三井物産国後島の不正入札と排ガスデータ捏造を受けた、内部統制の作り直し

総額四〇億円の案件で社員三人が逮捕された三井物産は、なぜ二年後にも子会社ぐるみの捏造を出したのか

更新:

時期 2002年7月
意思決定者(推定) 槍田松瑩氏 三井物産 社長
論点 説明責任と現場の法令順守意識をどう作り直すか
概要
2002年7月3日、東京地方検察庁特別捜査部が国後島のディーゼル発電施設をめぐる不正入札で三井物産の社員3人を逮捕した。7月24日に社員2人が偽計業務妨害で起訴されると、清水慎次郎社長は役員報酬の20%を3か月自主返上する処分にとどめ、引責辞任を否定した。その後まもなく清水社長は退き、槍田松瑩社長がコンプライアンスの徹底を最重要課題に掲げて内部監査制度を拡充した。しかし2004年11月、その内部監査がディーゼル排ガス除去装置DPFの虚偽データ提出を掘り当てた。
背景
受注は2000年4月で、総額40億円と規模の小さい案件に社長賞が出ていた。清水社長の就任はその2か月後にあたる。2001年5月に発覚した中国での嘱託社員による贈賄事件でも、会見をいったん設定しながら直前に取りやめるなど説明の乏しさが批判されていた。2001年2月に設けたコンプライアンス委員会は2002年1月に一度開かれただけで、逮捕時の社内調査を担ったのはその下に置かれた営業部門単位の委員会であった。
内容
槍田松瑩氏はコンプライアンスの徹底を最重要課題に掲げ、内部監査制度を拡充して3年から4年に一度は子会社の内部監査を行う体制とし、現場の社員と語り合う車座集会も重ねた。2004年5月に始めた子会社ピュアースの監査で帳簿帳票類の不備が見つかり、本社から役員2名を派遣して体制を見直したところ、11月12日に関与した社員が告白した。虚偽データの提出に関わったのはDPF担当の室長、入社4年目の社員、製造子会社の技術開発担当者の3名だった。
含意
不正は3度にわたっていた。2002年2月18日の指定申請では別の自社製品で得たデータを提出し、同年7月には他製品のフィルターで得たデータを性能試験の結果として出し、2003年1月の測定実験では立ち会う都の職員に実際より高い数値を読み上げた。販売済みの約2万1,500台は都の基準値の7割から8割しか除去できておらず、2万台超・総額194億円でシェア首位に立っていた事業は、交換費用が売上高の約200億円を超えうる負担へ転じた。内部監査は機能したが、現場の意識までは届いていなかった。

本編

逮捕と、果たされなかった説明責任

2002年7月3日、東京地方検察庁特別捜査部が国後島のディーゼル発電施設をめぐる不正入札で三井物産の社員3人を逮捕[1]した。逮捕当日の会見に出たのは問題の部門を管掌する副社長[2]で、清水慎次郎社長は欠席した。会社側は社内調査の結果として特定省庁に対し不正を働きかけた事実は認められなかった[3]と述べたが、その調査を担ったのは全社のコンプライアンス委員会ではなく、その下に置かれた営業部門単位の委員会[4]であった。

受注は2000年4月で、総額40億円と規模の小さい案件に社長賞[5]が出ていた。清水社長の就任はその2か月後[6]にあたる。7月24日に社員2人が偽計業務妨害で起訴されると、清水社長は役員報酬の20%を3か月自主返上[7]する処分にとどめ、引責辞任を否定した。社長が管掌経験を持つ本部での不始末[8]であり、責任回避と受け取られたことで求心力は失われた。

内部監査の拡充と、その二年後

清水社長の後を継いだ槍田松瑩氏は、コンプライアンスの徹底を最重要課題に掲げて内部監査制度を拡充[9]した。3年から4年に一度は子会社の内部監査を行う体制[10]とし、現場の意識を変えるために自ら社員と語り合う車座集会も重ねた。2004年5月に始めた子会社ピュアースの監査で帳簿帳票類の不備が見つかり[11]、本社から役員2名を派遣して体制を見直した。その過程で、11月12日に関与した社員が告白[12]した。

2004年11月22日、ディーゼル排ガス中の粒子状物質を除去する装置DPFについて、東京都へ虚偽のデータを提出[13]して指定承認を受けていたと発表した。不正は3度にわたり、2002年2月18日の指定申請では別の自社製品で得たデータを提出[14]し、同年7月には他製品のフィルターで得たデータを性能試験の結果として出し[15]、2003年1月の測定実験では立ち会う都の職員に実際より高い数値を読み上げて[16]いた。

負担の大きさと、残った課題

販売済みの約2万1,500台は、都が指定する基準値の7割から8割しか粒子状物質を除去できて[17]いなかった。2万台超・総額194億円でシェア首位[18]に立っていた事業は、他社製品を調達して付け替える費用により、関連費用が売上高の約200億円を超えうる負担[19]へ転じた。東京都などが出した補助金18億円をめぐり、損害賠償請求を受ける可能性[20]も残った。

DPFは1994年ごろまでに売られた旧型トラックに装着する装置[21]で、東京都の補助金も2001年度から3年間の限定措置だった。担当者は事業を成功させたかったと説明[22]したという。内部監査が機能して不正を掘り当てた一方[23]、業績達成のためなら虚偽もいとわない現場の意識は変わっていなかった。三井物産は2002年4月に執行役員制を導入し、2003年6月には社外取締役1名を初めて選任[24]している。

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2002年7月20日号「不正入札事件 名門・三井物産をむしばむ“失語症”の病魔」
  • 週刊東洋経済 2002年8月10日号「国後発電所談合事件で「不遜な沈黙」続けた三井物産会長・社長の居直りは続くか」
  • 週刊東洋経済 2004年12月4日号「三井物産・排ガスデータねつ造 槍田改革いまだ浸透せず 限られた市場で功を焦ったお粗末」
  • 三井物産 有価証券報告書【沿革】

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