新関八洲太郎
三井物産・元取締役社長
社長就任 1947年
生年月日 —
学歴 東京高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自
1947年7月3日付の連合国軍総司令部覚書は、三井物産と三菱商事の解散を命じた。覚書は数社への分割も認めず、あらゆる形での存続を許さない内容だった。付帯条件は、過去10年間に役員や部長を務めた者を新会社が2名以上雇うことを禁じ、100名を超える従業員が新会社を組織することも認めず、有効期間を向こう10年間とした。旧三井物産の常務取締役だった新関八洲太郎氏は1947年7月、この制限のもとで第一物産の取締役社長に就任した。
社長に選ばれた経緯
抜擢
初代社長である。旧三井物産は解散時に男子職員だけで3,000人あまりを抱えており、社員はそれぞれに進路を探した。第一物産は1947年7月25日、非鉄・食料・肥料・化学品・建材・企画の各部門から集まった37人が資本金19万5,000円で設けた会社である。旧三井物産は約180の会社へ分割され、物産出身の社員が各地で起こした新会社は200社を上回っており、同社もその1社にあたる。本社には、かつて昭和銀行の支店だった堀留の建物を月額6,000円の家賃で借りて使った。
在任中の主な施策
施策
1949年5月、第一物産は再開した東京証券取引所へ株式を上場した。当時の上場商社は高島屋飯田のみで、第一物産は2番目にあたる。1949年1月払込の第三回増資では初めて一般公募を行い、三井生命と富国生命を皮切りに有力生保7社、ついで損保各社が株主となった。1951年にはベーチェ社との提携で5,000万円の外資を導入し、資本金を2億円とした。1959年2月、室町物産との合併が第一物産を存続会社として成立し、商号を三井物産へ変更した。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1947〜1961年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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