姫路製造所アクリル酸タンク爆発事故への対応と安全管理体制の立て直し

保全工事明けの現場で見過ごされた発熱反応は、"2つの集中"という成功モデルに何を問いかけたか

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時期 2012年9月
意思決定者 池田全德 日本触媒 社長
論点 姫路製造所の爆発事故と安全管理体制の再構築
概要
2012年9月29日、日本触媒姫路製造所のアクリル酸中間タンクが爆発し、消火にあたった消防副士長1人が死亡、35人が重軽傷を負った。日本触媒は事故調査委員会の設置や操業対応にあたる一方、2015年9月の起訴、2018年7月の有罪判決という刑事責任の確定を経て、安全管理体制の見直しを迫られた。
背景
電気・計装の保全工事後に運転を再開した直後、精製塔からの液を中間タンクへ迂回させる工程変更が加わり、冷却装置を作動させないまま発熱反応が見過ごされた。姫路製造所は、アクリル酸とSAP(高吸水性樹脂)の生産をほぼ一手に担う、日本触媒の成功モデルの中心地であった。
内容
事故当日の被害把握と緊急使用停止命令、兵庫県警の家宅捜索という初期対応にはじまり、事故調査委員会・安全生産技術統括室の設置、2015年9月の労働安全衛生法違反での起訴、2018年7月の業務上過失致死傷罪での有罪判決に至る一連の対応であった。
含意
効率化を支えた"バラコン"方式やカイゼンの積み重ねが、現場の冷却装置を無力化する土壌にもなっていたことが浮かび上がり、アクリル酸・SAPと姫路への生産集中という構造的リスクへの向き合い方が問われた。
筆者の見解

効率化の裏側にあった安全の空白

この事故の中心にあるのは、成功を支えた仕組みが、そのまま安全を蝕む土壌にもなっていたという逆説である。ゼネコンに頼らず現場が詳細設計から発注まで担う「バラコン」方式は、姫路製造所の強みとして語られてきた。だが、その現場の裁量は、ヘドロの清掃回数を減らすために天板の冷却装置を止め、温度調整器まで取り外すという小さなカイゼンの積み重ねにもつながっていた。効率を重ねるほど、装置が持つ本来の役割は現場の意識から薄れていったとみることができる。長く無事故が続いた工場ほど、その空白に気づきにくかったとも考えられる。

保全工事という非日常の直後に、能力向上試験という別の非日常が重なったタイミングも、この事故の性格を示している。ふだんの手順から外れる場面でこそ、積み重ねてきた現場の勘が働きにくくなることが、姫路製造所でも起きたとみられる。2012年の爆発から2015年の起訴、2018年の判決まで、刑事責任の確定には6年近い歳月を要した。アクリル酸とSAP、そして姫路への生産集中という構造そのものは事故によって直ちに変わったわけではなく、安全管理体制をどう恒常的に更新し続けるかという問いは、判決確定後も日本触媒に残されている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

保全工事後の運転再開と工程変更

日本触媒姫路製造所では、2012年9月18日から20日にかけて全施設の電力供給を止め、電気・計装設備の保全工事にあてていた。工事後は設備を順に立ち上げ、アクリル酸製造施設は9月21日に運転を再開した。再開後しばらくは精製塔から出るボトム液を直接回収塔へ送っていたが、9月24日からは一部の精製塔のボトム液を中間タンク経由で送る運用に切り替えた。この工程変更によって、中間タンクへ液が滞留する状態が生じた[1]

9月25日からは、精製塔の能力向上試験に備えてアクリル酸を中間タンク「V-3138」へためる運用が始まり、28日にはタンクが満量に達した後もそのまま24時間以上置かれた。このタンクには冷却コイルと、貯蔵液を天板へ循環させる「天板リサイクル」という2つの冷却機構が備わっていたが、いずれも作動させないままであった。冷却コイルより上にある液の温度がしだいに上がり、二量体を生成する反応で発熱が進み、やがて重合反応が始まって、タンク内の温度と圧力は上がり続けた[2][3]

"2つの集中"という成功モデルの構造リスク

姫路製造所は、事故が起きるまで“最も事故から遠い工場”とみられていた。アクリル酸は重合反応を起こしやすい製品で、2009年から2010年にかけて独BASFをはじめ世界のアクリル酸大手の工場が相次いでトラブルに見舞われるなかで、姫路だけが正常操業を保っていた。歴代の製造所長は「建設が最大の教育」と語り、ゼネコンに丸投げせず製造現場が詳細設計から発注まで担う「バラコン」方式で増設を重ねてきた。2000年から2011年初めまで休業災害・設備事故はゼロが続き、この間に姫路の総生産量は45万トンから85万トンへほぼ倍増した一方、人員は700人前後でほぼ横ばいのままであった[4]

日本触媒の収益は、アクリル酸とSAPという2つの製品、そして姫路製造所という1つの拠点に生産を集中させる構造の上に成り立っていた。アクリル酸生産能力62万トンのうち74%、SAP生産能力47万トンのうち68%を姫路が担い、中国投資は精妙な生産技術の漏出を避ける狙いもあって最小限に抑えられていた。だが新興国市場の急拡大を受け、直近1〜2年でインドネシアや中国での増設計画が相次いで打ち出され、その海外拠点の新増設を指揮するのも、マザー工場である姫路の技術者たちであった[5]

決断

事故発生当日の被害と初期対応

2012年9月29日午後1時ごろ、運転員は中間タンク付近から白煙が上がっているのに気づいた。午後1時48分ごろ、同社から連絡を受けた網干消防署の消防車が午後2時10分ごろ正門前に到着し、同社の放水車がすでに放水していたタンクへ消防車も放水しようと準備していたところ、午後2時30分すぎに爆発が起きた。火災は午後10時35分ごろに鎮圧された。兵庫県警によると、死亡したのは網干消防署消防副士長の山本永浩氏(28)で、全身にやけどを負った男性従業員(31)が重体となったほか、24歳から59歳の消防隊員18人・従業員10人・警察官2人が重軽傷を負った[6]

当日の集計では死者1人に加え30人が重軽傷とされたが、翌30日には消防隊員5人の負傷が新たに判明し、負傷者は35人に増えた。姫路市は消防法に基づき29日付で製造所に緊急使用停止命令を出し、工場での製造は全面的に止まった。兵庫県警は30日、業務上過失致死傷の疑いで姫路製造所を家宅捜索し、安全管理体制に問題がなかったかを調べる捜査に乗り出した。同社が同年12月末に公表した集計では、負傷者は重症5人・中等症13人・軽症18人の計36人となり、死者と合わせた被害は37人に上った[7][8]

自主調査の開始と、姫路依存という構造への向き合い方

日本触媒は事故後、社外の学識経験者による事故調査委員会と、社内に安全生産技術統括室を設置し、直接原因の解明と再発防止策の検討にあたった。池田全德社長は、操業停止が長引けばアクリル酸やSAPの世界的な供給不足につながりかねないとして、他社へ製品の融通を要請していることを明らかにする一方、「再開のメドはまったくわからない」とも述べた。操業停止による機会損失は1日あたり約1.5億円に上るとされた[9][10]

事故は、生産をアクリル酸・SAPと姫路製造所に集中させてきた日本触媒の成功モデルそのものに対応を迫るものであった。姫路の操業停止によって世界的な市況が再び押し上げられる可能性が指摘される一方、事故当時、新興国市場の拡大を見込んでインドネシアや中国で進めていた海外増設計画は、姫路の技術者が指揮する体制のまま動いていた。生産と技術の双方を姫路に集中させてきた構造は、事故を経てもただちに解消されるものではなかった[11]

結果

刑事責任の確定

事故から3年後の2015年9月24日、神戸地検は、事故防止のマニュアルを作成していなかったとして、労働安全衛生法違反の罪で法人としての日本触媒を起訴し、当時の男性課長(59)を在宅起訴した。同容疑で書類送検されていた当時の副所長(56)は起訴猶予処分となった。業務上過失致死傷容疑については、兵庫県警が2014年1月に課長ら5人を書類送検しており、神戸地検が引き続き捜査を進めていた[12]

2018年7月19日、神戸地裁は業務上過失致死傷罪に問われた製造所の当時の課長、本藤昌宏被告(62)ら3人に判決を言い渡した。小倉哲浩裁判長は「爆発は予見できた」として本藤被告に禁錮2年、執行猶予3年(求刑禁錮2年)を言い渡し、ほかの2人の元従業員にも禁錮1年6月と禁錮8月、いずれも執行猶予3年を言い渡した。法人としての日本触媒には、労働安全衛生法違反で罰金50万円が科された[13][14]

安全管理体制の再構築へ

判決を受け、日本触媒は「出動中に被災され亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げ、ご遺族様に対し心よりのお詫びとお悔みを申し上げます」とのコメントを発表し、「安全が生産に優先する」という社是のもとで再発防止策の徹底を改めて表明した。事故発生から判決確定まで6年近くにわたり、刑事責任の帰趨は同社の経営課題として残り続けた[15]

事故は日本触媒1社にとどまる問題として終わらなかった。2014年の週刊東洋経済の特集は、2011年の東ソー・南陽事業所、2012年の三井化学・岩国大竹工場、そして姫路製造所の事故を並べ、「安全に慣れ、リアルを喪失」した化学各社に共通する構図を指摘した。姫路製造所の事故もまた、現場のカイゼンの積み重ねが安全装置を無力化していった一例として、業界全体で安全管理体制の見直しを促した[16]

出典・参考