1億890万円という譲渡額は、満州事変後に満鉄が特殊会社へ投じた資本の大部分に当たる。価格を交渉した形跡は資料に見えず、譲渡分はそのまま満州国政府が満州重工業へ払い込む出資の原資になった。前年10月に産業部を組み上げ、五カ年計画の実行機関を自任した会社が一年で重工業から外された経緯を見れば、これは満鉄が選んで畳んだ撤退というより、1933年の改組案でいったんは退けられた構想が、資金難という別の入口から通されたものだと推察される。
ただ、満鉄に二つの任務を同時に負う体力が欠けていたことも事実である。社債発行予定1億3000万円のうちシンジケート団の引受が1500万円にとどまる起債力で、軍事鉄道の急速整備と重工業の急速育成を並行させるのは難しかった。重工業を降りた満鉄は、貨物輸送量を五年で2倍にし、公称資本金を14億円まで積み上げる。事業の幅と、1916年以来育ててきた製鉄を失った代わりに、鉄道会社としては戦時のあいだ最も太く動いたといえる。