第4章 年〜年

新潟鐵工所:2001年の会社更生法申請と原動機・車両事業の承継

1976年〜マシニングセンタ無人化と石油開発機器への進出

1976年6月、新潟鐵工所は世界初のマシニングセンタ夜間無人運転システムを開発した。1979年11月には大阪市向け新交通システム"ニュートラム"の試作車が完成。工作機械と車両の双方で新製品を出す一方、売上高は1976年3月期の1,157億円から1981年3月期の1,826億円へ、経常利益は42億円から51億円へ増えた。新潟鐵工所が抱える事業は1975年3月期の時点で9区分にわたり、化工機が36.3%、内燃機関が29.6%、船舶が16.2%を占め、車両・建設機械・産業機械・工作機械・鋳造品・空調機器が残りを分けていた。

  • 新潟鉄工所100年史(新潟鉄工所、1996年)年表
    • [1]1976年6月、世界初のマシニングセンタ夜間無人運転システムを開発した
    • [2]1979年11月、大阪市向け新交通システム「ニュートラム」の試作車が完成した
  • 会社年鑑 1986年版
    • [3]単体売上高は1976年3月期1,157億円・経常利益42億円、1981年3月期1,826億円・経常利益51億円
  • 会社年鑑 1976年版
    • [4]1975年3月期の売上構成比は化工機36.3%、内燃機関29.6%、船舶16.2%、車両5.5%、建設機械4.8%、産業機械3.8%、工作機械3.2%、鋳造品0.4%、空調機器0.2%の9区分

石油・ガス開発関連機器を新たな事業の柱に据えようとした新潟鐵工所は、1980年、有力な外国企業を提携相手に選んでいった。石油関連に限っても、合弁会社を設けた相手は数社にのぼる。なかでも、石油と天然ガスの井戸処理システムで世界に名の通った米国のBS&Bエンジニアリング社は日本法人に出資する形で加わり、米国BS&Bセイフティーシステムズ社との間では合弁会社を新たにつくった。新潟鐵工所の狙いは技術を教わることではなく、海外企業の看板を借りて信用を得ることにあった。信頼性が生命の石油開発用機器では、品質がいくら良くても無名の日本製品は世界市場で相手にされないためである。

  • 日経ビジネス 1980年8月11日号
    • [5]1980年、石油・ガス開発関連機器の分野への進出を効率的に進めるため、海外の有力企業との提携に出た
    • [6]このほかにも石油関連で数社と合弁会社を設けていた
    • [7]石油・天然ガスの井戸処理システムで世界的に著名な米国BS&Bエンジニアリング社の日本法人に資本参加し、米国BS&Bセイフティーシステムズ社と合弁会社を設立した
    • [8]提携のねらいは技術を教えてもらうことではなく、海外企業の看板を借りることにあった
    • [9]信頼性が生命の石油開発用機器では、いくら品質がよくても無名の日本製品は世界市場で相手にされない

同じ1980年、新潟鐵工所は社長のなすべき事だけを書き出した"社長業マニュアル"を作った。社長決裁事項は会社の基本方針、経営計画、役員の担当業務の決定、決算方針、予算編成方針、会社の新設、合併、新規事業、生産設備の購入など18項目で、これ以外は担当役員へ権限を委譲した。あわせて稟議書制度を廃止し、形骸化していた常務会も取りやめた。担当役員以下にも職務執行の責任を厳しく問う"行動マニュアル"と"権限細則"を設けた。経営環境が複雑になるなかで社長の負担を軽くし、担当役員の責任を明確にすることが目的であった。

  • 日経ビジネス 1980年9月22日号
    • [10]1980年、社長のなすべき事を決めた「社長業マニュアル」を作った
    • [11]社長決裁事項は会社の基本方針、経営計画、役員の担当業務の決定、決算方針、予算編成方針、会社の新設、合併、新規事業、生産設備の購入など18項目で、これ以外は担当役員へ権限委譲した
    • [12]稟議書制度を廃止するとともに、形骸化していた常務会なども取りやめた
    • [13]担当役員以下にも「行動マニュアル」や「権限細則」を設け、それぞれ職務執行の責任を厳しく問う仕組みとした
    • [14]複雑化する経営環境に合わせ、社長の負担軽減と担当役員の責任明確化をはかった
参考文献[1]-[14]
    • [1]1976年6月、世界初のマシニングセンタ夜間無人運転システムを開発した
    • [2]1979年11月、大阪市向け新交通システム「ニュートラム」の試作車が完成した
  • 会社年鑑 1986年版
    • [3]単体売上高は1976年3月期1,157億円・経常利益42億円、1981年3月期1,826億円・経常利益51億円
  • 会社年鑑 1976年版
    • [4]1975年3月期の売上構成比は化工機36.3%、内燃機関29.6%、船舶16.2%、車両5.5%、建設機械4.8%、産業機械3.8%、工作機械3.2%、鋳造品0.4%、空調機器0.2%の9区分
  • 日経ビジネス 1980年8月11日号
    • [5]1980年、石油・ガス開発関連機器の分野への進出を効率的に進めるため、海外の有力企業との提携に出た
    • [6]このほかにも石油関連で数社と合弁会社を設けていた
    • [7]石油・天然ガスの井戸処理システムで世界的に著名な米国BS&Bエンジニアリング社の日本法人に資本参加し、米国BS&Bセイフティーシステムズ社と合弁会社を設立した
    • [8]提携のねらいは技術を教えてもらうことではなく、海外企業の看板を借りることにあった
    • [9]信頼性が生命の石油開発用機器では、いくら品質がよくても無名の日本製品は世界市場で相手にされない
  • 日経ビジネス 1980年9月22日号
    • [10]1980年、社長のなすべき事を決めた「社長業マニュアル」を作った
    • [11]社長決裁事項は会社の基本方針、経営計画、役員の担当業務の決定、決算方針、予算編成方針、会社の新設、合併、新規事業、生産設備の購入など18項目で、これ以外は担当役員へ権限委譲した
    • [12]稟議書制度を廃止するとともに、形骸化していた常務会なども取りやめた
    • [13]担当役員以下にも「行動マニュアル」や「権限細則」を設け、それぞれ職務執行の責任を厳しく問う仕組みとした
    • [14]複雑化する経営環境に合わせ、社長の負担軽減と担当役員の責任明確化をはかった

1982年〜減収赤字と鷲尾秀夫社長の再建推進委員会

1982年3月期、新潟鐵工所の売上高は前期の1,826億円から1,773億円へ減り、経常利益は11億円の赤字、当期純利益は16億円の赤字に沈んだ。1982年6月、入社以来ほぼ一貫して管理畑を歩いた鷲尾秀夫氏が社長に就任し、野島富雄氏は同年7月に会長へ移った。鷲尾秀夫社長は1950年3月に東京大学法学部を卒業して新潟鐵工所に入り、1968年に経理部長、1971年に取締役、1972年に常務、1977年に専務を経ての就任であった。鷲尾秀夫社長は、海外を中心とするプラント・エンジニアリング業務と内燃機、そして機械部門の建て直しを当面の重点課題に挙げた。1982年10月にはエンジニアリング事業本部の組織を再編した。

  • 会社年鑑 1986年版
    • [15]単体売上高は1981年3月期1,826億円から1982年3月期1,773億円へ減少し、経常利益-11億円、当期純利益-16億円
  • 日経ビジネス 1983年1月10日号
    • [16]1982年6月に鷲尾秀夫氏が社長に就任。入社以来ほぼ一貫して管理畑を歩いた。野島富雄氏は1982年7月時点で会長
    • [17]鷲尾秀夫氏は1950年3月東京大学法学部卒、同年新潟鉄工所入社。1968年経理部長、1971年取締役、1972年常務、1977年専務を経て1982年6月社長就任
    • [18]当面の経営の重点課題は、海外を中心とするプラント・エンジニアリング業務と内燃機、そして機械部門の強化
    • [19]1982年10月からエンジニアリング事業本部の組織再編を実施した

赤字を計上したあとも、新潟鐵工所は抱える事業の数を減らさなかった。1983年3月に再建推進委員会を設置し、1984年3月期は売上高1,421億円、経常利益47億円の赤字まで転落した。1985年3月期は売上高1,508億円、経常利益3億円、当期純利益2億円と黒字に戻した。この期の事業構成はエンジニアリング532億円で35%、内燃機関386億円で26%、工作機械153億円で10%、産業機械148億円で10%、建設機械他125億円で8%、船舶106億円で7%、車両55億円で4%の7区分だった。1988年10月には世界初の10万回転主軸をもつ超高速NCフライス盤UHS10を開発した。

  • 新潟鉄工所100年史(新潟鉄工所、1996年)年表
    • [20]1983年3月、再建推進委員会を設置した
    • [24]1988年10月、世界初の10万回転主軸をもつ超高速NCフライス盤UHS10を開発した
  • 会社年鑑 1986年版
    • [21]1984年3月期の単体売上高1,421億円、経常利益-47億円
    • [22]1985年3月期の単体売上高1,508億円、経常利益3億円、当期純利益2億円
    • [23]1985年3月期の事業別売上はエンジニアリング532億6,400万円(35%)、内燃機関386億4,400万円(26%)、工作機械153億4,900万円(10%)、産業機械148億6,100万円(10%)、建設機械他125億4,800万円(8%)、船舶106億1,500万円(7%)、車両55億1,900万円(4%)
参考文献[15]-[24]
  • 会社年鑑 1986年版
    • [15]単体売上高は1981年3月期1,826億円から1982年3月期1,773億円へ減少し、経常利益-11億円、当期純利益-16億円
    • [21]1984年3月期の単体売上高1,421億円、経常利益-47億円
    • [22]1985年3月期の単体売上高1,508億円、経常利益3億円、当期純利益2億円
    • [23]1985年3月期の事業別売上はエンジニアリング532億6,400万円(35%)、内燃機関386億4,400万円(26%)、工作機械153億4,900万円(10%)、産業機械148億6,100万円(10%)、建設機械他125億4,800万円(8%)、船舶106億1,500万円(7%)、車両55億1,900万円(4%)
  • 日経ビジネス 1983年1月10日号
    • [16]1982年6月に鷲尾秀夫氏が社長に就任。入社以来ほぼ一貫して管理畑を歩いた。野島富雄氏は1982年7月時点で会長
    • [17]鷲尾秀夫氏は1950年3月東京大学法学部卒、同年新潟鉄工所入社。1968年経理部長、1971年取締役、1972年常務、1977年専務を経て1982年6月社長就任
    • [18]当面の経営の重点課題は、海外を中心とするプラント・エンジニアリング業務と内燃機、そして機械部門の強化
    • [19]1982年10月からエンジニアリング事業本部の組織再編を実施した
    • [20]1983年3月、再建推進委員会を設置した
    • [24]1988年10月、世界初の10万回転主軸をもつ超高速NCフライス盤UHS10を開発した

1976年〜2003年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1976年03月期 単体 1,157 n/a 42 21 1.8% n/a
1977年03月期 単体 1,295 +11.9% 48 24 1.9% n/a
1978年03月期 単体 1,472 +13.7% 30 21 1.4% n/a
1979年03月期 単体 1,437 ▲2.4% 34 22 1.5% n/a
1980年03月期 単体 1,653 +15.0% 46 26 1.6% n/a
1981年03月期 単体 1,826 +10.5% 51 30 1.6% n/a
1982年03月期 単体 1,773 ▲2.9% ▲11 ▲16 ▲0.9% n/a
1983年03月期 単体 1,738 ▲2.0% 19 11 0.6% n/a
1984年03月期 単体 1,421 ▲18.2% ▲47 2 0.1% n/a
1985年03月期 単体 1,508 +6.1% 3 2 0.1% n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1993年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1994年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1995年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1996年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1997年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1998年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1999年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2000年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2001年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2002年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2003年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:会社年鑑 1986年版

出典・参考

6件
出典・参考
  • 新潟鉄工所100年史(新潟鉄工所、1996年)年表
  • 会社年鑑 1976年版
  • 会社年鑑 1986年版
  • 日経ビジネス 1980年8月11日号
  • 日経ビジネス 1980年9月22日号
  • 日経ビジネス 1983年1月10日号

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