ロシアが敷き、戦争の講和によって無償で移された鉄道である。事業を起こしたのではなく、荒廃した路線と年々一〇〇〇万ルーブル規模の欠損を引き受けたところから満鉄は始まった。児玉源太郎が構想した政府直轄の満州鉄道庁は、条約第七条が満州鉄道を商工業の目的に限ると縛った以上そのままでは置けない。形式を民営の会社とし実体を国家の別働隊とする解は、条文を満たしながら国営論の中身を温存する設計であり、国策を条約の内側へ収める作業だっただろう。
ただ、その設計は最初から歪みを抱えていた。後藤新平氏が東印度会社のような一元的な地位を求め、容れられぬまま条件付きで総裁に就任したことが示すように、東清鉄道が一手に握っていた経営権・行政権・警察権・守備権は満鉄と関東長官と領事と関東都督に分けられ、会社が担えたのは満州経営の一部だった。総裁人事も監督も政府が握りながら、その政府の側が一つにまとまっていない。国営を選べなかった代償は、会社の内側ではなく、満州経営そのものの統一を欠く形で残ったのかもしれない。