NTTドコモiモード・W-CDMAの世界展開を狙った海外通信事業者への約1.9兆円出資
独り勝ちの資金力で世界標準を買えるか——蘭KPNモバイル・米AT&Tワイヤレスへのマイノリティ出資が残したもの
- 概要
- 1999年末から2001年にかけて、NTTドコモがiモードとW-CDMAの世界展開を掲げ、香港ハチソンテレフォン・蘭KPNモバイル・米AT&Tワイヤレス・英ハチソン3G UKなど海外の通信事業者へ累計約1.9兆円を出資した経営判断。立川敬二社長が主導し、出資が集中した2000年に対外的に明確化した。
- 背景
- 国内シェア約6割・時価総額30兆円という独り勝ちの一方、国内市場の飽和が見えていた。英ボーダフォンによる世界再編が進むなか、自社が主導した次世代規格W-CDMAとiモードの普及を後押しする狙いから、海外に成長機会を求めた。
- 内容
- 経営権を取らない15〜20%のマイノリティ出資を軸に、2000年5月に蘭KPNモバイルへ15%(約40億ユーロ)、同年11月に米AT&Tワイヤレスへ16%(約98億ドル・約1兆792億円)の出資を発表。iモードの輸出とW-CDMA方式の採用を共同事業の柱に据えた。
- 含意
- ITバブル崩壊で通信株が暴落し、2002年3月期・2003年3月期に合計1兆円超の減損・評価損を計上した。マイノリティ出資ゆえに出資先への発言力を欠き、2004年のAT&Tワイヤレス株売却で整理へ向かった。本業の絶好調と巨額損失が同居した、日本企業の海外投資史に残る判断である。
規格を買おうとした投資が残したもの
この判断の核心は、独り勝ちの資金力で「規格」を買おうとした点にあるとみることができる。経営権を取らない15〜20%の出資は、W-CDMAとiモードの普及を後押しする布石としては一応の筋が通っていた。ただ、その実行が通信株バブルの頂点と重なり、時価の膨らんだ株式を1兆円単位で引き受ける形になったことは、時期の不運と切り離せない。そして本業の絶好調が巨額損失を吸収できたために、投資規律への問いが株主から厳しく突きつけられないまま過ぎた面もうかがえる。
一方で、この失敗はドコモだけのものではなかった。同時期には欧州の通信事業者も第3世代の免許と買収に巨費を投じ、多くが減損に沈んでいる。ドコモの特異さは損失の大きさよりも、マイノリティ出資ゆえに出資先の経営へ関与できず、経験を積む機会も得られないまま撤退した点にあった。海外へ出る企業が経営権と出資比率をどう設計するか。約1.9兆円の出資が残したこの問いは、その後の日本企業のクロスボーダーM&Aにも通じているといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
独り勝ちの国内と成長の天井
1998年10月に東京証券取引所へ上場したNTTドコモは、翌1999年2月に始めたiモードで携帯電話をインターネット端末へ変えた。携帯電話網とインターネット網の接続点にゲートウェイを置き、コンテンツと課金の場を自社で握る構えは、回線を貸すだけの通信事業者と一線を画していた。上場時に国内外の市場から調達した資金は2兆1,255億円にのぼり、1999年12月の時点で時価総額は30兆円に達し、米マイクロソフトの48兆円と並べて論じられる水準にあった[1][2][3][4]。
一方で、国内には天井が見えていた。ドコモの国内シェアは立川敬二氏(社長)の就任時で56.80%と圧倒的であったが、契約数の伸びはいずれ市場の飽和に突き当たる。固定電話側では、1999年3月期にNTTの固定電話とISDNの合計加入者数が初めて減少へ転じており、グループの成長がドコモ一社に掛かる構図は年々強まっていた。国内の巨人が次の成長をどこに求めるかが、経営の主題になりつつあった[5][6]。
ボーダフォンの世界再編とW-CDMAという賭け金
世界に目を移すと、再編の主役は英ボーダフォンであった。2000年2月に独マンネスマンの買収が決まり、独占禁止法上の問題から傘下の英オレンジが売却対象になると、ドコモにも欧州進出の入り口が開けた。辻村清行氏(国際ビジネス部長)は海外資本政策について「現地の経営に100%責任が持てれば、経営権を完全取得。が、そうでなければ連結決算に反映できる15〜20%超の株式取得を選ぶ」と語り、規模を追う全面買収とは別の道筋を描いていた[7][8]。
出資の背後には規格の勝負があった。日本の第2世代PDC方式は世界で孤立していたが、次世代ではW-CDMA規格で日欧が統一される。世界に先駆けて次世代サービスを準備するドコモにとって、iモードのノウハウと合わせ、各国事業者への出資は自社主導の規格を普及させる手段でもあった。ただし海外進出の経験は浅く、立川敬二氏(社長)は経営権を取らないマイノリティ出資を貫く方針をかねて掲げていた。この慎重さが、後の明暗の両方につながっていく[9][10]。
決断
「世界連合」構想と連続出資
出資は1999年12月の香港ハチソンテレフォンへの19%資本参加から始まった。2000年5月には、オランダ携帯電話最大手KPN傘下のKPNモバイルへの15%出資と役員派遣を発表する。週刊東洋経済は同月、これを「ほんの序曲」と位置づけ、米ボイスストリーム、フィンランドのソネラ、韓国SKテレコムを巻き込んだ六社連合で英オレンジの共同買収を狙う「世界連合」構想を報じた。単独の全面買収ではなく、W-CDMA採用を条件とする出資の網を世界に広げる構想であった[11][12]。
立川敬二氏(社長)は会見で「M&Aで他社をのみ込んで加入者を増やす狙いはない」と語り、日本だけが次世代携帯電話へ移行しても意味がなく、世界中で早く次世代が普及するよう後押しすることがドコモの世界戦略であると出資の目的を規格の普及に置いた。加入者数の規模でボーダフォンを追うのではなく、iモードで先行したモバイルマルチメディアの主導権を次世代でも握る発想であった。世界中の携帯電話会社からラブコールを送られているという自負が、この構想を支えていた[13][14]。
米AT&Tワイヤレスへの1兆円出資
連続出資の頂点は米国であった。2000年11月30日、ドコモは米携帯電話3位のAT&Tワイヤレスへ約98億ドル(約1兆792億円)を出資し、株式16%を取得すると発表した。両社は米国でiモードを中心としたモバイルマルチメディアサービスの普及と、W-CDMA方式による次世代携帯電話システムの構築を共同で進めるとし、早ければ2002年にも米国内でサービスを始める計画を示している。日本企業による海外出資として、当時最大級の規模であった[15][16]。
出資の狙いはiモードの輸出であった。AT&Tワイヤレスはデータ通信事業を移す子会社を設立し、その最高技術責任者はドコモが指名する取り決めになっている。ISP世界最大の米AOLとの提携も重なり、証券アナリストは「三強連合の誕生」と称賛した。出資は2001年1月に完了し、1年半での海外出資は欧米アジアで累計約1.9兆円に達している。立川敬二氏(社長)は含み損を問われ「われわれは短期の投機家じゃない」と、あくまで長期の戦略投資であると強調した[17][18][19]。
結果
通信株暴落と1兆円超の損失
出資の直後から、ITバブルは崩壊へ向かった。世界的な通信株の下落で、1株平均約24ドルで出資したAT&Tワイヤレス株は2001年7月末に18ドル台まで下げ、ドコモの含み損は約2,837億円に達した。同月末の会見で立川敬二氏(社長)は「必要があれば、時価会計に基づいて減損する」と評価損計上の可能性を否定していない。財務が悪化した蘭KPNでは株式時価総額が連結純資産を下回り、のれん代の評価損が7,000億円超と見込まれる状態にあった[20][21]。
損失は2002年3月期に表面化した。本業は売上高が5兆円の大台に乗り営業利益も1兆円を超える絶好調であったが、同じ決算に持分法による投資損失1,259億円と関係会社株式評価損8,129億円が並んだ。内訳はAT&Tワイヤレスで5,056億円、KPNモバイルで2,627億円。前期に9,300億円の公募増資で市場から集めた資金を、1年余りでほぼ失った計算にあたる。米国会計基準の連結でも、海外出資先の減損を2002年3月期に6,246億円、翌2003年3月期にも3,196億円計上した。立川敬二氏(社長)は「2000年当時にこの事態を予想できたとしたら神様だ」と弁明している[22][23][24]。
発言力を欠いた出資の整理
損失に加えて、出資が狙った影響力も残らなかった。出資先の資本構成の変化により蘭KPNモバイルと台湾KGテレコムへの影響力を相次いで失い、筆頭株主であった米AT&Tワイヤレスも身売りが決まった。海外で機能したのはiモードの提携輸出のみで、2004年1月末の加入者数は200万人と、英ボーダフォンの類似サービス「ボーダフォンライブ!」の450万人に水をあけられている。週刊東洋経済はこの帰結を、海外進出経験の浅さを理由にマイノリティ出資へとどめた代償と総括した[25][26]。
2004年10月、米シンギュラー・ワイヤレスによるAT&Tワイヤレス買収に伴い、ドコモは保有株式を1株15ドル、総額約64億9,500万ドル(約6,950億円)で売却した。2004年度にはこの売却により5,018億円の売却益を計上し、巨額出資は4年ほどで回収と整理へ回っている。立川敬二氏(社長)の退任が固まった2004年4月、週刊東洋経済は、国内の巨人であるがゆえに海外へ成長機会を求めた判断自体は自然であったとしつつ、発言力を欠いたまま「海外出資先のタニマチで終わった」と6年の采配を評した[27][28][29]。
- 週刊東洋経済 1998年10月24日号「[フラッシュ]ドコモ上場で真に笑うのは誰か?」
- 週刊東洋経済 1999年8月7日号「[特集]通信活性化の条件 ドコモをNTTから分離せよ! 通信産業活性化の新条件」
- 週刊東洋経済 1999年12月18日号「[データ&ランキング]マイクロソフト48兆円vsNTTドコモ30兆円 時価総額上位企業を日米で比較する」
- 週刊東洋経済 2000年2月19日号「棚ボタ欧州戦略、視界良好! NTTドコモが狙う英携帯電話取得の成算」
- 週刊東洋経済 2000年5月20日号「スクープ! NTTドコモが描く「世界連合」構想の全貌」
- 週刊東洋経済 2000年12月16日号「陰影 米AT&Tワイヤレスに出資 破竹のドコモに忍び寄る「電話網」iモードの限界」
- 週刊東洋経済 2001年4月28日号「INTERVIEW NTTドコモ社長 立川敬二 第3世代、国際戦略、分割。ドコモの本音を話そう」
- 週刊東洋経済 2001年8月11日号「通信株暴落で含み損! ドコモ海外投資の全貌」
- 週刊東洋経済 2002年6月15日号「[特集]決算書に強くなる PART2 実践編 NTTドコモ 営業利益1兆円でも盤石といえない理由」
- 週刊東洋経済 2004年4月24日号「NTTドコモ、社長交代へ 慎重すぎた“孝行息子”立川采配6年間の後に残ったものとは」
- 日経クロステック(2000年11月30日)「NTTドコモが米国へiモードを輸出,AT&Tワイヤレスに1兆円出資」
- ITmedia(2004年10月27日)「CingularのAT&T買収、ドコモが株7000億円分を売却」
- エヌ・ティ・ティ・ドコモ アニュアルレポート2001(2001年3月期)
- エヌ・ティ・ティ・ドコモ アニュアルレポート(2002年度版)
- エヌ・ティ・ティ・ドコモ アニュアルレポート(2004年度版)