市内でのシェアは開業初年度の13.4%から18.9%へ上がった[12]。
「4M」が受けた衝撃
名古屋・栄地区に本店を置く松坂屋・名古屋三越・名鉄百貨店・丸栄の四社は、通称「4M」として長く共存してきた。高島屋の参入で名古屋地区の百貨店売場面積は二割増え、4Mは合計で前年比7.1%・295億円の減収となる[13]。名鉄百貨店は10.4%減で2001年2月期に1962年の上場以来初の無配へ転落し、丸栄も9.5%減・経常赤字7億円で四十年ぶりの無配となった[14]。栄と名駅の売上比率は69対31から64対36へ動き、名駅地区がシェアを伸ばしている[15]。影響が最も軽かったのは名古屋三越で、七年ほど前からヤングキャリアを狙った店作りを続けたことが3.2%減にとどまる結果につながった。
- 週刊東洋経済 1997年11月29日号「[特集]流通崩壊 JRグループの百貨店戦略の成算」
- 週刊東洋経済 1999年4月3日号「[編集長インタビュー]田中辰郎 高島屋社長 百貨店から「百華店」へ」
- 週刊東洋経済 2001年5月12日号「[特集]ドラマチック名古屋2001 緒戦はJR高島屋が勝利」
- 週刊東洋経済 2006年6月17日号「「JR駅×百貨店」これが成功の方程式 名古屋 JR×百貨店の原点」