片倉工業富岡工場の建物を富岡市へ寄付し、翌年に社有地を売却して保有を終える

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時期 2005年9月
意思決定者(推定) 岩本謙三 社長
論点 非事業用資産の維持負担
概要
2005年9月、片倉工業は旧官営富岡製糸場を引き継いだ富岡工場の建物等を群馬県富岡市へ寄付し、2006年1月に同工場の社有地を同市へ売却して、1939年から66年に及ぶ保有を終えた経営判断。
背景
1987年3月の操業停止後、同社は『売らない』『貸さない』『壊さない』の3原則を掲げ、管理事務所を置いて18年間保存した。修繕などに年1億円以上を投じており、収益を生まない敷地の維持費が固定的な負担として残っていた。
内容
保存の対象である建造物は無償で市へ寄付し、財産としての土地は対価を得て売却する二段構えを採った。3原則のもとで売却も賃貸もできない建物について、保存を継ぐ主体へ引き渡すことで負担を解いた。
含意
収益を生まない不動産を手放す一方、コクーンシティや東京スクエアガーデンなど収益を生む不動産の保有は強めた。譲渡から8年後の2014年、富岡製糸場は世界文化遺産に登録された。
筆者の見解

自ら狭めた出口を、どう開けるか

この判断の難しさは、譲渡そのものよりも、その前の18年にあったとみることができる。『売らない、貸さない、壊さない』と決めた時点で、片倉工業は資産としての処分の手段を自ら封じ、年1億円以上の支出を期限なしで抱える立場を選んでいる。上場企業が収益を生まない資産にこれだけの期間と費用を投じ続けることは、株主に対して説明の要る選択であった。それでも方針を保った末に、無償で譲るという最後の一手で負担を解いたところに、この決断の性格がうかがえる。

寄付という形が選ばれたのは、保存の継承と費用の解消を同時に満たす道が他に見当たらなかったからでもある。建物を無償、土地を有償と分けた処理は、守るべきものと売れるものを冷静に切り分けた実務でもあった。企業が抱える非事業用の資産には、帳簿の数字だけでは決めきれない性格を持つものがある——手放し方の設計しだいで、負担の解消と社会的な継承は両立しうる。世界遺産という結末は後から与えられたものであり、2005年の時点でそれを織り込めたわけではないという点も、あわせて見ておきたい。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

出典・参考

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