この判断の中心には、販売力で競争できる事業とそうでない事業の線引きがある。稲畑産業の医薬品部門は、全国に200数十名の医薬情報担当者を置き、業界から"メーカー"と呼ばれるほどの販売組織を持っていた。それでも、新薬を開発する力のあるメーカーとそうでないメーカーの差は、この時期から開いていく。開発機能を持たない商社が、開発力で勝負が決まる市場で販売だけを担い続けることの難しさを、早い段階で見切った判断であったのだろう。
手放し方も、単なる売却とは違っていた。住友化学工業と共同で会社を設立し、そこへ事業を移すという段取りは、長年一心同体で動いてきた相手との関係を断たずに直営から退く道であった。結果として稲畑産業は2005年に持分法からも離れ、医薬は完全に外部の事業となる。40年後の稲畑産業は合成樹脂と情報電子で連結売上の8割近くを占める会社になっており、1984年に空いた場所は別の商材で埋められた。強い販売網を持つ事業でも、供給側の構造が変われば手放す——化学品専門商社が繰り返し直面する判断の型が、ここに一つ示されているといえる。