出前館デリバリー総合サイト「出前館」の開設と、加盟店に初期負担・会費を課さない取り次ぎ条件の設定
ネットの知識も設備も持たない飲食店を、どうすれば千単位で加盟させられるか——花蜜伸行社長が置いた条件
- 概要
- 1999年9月に大阪市住之江区で設立された夢の街創造委員会が、2000年10月にデリバリー総合サイト「出前館」を開設した経営判断。複数の飲食店の出前注文をインターネットで受け付けて店へ取り次ぐ仕組みで、加盟する店には初期負担も会費も課さず、ネット経由の売上高の原則5%だけを受け取る条件を置いた。花蜜伸行社長が主導した。
- 背景
- 当時の出前は、店が刷ったチラシを近隣に配り、客が電話をかける商売であった。チラシの費用は重く、注文の伸びは配布量に縛られる。一方で飲食店の側にはインターネットの知識も設備もなく、加盟を千単位で広げるには、店に持ち出しを生じさせない設計が要った。
- 内容
- 加盟に初期負担も会費も求めず、各店がすでに配っているチラシ(平均5万枚程度)に出前館のURLを刷らせ、ネット経由の売上高の原則5%を受け取る。ホームページの作成と保守は夢の街創造委員会が負い、受注はNTTドコモの携帯メール端末「エクシーレ」を無償で貸して受け取らせた。2001年1月からは月会費3000円を徴収する計画も置いた。
- 含意
- 2000年4月時点で約10社500店以上が加入し、花蜜社長は4月中の加盟1000店を掲げた。年内の黒字化と早期上場という見込みは外れ、2億8000万円の負債を抱えて2002年1月に中村利江氏が二代目社長に就いた。注文の届け方を自動ファクス送信と電話確認へ改めた後、2005年8月期に創業以来初の黒字を計上した。
断る理由を残さない条件と、届け方の見誤り
加盟店に一円も先に払わせないことが、この設計の要であった。飲食店が受け取るのは無償のホームページと携帯メール端末「エクシーレ」で、差し出すのはすでに刷っている5万枚のチラシの余白に印刷するURLだけであり、夢の街創造委員会が取るのはネット経由で売れた分の5%にとどまる。ネットの知識も設備も持たない店を千単位で集めるには、店側が断る理由を一つも持たない水準まで条件を下げるほかなく、花蜜伸行社長は費用をその一点に寄せたとみられる。
ただ、その条件のうち、注文を店へ届ける部分は現場の実態と合わなかった。年内の黒字化と早期上場という見込みは外れ、2億8000万円の負債が残り、二代目の中村利江社長が自動ファクス送信と電話確認へ改めるまで、注文の見落としは消えていない。加盟の敷居を下げる判断と、受注を機器に委ねる判断は別のものであり、前者が正しくても後者は調理場に届かなかったといえる。無償で始めた条件も、2006年8月期には新規加盟料を含む収入へ置き換わっていた。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
電話とチラシで注文を取る商売
夢の街創造委員会は1999年9月、大阪市住之江区に資本金1億円で設立された。当時の出前は、飲食店が刷ったチラシを近隣に配り、客がそれを見て電話をかける商売であった。注文の入り口はチラシの配布量に縛られ、いま頼めばどれだけ待つのかを客が事前に知る手立てもない。店と客を取り次ぐ第三者がいない以上、両者の接点はチラシ1枚に限られていた[1]。
チラシにかかる費用は小さくない。飲食店が配るチラシは1店あたり平均5万枚程度にのぼり、出前を手がけるある洋食店は、制作費とポスティング費に毎月30万円ほどを投じていた。それでいてチラシから入る注文はわずか数件にとどまっていたという。配布量を増やす以外に注文を増やす方法がなく、費用と注文の釣り合いは崩れていた[2][3]。
ネットを持たない店を相手にする
取り次ぐ側から見ると、相手にする飲食店はインターネットとほとんど縁がなかった。加盟店が1万店に近づいた2010年の時点でも、加盟店のほとんどはインターネットを使っておらず、新しく複雑な仕組みを嫌う業界であると中村利江社長は述べている。1999年当時であればなおのことで、店にネットの知識や設備を求める設計は成り立たなかった[4]。
束ね方にも選択肢はあった。ほっかほっか亭を運営するハークスレイでネット受注の仕組みを企画していた中村利江氏は、自社で独自のシステムを持つよりも、多くの店舗が参加するポータル型の出前サイトのほうが費用でも集客でも優れると判断し、出前館へ加入した。取り次ぐ側は一つあれば足りるという見方が、外部の事業会社からも出ていた。複数の店の出前をインターネットで受け付けるサイトは、当時日本で初めてと報じられている[5][6]。
決断
店に持ち出しを生じさせない加盟条件
仕組みそのものは単純であった。客がチラシに刷られたURLからサイトへ入ると、その時間に客の所在地周辺で出前できる店のページにつながり、そこから注文が入る。夢の街創造委員会が置いた加盟の条件は、初期負担も会費も求めないことであった。飲食店がすることは、すでに配っているチラシに出前館のURLを刷ることだけで、ホームページの作成と保守は夢の街創造委員会が引き受けた。ネットの知識がなくても加盟でき、店の側に持ち出しは一切生じない[7][8]。
受け取るのはインターネット経由の売上高の原則5%だけであった。注文が入らなければ収入も立たない設計で、店から見れば損の出ようがない。客の支払いは通常の出前と同じ現金決済とし、価格には原則として割引が付いた。2001年1月からは月会費3000円を徴収する計画も併せて置いており、無償のまま続ける前提は取っていない[9]。
受注を店へ届ける手段と、立ち上げの目標
残る問題は、入った注文をどうやって店に届けるかであった。夢の街創造委員会はNTTドコモの携帯メール端末「エクシーレ」を加盟店へ無償で貸し出し、注文を受け取らせるとともに、料金設定の変更など自社ページの中身も店が操作できるようにした。導入した店では、注文の20%弱がネット経由に置き換わったという[10]。
加盟はピザ店や弁当店を中心に進み、2000年4月の時点で約10社500店以上が加入していた。花蜜伸行社長は4月中に加盟1000店を掲げ、ポータルサイトへ出前館そのものを出店させて利用者を増やし、年内にも黒字化して早期に株式を上場する考えを示した。デリバリー総合サイトとしての開設は同年10月であった[11][12]。
結果
見込みが外れ、二代目へ
年内の黒字化も早期の上場も、見込んだ時期には訪れなかった。第3期にあたる2002年8月期の売上高は88,130千円、経常損失は33,944千円で、第4期は101,241千円と36,419千円、第5期は144,758千円と77,000千円と、損失はむしろ膨らんだ。店に負担を求めない条件は加盟の敷居を下げた一方、手数料が費用を上回るには加盟店数と注文件数の双方が要り、その水準には遠かった[13]。
資金の側はさらに厳しかった。夢の街創造委員会は2億8000万円の負債を抱え、そのままでは立ち行かない状態にあった。ベンチャー企業の支援に力を入れていた大阪ガスが4000万円の出資を決め、これを受けて、社外取締役として関わっていた中村利江氏が2002年1月に二代目社長へ就いた。中村社長は自らの報酬を社内で最も低い額に置いている[14][15]。
注文の届け方を作り替える
中村社長がまず改めたのは、注文の届け方であった。先代の社長の時代には小型パソコンを加盟店へ配っており、競合他社も同じように無償で配っていたが、油と熱のある調理場で店員がパソコンを開くことはない。ネットで受けた注文を自動でファクス送信し、電話で確認する二重チェックへ切り替えたところ、注文の見落としが消えた[16][17]。
ファクスと電話への切り替えは周囲に反対されたが、中村社長は小さな成功事例を積み上げて説得した。2005年8月期に経常利益29,897千円を計上して創業以来初の黒字を確保し、2006年6月に大阪証券取引所ヘラクレスへ上場した。2006年8月期は宅配ピザの上位10チェーンがすべて加盟店となり、売上高649,446千円、経常利益149,872千円を計上した[18][19][20][21]。
- 日経ビジネス 2000年4月10日号
- ドリームゲート起業家インタビュー 2010年1月11日 第100回「夢の街創造委員会株式会社 中村利江」
- Reed : Kansai University newsletter 2006年7月号(関西大学)「リーダーズ・ナウ 夢の街創造委員会株式会社 代表取締役社長 中村利江さん」
- Reed : Kansai University newsletter 2018年6月号(関西大学)「Tops Interview 挑み続ける生き方 対談 中村利江・芝井敬司学長」
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書(2006年8月期)【主要な経営指標等の推移】
- 夢の街創造委員会 有価証券報告書(2006年8月期)【業績等の概要】
- 出前館 有価証券報告書(2020年8月期)【沿革】