半導体子会社NECエレクトロニクスのルネサステクノロジとの統合

規模で生き残るための統合か、祖業・半導体からの撤退か——矢野薫社長は自前半導体をどう手放そうとしたか

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時期 2009年4月
意思決定者 矢野薫 社長
論点 半導体事業の主導権と選択と集中
概要
2009年4月27日、日本電気(NEC)は半導体子会社のNECエレクトロニクスを、日立製作所と三菱電機の半導体会社ルネサステクノロジと統合させると発表した。存続会社をNECエレクトロニクスとし、2010年4月に世界第3位の半導体会社ルネサスエレクトロニクスを発足させる経営判断で、矢野薫社長のもとで決めた。
背景
リーマンショック後の需要蒸発で、NECエレクトロニクスもルネサステクノロジもそろって営業赤字に陥っていた。NEC本体も2009年3月期に2,966億円の連結最終赤字を計上し、巨額の投資が絶えず続く半導体を単独で支える余力は乏しくなっていた。
内容
存続会社NECエレクトロニクスがルネサステクノロジ(日立製作所55%・三菱電機45%出資)を吸収合併し、商号をルネサスエレクトロニクスへ改める。マイコンで世界首位を握る新会社は半導体全体で世界第3位となり、合計2,000億円の固定費削減と黒字化を掲げた。
含意
NECは存続会社を差し出しながらも、日立・三菱電機と主導権を分け合い、単独の半導体メーカーとしての立場を手放した。1980年代に世界首位を争った祖業からの実質的な撤退にあたり、のちに保有株も全て売却して半導体から完全に離れた。
筆者の見解

祖業を手放すという判断

この判断の中心にあるのは、垂直統合で自前に築いてきた半導体を、規模の論理のもとで手放したという事実である。NECは通信機から計算機、半導体までを一貫して内製し、コンピュータと通信の融合を掲げたC&Cの時代には、その自前の半導体が全社の強みを支えていた。リーマン後の赤字は、その強みを維持する費用が会社の体力を上回ったことを突きつけた。統合による世界第3位という規模は合理の帰結であった一方、単独で世界首位を争った祖業を他社と分け合う側へまわった点に、選択と集中の重さがうかがえる。

もっとも、手放したことが正解であったかどうかは、後年の姿からもなお判じがたい。NECが去ったあとのルネサスは、公的資金による再建を経て高収益企業へ変わり、マイコンでは世界首位を保った。自前で抱え続けていれば、その再生をNECが担えたのか、それとも共倒れに終わったのかは分からない。日の丸半導体の再編が今また国策として語られるなかで、規模を理由に祖業を束ね直したこの統合は、事業をだれが担い、どこまで自前で持つべきかという問いを、静かに残しているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

リーマン後の需要蒸発と、NECを覆った巨額の赤字

NECは2002年に半導体事業を本体から切り離し、専業のNECエレクトロニクスとして分社していた。その子会社を襲ったのが、2008年秋のリーマンショックに続く半導体需要の急落であった。多品種少量生産への対応で設計や生産の効率が下がっていたNECエレクトロニクスは、2008年度(2009年3月期)に684億円の営業赤字を計上した。分社によって独立採算を明確にしたはずの祖業が、市況の底で赤字に沈んでいた[1]

傷は子会社だけにとどまらなかった。NEC本体の2009年3月期は、連結売上高が4兆2,156億円へ落ち込み、最終損益は2,966億円の赤字となった。ITバブル崩壊で3,079億円を失った2002年3月期に次ぐ、リーマンショック直撃による巨額の連結赤字であった。全社がこれだけの赤字に沈むなかで、微細化のたびに巨額の設備投資と研究開発が求められる半導体を、NECが単独で支え続ける余力は乏しくなっていた[2]

規模でしか勝てない半導体という事業

統合の相手となるルネサステクノロジも、同じ苦境にあった。同社は2003年に日立製作所と三菱電機が半導体事業を分け出して統合した非上場の合弁会社で、国内では半導体2位、NECエレクトロニクスは同3位という位置にあった。国内の名門どうしが並んでいても、韓国・台湾勢が台頭する世界市場では、いずれも突出した規模を持てずにいた。リーマン後の市況悪化は、この両社をそろって赤字へ追い込んだ[3]

微細化のたびに製造装置と開発費が膨らむ半導体では、規模の大きさがそのまま競争力を左右する。単独では黒字化の見えない両社にとって、事業を束ねて重複を削ることが、生き残りの数少ない道であった。統合を発表したNECエレクトロニクスとルネサステクノロジは、合わせて2,000億円の固定費を削減して黒字転換を果たし、当時44%であった海外売上比率を6割まで引き上げる青写真を描いていた[4]

決断

両社統合という決断

2009年4月27日、NECエレクトロニクスとルネサステクノロジは、半導体事業を統合する方向で協議を始めることに合意したと発表した。同年7月までに統合契約を結び、2010年4月1日をめどに事業を一つにする段取りである。統合後の新会社は、マイコン、システムLSI、個別半導体という3つの製品群を抱え、半導体全体で世界第3位に立つ。国内2位と3位が手を結び、一気に世界の上位へ躍り出る構図であった[5]

統合の狙いを、NECの矢野薫社長は製品力の強化に置いた。矢野薫社長は、グローバルな半導体業界で勝てる製品力を高めることが目的だと述べ、規模の拡大それ自体でなく、世界で通用する強みづくりを前面に掲げた。実際、新会社はマイコンで31%という世界首位のシェアを握ることになり、車載や産業機器を動かす頭脳の分野に強みを絞る姿がすでに見えていた[6]

主導権を手放すスキーム

統合は、存続会社を差し出す形をとった。NECエレクトロニクスを存続会社に据え、日立製作所が55%、三菱電機が45%を出資するルネサステクノロジを吸収合併して、商号をルネサスエレクトロニクスへ改める。新会社の株主にはNEC、日立、三菱電機の3社が並ぶことになり、NECが単独で握ってきた半導体を、旧財閥系の二社と分け合う形が定まった[7]

存続会社を出しながらも、NECにとってこの統合は、半導体の主導権を手放す決断にほかならなかった。自前で持てば経営の重荷になる事業を、かつての競合であった日立・三菱電機とともに一つの器へ移し、単独の半導体メーカーという立場から退く。1980年代に世界シェア首位を争った祖業を、規模の論理のもとで他社と共有する側へまわった判断であり、この時期にNECが相次いで進めた選択と集中の、中核に位置していた[8]

結果

ルネサスエレクトロニクスの発足と、NECの離脱

2010年4月1日、統合会社ルネサスエレクトロニクスが発足した。NEC本体の業績はこの間に持ち直し、2010年3月期には114億円の最終黒字へ戻していた。もっとも、新生ルネサスの船出は平坦でなかった。経営難に陥った同社には2013年に産業革新機構が出資して筆頭株主となり、大規模な構造改革を経て2014年度にようやく黒字化する。それでもマイコンでは、統合前から受け継いだ世界首位の座を保ち続けた[9][10]

NECとルネサスの資本関係が完全に切れるのは、統合から14年後であった。2024年1月、NECと日立製作所は保有するルネサス株をすべて売却すると発表した。NECの持ち分は前年末で3.93%、日立は3.48%まで下がっており、両社は資本関係を保って支援する必要性が薄れたと判断した。産業革新機構の後継や三菱電機の売却と合わせ、旧親会社3社の株式は完全に手放され、NECは祖業・半導体から名実ともに離れた[11][12]

出典・参考