米バイオ医薬MGIファーマの約39億ドル買収によるがん領域の強化
アリセプトの特許切れを前に、内藤晴夫社長はなぜ日本の製薬として最大級の賭けに出たか
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- 概要
- 2007年12月、エーザイが米バイオ医薬企業MGIファーマを総額約39億ドル(約4350億円)で買収すると発表し、翌2008年1月に完全子会社化した経営判断。認知症薬「アリセプト」の特許切れを控え、内藤晴夫社長が成長分野のがん・救急領域の製品と米国事業基盤を一括で取得した、当時の日本の製薬として最大級のクロスボーダーM&Aである。
- 背景
- 日本の医薬品市場は薬価引き下げと後発品の使用促進で頭打ちとなり、大手は海外事業の強化で成長を続けてきた。だが1990年代に発売した主力品が2011年末までに相次いで特許失効を迎え、エーザイの収益基盤であるアリセプトも最大市場の米国で2010年度に物質特許切れを控えていた。
- 内容
- 買収は1株41ドル・総額約39億ドルの現金対価で、公開買付けとそれに続く合併により実施された。MGIファーマはがん化学療法に伴う制吐剤、骨髄異形成症候群の治療剤、悪性神経膠腫の治療薬などを持ち、エーザイが手薄だったがん領域の品ぞろえを一気に厚くする内容であった。
- 含意
- MGIファーマの2006年度売上は400億円弱で赤字だったが、内藤晴夫社長は今後5年で年平均35%以上の成長を見込むとした。買収に伴う仕掛研究開発費874億円の一括計上で2008年3月期は最終赤字に転落し、成長分野を先取りする代償が単年度業績に表れた。
買った成長と、育てた成長
この買収の芯にあるのは、アリセプトという一剤の成功が生む特許の崖を前に、成長分野のがんと米国市場を金で買って時間を稼ぐという選択であった。自前の研究開発が実を結ぶには長い年月がかかる領域で、すでに製品と販路を持つ企業を丸ごと取り込む道を選んだことになる。874億円の一括計上で単年度の利益を吹き飛ばしてでも先を取ろうとした判断に、特許切れへの危機感と、内藤晴夫社長の勝負師としての一面がうかがえる。
もっとも、買収で得たがん領域が、その後のエーザイの成長をそのまま担ったとは言い切れない。同社のその後の伸びは、自社で創り出した抗がん剤や、長く投資を続けた認知症領域の新薬に負う面が大きかったとみられる。MGIファーマの買収は米国事業の基盤を厚くした一方で、投じた巨費に見合う果実をどこにどれだけ結んだのかは、単年度の赤字という入り口ではなく、その後の事業構成の広がりのなかで測られ続けるとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
特許の崖と国内市場の頭打ち
日本の医薬品市場は、薬価の引き下げとジェネリック(後発)医薬品の使用促進が相次ぎ、すでに成長市場ではなくなっていた。国内の製薬大手は海外ビジネスの強化で成長を続けてきたが、その海外にも別の難題が待ち構えていた。各社の主力品は1990年代に発売したものが多く、2011年末までに次々と特許失効を迎える見通しであった。エーザイの収益基盤である認知症薬アリセプトも、最大市場の米国で2010年度に物質特許切れを控えていた[1]。
海外での特許失効は、国内よりも反動が大きかった。失効後は急速に後発品が取って代わるため、失効前の売上高が大きいほど、その落ち込みは深くなる。エーザイは2007年3月期に連結売上高6741億円・営業利益1053億円と過去最高圏の業績にあったが、この収益はアリセプトへの依存度が高く、数年後には特許の崖に直面するリスクを抱えていた。目先の好業績の裏で、次の成長軸をどこに求めるかが経営の焦点になりつつあった[2]。
抗体医薬ブームとがん領域へのシフト
同じころ、医薬業界では「抗体医薬」が大きなブームとなっていた。人の免疫力を生かす免疫療法の一つで、副作用が少なく目的の患部にピンポイントで作用するため、がんなど治療が難しい疾患への効果が期待された。従来の医薬品市場は高血圧や高脂血症といった生活習慣病が中心であったが、今後はがんや精神疾患など治療満足度の低い分野の成長性が注目され、各社の関心はそちらへ移りつつあった[3]。
各社は相次いで動いた。2007年11月にはアステラス製薬ががん領域の抗体医薬ベンチャーを買収し、武田薬品工業も米国に抗体医薬の研究会社を設立した。キリンによる協和発酵工業の買収も、両社が持つ抗体医薬技術の融合に主眼があった。エーザイも同年3月にがん領域の抗体医薬ベンチャーを買収済みで、がんを次の柱に育てる布石をすでに打っていた。MGIファーマの買収は、この流れをさらに推し進める一手であった[4]。
決断
39億ドルの買収発表
2007年12月10日(米国時間)、エーザイは米ミネソタ州のバイオ医薬企業MGIファーマを、総額約39億米ドル・1株41ドルの現金で買収する最終契約を締結したと発表した。買収は公開買付けと、それに続く現金を対価とする合併の方式で行われる。買収額を円換算すると約4350億円にのぼり、医薬業界でも突出した規模であった。同社の2007年3月期連結売上高6741億円の6割を超える金額を一つの買収に投じる、当時の日本の製薬として最大級のクロスボーダーM&Aであった[5][6]。
MGIファーマは、がんと救急の領域に製品と開発品を抱えていた。がん化学療法に伴う悪心・嘔吐を抑える制吐剤、骨髄異形成症候群の治療剤、脳腫瘍の一種である悪性神経膠腫の治療薬などを持ち、新薬候補には免疫療法につながる治療用DNAワクチンもあった。がん治療に伴う支持療法から抗がん剤までが一度に加わることで、エーザイが手薄だったがん領域の品ぞろえが厚みを増した[7]。
大勝負という賭け
買収は、中期経営計画「ドラマティック リープ プラン」の達成確度を高め、2012年度以降の成長を確保する布石であった。内藤晴夫社長は、最重点領域と定めたがん領域ビジネスの基盤を強化し、計画の達成につなげたいとの期待を示した。アリセプトの特許切れが数年後に迫るなかで、次の成長軸をがんと米国市場に定め、それを自前の研究開発の成果を待たずに買収で先取りする判断であった[8]。
買収の対象は、必ずしも足元で稼いでいる企業ではなかった。MGIファーマの2006年度売上高は400億円弱で、収支は赤字であった。それでも内藤晴夫社長は「今後5年間平均で35%以上の成長を見込む」と述べ、「米国での2ケタ成長を確たるものにする」と語った。赤字の会社に約39億ドルを投じて成長分野の足場を買う判断は、大勝負と呼ぶにふさわしい賭けであった[9]。
結果
買収完了と完全子会社化
発表から約1カ月半後の2008年1月28日(米国東部時間)、エーザイは公開買付けと略式合併により、MGIファーマの買収手続きを完了した。MGIファーマは米国統括会社エーザイ・コーポレーション・オブ・ノースアメリカの完全子会社となり、それまで上場していたNASDAQ市場での取引を停止して上場廃止となった。発表時に描いた買収の枠組みは、大きな障害もなく短期間で実行に移された[10]。
約39億ドル・4350億円という買収額は、エーザイの年間売上高の6割を超える規模であった。成長分野の製品と開発品に加え、米国での営業・開発の基盤を一括で取り込む買収であり、アリセプト一剤への依存から脱するための先行投資の色彩が濃かった。買収資金の重さと、それが将来の成長に結びつくかどうかの不確かさとが、同時にのしかかる判断でもあった[11]。
会計上の代償と回収の見通し
買収の代償は、まず会計の面に表れた。米国会計基準の買収処理により、特定の研究開発活動の価値である仕掛研究開発費(IPR&D)874億円を、2008年3月期の研究開発費に一括計上した。これを受けて同期の連結営業利益予想は1170億円から177億円へ、最終損益は785億円の黒字予想から175億円の赤字へと下方修正され、当期は最終赤字での着地となった。買収がなければ営業利益は1108億円で前期比5%増だったと、会社は説明している[12][13]。
もっとも、この赤字は現金の流出を伴わない会計上の処理であり、営業キャッシュ・フローには影響しないとされ、配当も維持された。内藤晴夫社長は、投資費用について2016年までに回収できる見通しが立ったとし、「米国における成長性が確保できた」と述べて業容拡大への自信を示した。単年度の利益を犠牲にしてでも成長分野と米国基盤を先取りするという判断の是非は、その後の回収の成否に委ねられた[14]。
- 週刊東洋経済 2007年12月22日号「ニュース最前線 米医薬会社を巨額買収 エーザイの大勝負」
- エーザイ ニュースリリース(2007年12月)「エーザイ 米国バイオファーマMGIファーマを買収」
- エーザイ ニュースリリース(2008年1月)「エーザイ、MGIファーマの買収手続きを完了」
- エーザイ「米国MGI PHARMA, INC.の買収による完全子会社化に伴う平成20年3月期業績予想の修正に関するお知らせ」(2008年4月)
- 薬事日報(2008年4月24日)「【エーザイ】米国での成長性確保で08年3月期決算は赤字」
- エーザイ 有価証券報告書(2007年3月期・連結)
- エーザイ 有価証券報告書(2008年3月期・連結)