1999年〜 デリバリー総合サイト「出前館」の開設と、二代目社長による負債2億8000万円の解消
- 1999年 大阪市住之江区に夢の街創造委員会を設立
- 2000年 デリバリー総合サイト「出前館」の開設と、加盟店に初期負担・会費を課さない取り次ぎ条件の設定 ネットの知識も設備も持たない飲食店を、どうすれば千単位で加盟させられるか——花蜜伸行社長が置いた条件
- 2001年 中村利江氏が取締役に就任
- 2004年 モバイル版サービス「モバイル出前館」を開始
- 2005年 「Yahoo! JAPAN」で「Yahoo! 出前注文サービス」を開始
初期負担も会費も取らない加盟条件と、チラシに刷ったURL
1999年9月、大阪市住之江区に夢の街創造委員会株式会社を設[1]立した。社長には花蜜伸行氏が[2]就いた。翌2000年4月の時点で、インターネットで複数の店の出前を受け付ける日本初のウェブサイトはすでに動いてい[3]た。利用者が飲食店のチラシなどに示されたURLからサイトにアクセスすると、その時間に自分の所在地周辺で出前できる店[4]のサイトにつながる。あとはネット経由で注文するだけでよい。支払いは通常の出前と同じ現金決済で、原則として割引が付く[6]ため、利用者には得になる。同年10月、夢の街創造委員会はデリバリー総合サイト「出前館」を正式に開[7]設した。 [5]
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書【沿革】
- [1]1999年9月に大阪市住之江区に夢の街創造委員会株式会社を設立した
- [7]2000年10月にデリバリー総合サイト「出前館」をオープンした
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [2]2000年4月時点の夢の街創造委員会の社長は花蜜伸行氏
- [3]日本初のインターネットで複数の店の出前を受け付けるウェブサイトが2000年4月に動き始めていた
- [4]チラシなどに示されたURLからアクセスすると、その時間に所在地周辺で出前可能な店のサイトにつながり、ネット経由で注文できる
- [5]ユーザーの所在地周辺で出前可能な店のサイトにつながり、ネット経由で注文できる
- [6]支払いは通常の出前と同じく現金決済で、原則割引のため利用者に得になる
加盟する飲食店に、夢の街創造委員会は初期負担も会費も求めなかった[8]。各飲食店が配っているチラシは平均5万枚程度で、そこに出前館のURLを印刷する[9]。あとはインターネット経由の売上高の原則5%を夢の街創造委員会へ支払う[10]だけでよい。ホームページの作成と保守は夢の街創造委員会が引き受けるため、飲食店の側にネットの知識も要らない[11]。2001年1月からは月会費3000円を徴収する予定[12]を立てた。導入した店では、注文の平均20%弱がネット経由に変[13]わった。2000年4月の時点で、ピザ店や弁当店などを中心に約10社500店以上が加入済みだった[14]。
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [8]加盟に当たり初期負担も会費も要らない
- [9]各飲食店が配っているチラシは平均5万枚程度で、そこに出前館のURLを印刷する
- [10]インターネット経由の売上高の原則5%を夢の街へ支払うだけ
- [11]ホームページの作成と保守は夢の街がやるのでネットに関する知識も不要
- [12]2001年1月からは月会費3000円を徴収する予定だった
- [13]導入した店は平均して注文の20%弱がネット経由に変わった
- [14]2000年4月時点でピザ店や弁当店などを中心に約10社500店以上が加入済み
受注の手順も、飲食店がパソコンを持たない前提で組み立てた。加盟店にはNTTドコモの携帯メール端末「エクシーレ」を無償で貸与[16]し、ネット経由の注文をその端末で受け取らせた。端末からは料金設定の変更など自社サイトの中身も操作できた[17]。チラシにURLを印刷した店から順に、ネット注文へ対応させる予定[18]だった。加えて、ポータルサイトなどへ出前館だけを出店させ[19]、チラシ以外にネット利用者へも訴える計画を持っていた。年内の黒字化と早期の株式上場を見込み、花蜜社長は4月中に加盟1000店という目標を掲げた[20]。 [15]
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [15]NTTドコモの携帯メール端末「エクシーレ」が無償貸与され、料金設定の変更など自社サイトの中身も操作できた
- [16]NTTドコモの携帯メール端末「エクシーレ」が加盟店へ無償貸与された
- [17]端末から料金設定の変更など自社サイトの中身も操作できる
- [18]チラシにURLを印刷した店から順次ネット注文に対応していく予定だった
- [19]ポータルサイトなどへ出前館だけを出店させ、チラシだけでなくネットユーザーにも訴える計画だった
- [20]年内にも黒字化を達成して早期に株式上場する考えで、花蜜社長は4月中に加盟1000店を目指すと語った
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書【沿革】
- [1]1999年9月に大阪市住之江区に夢の街創造委員会株式会社を設立した
- [7]2000年10月にデリバリー総合サイト「出前館」をオープンした
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [2]2000年4月時点の夢の街創造委員会の社長は花蜜伸行氏
- [3]日本初のインターネットで複数の店の出前を受け付けるウェブサイトが2000年4月に動き始めていた
- [4]チラシなどに示されたURLからアクセスすると、その時間に所在地周辺で出前可能な店のサイトにつながり、ネット経由で注文できる
- [5]ユーザーの所在地周辺で出前可能な店のサイトにつながり、ネット経由で注文できる
- [6]支払いは通常の出前と同じく現金決済で、原則割引のため利用者に得になる
- [8]加盟に当たり初期負担も会費も要らない
- [9]各飲食店が配っているチラシは平均5万枚程度で、そこに出前館のURLを印刷する
- [10]インターネット経由の売上高の原則5%を夢の街へ支払うだけ
- [11]ホームページの作成と保守は夢の街がやるのでネットに関する知識も不要
- [12]2001年1月からは月会費3000円を徴収する予定だった
- [13]導入した店は平均して注文の20%弱がネット経由に変わった
- [14]2000年4月時点でピザ店や弁当店などを中心に約10社500店以上が加入済み
- [15]NTTドコモの携帯メール端末「エクシーレ」が無償貸与され、料金設定の変更など自社サイトの中身も操作できた
- [16]NTTドコモの携帯メール端末「エクシーレ」が加盟店へ無償貸与された
- [17]端末から料金設定の変更など自社サイトの中身も操作できる
- [18]チラシにURLを印刷した店から順次ネット注文に対応していく予定だった
- [19]ポータルサイトなどへ出前館だけを出店させ、チラシだけでなくネットユーザーにも訴える計画だった
- [20]年内にも黒字化を達成して早期に株式上場する考えで、花蜜社長は4月中に加盟1000店を目指すと語った
顧客からアドバイザーを経て二代目社長に就いた中村利江氏
中村利江氏は、ほっかほっか亭を運営するハークスレイのマーケティング部[21]で、パソコンや携帯電話を使ったネット受注の仕組みを企画書にまとめていた[22]。ところが、すでに出前館が稼働していることを知る[23]。自社独自のシステムより、多くの店舗が参加するポータル的な出前サイトのほうがコストも集客性も優れている[24]。中村氏はそう判断し、ハークスレイとして出前館に加入した。夢の街創造委員会から見れば、中村氏は顧客の側[26]にいた。利用者の視点から見ると、サービスの不備やシステムの欠陥がよく目に付く[27]。それを指摘し、改善させるうちに、中村氏は出前館のアドバイザー的な存在になった[28]。 [25]
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [21]中村利江氏は「ほっかほっか亭」を展開するハークスレイに転職し、マーケティング部の管理職を務めた
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- [22]ハークスレイで次々に提出した企画書の一つが、パソコンや携帯電話を利用したネット受注のシステムだった
- [23]すでに「出前館」が稼働していることを知った
- [24]自社独自のシステムよりも多くの店舗が参加するポータル的な出前サイトのほうがコストも集客性も優れていると判断した
- [25]独自のシステムよりポータル的な出前サイトのほうがコストも集客性も優れていると判断し、出前館に加入した。最初は顧客であった
- [26]出前館に加入し、最初は顧客であった
- [27]利用者の視点から見るとサービスの不備やシステムの欠陥がよく目に付いた
- [28]不備を指摘し改善していくうちに出前館のアドバイザー的な存在になった
2001年、中村氏はハークスレイを退社し、経営コンサルティング会社の有限会社キトプランニングを設立して独立した[29]。夢の街創造委員会はクライアントの1社として残り、中村氏は当時の社長から社外取締役を依頼されて引き受けた[30]。夢の街創造委員会は赤字が続いていた[31]が、中村氏には出前館が大化けする可能性があるという見立てがあった[32]。独立後の中村氏は毎月50万円ほどの給料を取り、コンサルティング会社の年商は3000万円ほど[33]に達していた。一方の夢の街創造委員会は、月商が20万円を超える程度だった[34]。
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [29]2001年に経営コンサルティング会社、有限会社キトプランニングを設立して独立した
- [30]夢の街創造委員会はクライアントの1社で、当時の社長から社外取締役になってほしいと頼まれ、引き受けた
- [32]「出前館」は大化けする可能性があると考えていた
- [33]当時の中村氏は毎月50万円くらいの給料を取り、会社の年商も3000万円ほどだった
- [34]夢の街は月商で20万円を超える程度だった
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- [31]夢の街創造委員会は赤字続きだった
夢の街創造委員会は2億8000万円の負債を抱え、そのままでは倒産しかねない経営状態[35]にあった。そこで、ベンチャー企業支援に力を入れていた大阪ガスにプレゼンして出資を仰ぐ[36]。当時の社長は、出資が決まれば最後のチャンスだとして、中村氏に社長を引き受けるよう求めた[37]。出前館はインフラにあたる事業であり、やりよう次第で年商20億円にも200億円にも届きうる[38]と中村氏は見ていた。大阪ガスは4000万円の出資[39]を決めた。2002年1月、中村氏は夢の街創造委員会の代表取締役社長に就[40]任した。創業者の花蜜氏が中村氏に見込んだのは、抜群の企画力と行動力[41]である。
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [35]夢の街は2億8000万円の負債を抱え、そのままでは倒産してしまうような危うい経営状態だった
- [36]ベンチャー企業支援に力を入れていた大阪ガスにプレゼンして出資を仰いだ
- [37]社長は出資が決まれば最後のチャンスだとして、中村氏に社長就任を求めた
- [38]「出前館」はインフラビジネスで、やりようによっては年商20億円、200億円、2000億円も夢じゃないと考えた
- [39]大阪ガスは4000万円の出資を決定した
- [40]2002年1月に夢の街の社長就任を決めた
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- [41]創業者から抜群の企画力と行動力を見込まれて2代目の社長に就任した
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [21]中村利江氏は「ほっかほっか亭」を展開するハークスレイに転職し、マーケティング部の管理職を務めた
- [29]2001年に経営コンサルティング会社、有限会社キトプランニングを設立して独立した
- [30]夢の街創造委員会はクライアントの1社で、当時の社長から社外取締役になってほしいと頼まれ、引き受けた
- [32]「出前館」は大化けする可能性があると考えていた
- [33]当時の中村氏は毎月50万円くらいの給料を取り、会社の年商も3000万円ほどだった
- [34]夢の街は月商で20万円を超える程度だった
- [35]夢の街は2億8000万円の負債を抱え、そのままでは倒産してしまうような危うい経営状態だった
- [36]ベンチャー企業支援に力を入れていた大阪ガスにプレゼンして出資を仰いだ
- [37]社長は出資が決まれば最後のチャンスだとして、中村氏に社長就任を求めた
- [38]「出前館」はインフラビジネスで、やりようによっては年商20億円、200億円、2000億円も夢じゃないと考えた
- [39]大阪ガスは4000万円の出資を決定した
- [40]2002年1月に夢の街の社長就任を決めた
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- [22]ハークスレイで次々に提出した企画書の一つが、パソコンや携帯電話を利用したネット受注のシステムだった
- [23]すでに「出前館」が稼働していることを知った
- [24]自社独自のシステムよりも多くの店舗が参加するポータル的な出前サイトのほうがコストも集客性も優れていると判断した
- [25]独自のシステムよりポータル的な出前サイトのほうがコストも集客性も優れていると判断し、出前館に加入した。最初は顧客であった
- [26]出前館に加入し、最初は顧客であった
- [27]利用者の視点から見るとサービスの不備やシステムの欠陥がよく目に付いた
- [28]不備を指摘し改善していくうちに出前館のアドバイザー的な存在になった
- [31]夢の街創造委員会は赤字続きだった
- [41]創業者から抜群の企画力と行動力を見込まれて2代目の社長に就任した
ファクス送信と電話確認の二重チェック、創業以来初の黒字
中村社長がまず手を付けたのは、社員の総入れ替え[42]だった。自分の給料を社内で一番安い10万円に設定し、誰よ[43]りも働いた。やる気のない社員は辞め、一緒に頑張ろうという社員だけ[44]が残った。仕組みも作り替えた。先代の社長の時代には加盟店に小型パソコンを配布[46]しており、競合他社も同じようにパソコンを無料で配っ[47]ていた。しかし飲食店の現場は忙しく、油も熱もあり、パソコンなど開かない[48]。中村社長は、ネットで受けた注文をメールで加盟店に知らせる仕組みを改め、自動でファクス送信し、電話で確認する二重チェックに変えた[49]。 [45]
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [42]社長として経営を立て直すためにまず始めたのは社員の総入れ替えだった
- [43]自分の給料を社内で一番安い10万円に設定し、誰よりも一所懸命働いた
- [44]やる気のない社員は辞め、一緒に頑張ろうという社員だけが残った
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- [45]ネットで受けた注文をメールで加盟店に知らせる仕組みを改め、自動でファクス送信し電話で確認する二重チェック体制にした
- [49]ネットで受けた注文をメールで加盟店に知らせる仕組みを改め、自動でファクス送信し電話で確認する二重チェック体制にした
- Reed : Kansai University newsletter 2018年6月号(関西大学)「Tops Interview 挑み続ける生き方 対談 中村利江・芝井敬司学長」
- [46]先代の社長の時には小型パソコンを加盟店に配っていた
- [47]競合他社も同じようにパソコンを無料であちこちに配っていた
- [48]飲食店の現場は忙しく、油も熱もあるためパソコンを開かない
ファクスと電話による取り次ぎは周囲に反対[50]された。中村社長は自分でやってみて小さな成功事例を積み上げ、周囲を説得した[51]。この方式に変えてから、注文の見落としがなく[52]なった。加盟店を増やす営業も同時に進めた。登録した飲食店に注文が入るよう、その店のチラシを自作して近所に配った[54]。ネット注文の受け付けを知らせるチラシは、社内の簡易印刷機で刷って地域に配って回った[55]。何度足を運んでも門前払いだったピザハットには、マイクロソフトのMSNと出前館の提携契約を取り付けた[56]うえで、MSN経由でアポイントを取った。テストとして10店舗の出店を得ると、ほかの大手ピザチェーンも加[57]盟した。 [53]
- Reed : Kansai University newsletter 2018年6月号(関西大学)「Tops Interview 挑み続ける生き方 対談 中村利江・芝井敬司学長」
- [50]ファックスと電話の取り次ぎは周囲に反対された
- [51]自分でやってみて小さな成功事例を積み上げ、皆を説得した
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- [52]二重チェック体制にしたら注文を見落とすことがなくなった
- [55]ネット注文受け付けを知らせるチラシを社内の簡易印刷機で刷って地域に配って回った
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [53]登録してくれた飲食店に注文が入るよう、その店のチラシを自作して近所に配った
- [54]登録してくれた飲食店に注文が入るよう、その店のチラシを自作して近所に配った
- [56]何度足を運んでも門前払いだったピザハットに対し、マイクロソフトのMSNと「出前館」の提携契約を取り付けてMSN経由でアポを取った
- [57]テストとして10店舗だけ出店してもらい、効果が良かったためほかの大手ピザチェーンも加盟店になった
3億円近い負債は解消[58]し、社長就任から3年目の2005年、夢の街創造委員会は創業以来初の黒字を計上した[59]。花蜜社長が2000年春に見込んだ年内の黒字化[60]は、5年遅れで実現した。翌2006年6月、大阪証券取引所ヘラクレス市場に株式を上[61]場した。2006年8月期の売上高は649,446千円、経常利益は149,872千円、当期純利益は152,432千円[62]である。中村社長が就任した頃に月商20万円ほどだった会社が、年商6億円の規模になった[63]。料理を運ぶのは加盟店であり、夢の街創造委員会が担ったのは注文の取り次ぎと手数料の回収だった[64]。
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [58]3億円近くの負債を解消した
- [59]社長就任後3年目の2005年に創業以来初となる黒字化を達成した
- [63]社長就任当時の夢の街は月商20万円を超える程度だった
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [60]花蜜社長は2000年4月時点で年内にも黒字化を達成して早期に株式上場する考えだった
- [64]加盟店はインターネット経由の売上高の原則5%を夢の街へ支払い、料理の配達は加盟店自身が行った
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書【沿革】
- [61]2006年6月に大阪証券取引所ヘラクレスに株式上場した
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書(2006年8月期)【主要な経営指標等の推移】
- [62]第7期(2006年8月期)売上高649,446千円・経常利益149,872千円・当期純利益152,432千円(提出会社)
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- [42]社長として経営を立て直すためにまず始めたのは社員の総入れ替えだった
- [43]自分の給料を社内で一番安い10万円に設定し、誰よりも一所懸命働いた
- [44]やる気のない社員は辞め、一緒に頑張ろうという社員だけが残った
- [53]登録してくれた飲食店に注文が入るよう、その店のチラシを自作して近所に配った
- [54]登録してくれた飲食店に注文が入るよう、その店のチラシを自作して近所に配った
- [56]何度足を運んでも門前払いだったピザハットに対し、マイクロソフトのMSNと「出前館」の提携契約を取り付けてMSN経由でアポを取った
- [57]テストとして10店舗だけ出店してもらい、効果が良かったためほかの大手ピザチェーンも加盟店になった
- [58]3億円近くの負債を解消した
- [59]社長就任後3年目の2005年に創業以来初となる黒字化を達成した
- [63]社長就任当時の夢の街は月商20万円を超える程度だった
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- [45]ネットで受けた注文をメールで加盟店に知らせる仕組みを改め、自動でファクス送信し電話で確認する二重チェック体制にした
- [49]ネットで受けた注文をメールで加盟店に知らせる仕組みを改め、自動でファクス送信し電話で確認する二重チェック体制にした
- [52]二重チェック体制にしたら注文を見落とすことがなくなった
- [55]ネット注文受け付けを知らせるチラシを社内の簡易印刷機で刷って地域に配って回った
- Reed : Kansai University newsletter 2018年6月号(関西大学)「Tops Interview 挑み続ける生き方 対談 中村利江・芝井敬司学長」
- [46]先代の社長の時には小型パソコンを加盟店に配っていた
- [47]競合他社も同じようにパソコンを無料であちこちに配っていた
- [48]飲食店の現場は忙しく、油も熱もあるためパソコンを開かない
- [50]ファックスと電話の取り次ぎは周囲に反対された
- [51]自分でやってみて小さな成功事例を積み上げ、皆を説得した
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- [60]花蜜社長は2000年4月時点で年内にも黒字化を達成して早期に株式上場する考えだった
- [64]加盟店はインターネット経由の売上高の原則5%を夢の街へ支払い、料理の配達は加盟店自身が行った
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書【沿革】
- [61]2006年6月に大阪証券取引所ヘラクレスに株式上場した
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書(2006年8月期)【主要な経営指標等の推移】
- [62]第7期(2006年8月期)売上高649,446千円・経常利益149,872千円・当期純利益152,432千円(提出会社)