メール便事業の売却と3PL特化への転換

郵政民営化を控えたメール便に見切りをつけ、鎌田正彦社長は何を手放し、何に賭けたか

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時期 2003年12月
意思決定者 鎌田正彦 社長
論点 メール便事業の先行きと3PL・M&A受け皿づくりへの転換
概要
2003年前後、SBSホールディングス(当時・株式会社エスビーエス)は、上場時点で中心事業の一つだったメール便事業を売却し、法人向け物流を一括受託する3PL事業への特化へ方針を変えた経営判断。鎌田正彦社長は、郵政民営化を控えたメール便市場の先行きに見切りをつけ、身軽になった財務体制を翌2004年以降の連続M&Aへ振り向けた。
背景
1987年創業のエスビーエスは、2003年12月の株式店頭登録の時点でなお売上高194億円の中堅事業者で、事業の柱の一つは信書・小口の荷物を届けるメール便であった。だが郵政民営化の議論が進むなかで、メール便市場は価格競争にさらされる構造的な逆風を抱えていた。
内容
鎌田正彦社長は、メール便がいずれ価格競争に飲み込まれ生き残れないと判断し、同事業を売却した。2004年7月には純粋持株会社へ移行し、翌月に遡る形で雪印物流の買収を皮切りに、大企業が切り出す物流子会社を取り込む3PL特化の受け皿体制を整えた。
含意
メール便という上場時の収益源を手放す「捨てる」決断は、その後20年にわたり反復される連続M&A戦略の最初の一歩になった。身軽な財務体制が買収余力を生み、雪印物流・東急ロジスティックの取得へつながった経緯に、この判断の射程がうかがえる。
筆者の見解

効率の論理と、公式記録に残らない決断

この判断の核心は、何を捨てるかを先に決めたことにある。信書・小口貨物を扱うメール便は、郵政民営化という制度変化の前で価格競争に沈む運命にあったとみられ、そこに固執しなかった判断が、その後20年におよぶ連続M&A戦略の土台を作ったといえる。捨てる決断が拡げる経営を可能にした事例とみることができる。

もっとも、メール便事業の売却先や金額、正確な時期は、同社自身の有価証券報告書【沿革】には記載が残っていない。鎌田正彦社長本人の回顧談としてのみ伝わるこの決断を、今日まで続く「大企業のノンコア物流子会社の受け皿」という同社の物語がどう引き継いだかに、この転換の重みがうかがえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

軽貨物即配から総合物流会社への歩み

1987年12月、鎌田正彦社長は東京都江東区に株式会社関東即配を設立した。軽貨物車両による即日配送を主力とする小規模な事業者としての出発であった。1989年4月には商号を株式会社総合物流システムへ改め、1999年12月には株式会社エスビーエスへと再び改称し、単発の即配業者から物流業務全般を請け負う総合事業者へと性格を広げていった[1][2]

2003年12月、同社は日本証券業協会への株式店頭登録(現JASDAQ)を果たした[3]。ただし登録時点の規模はなお小さく、その期の連結売上高は194億円、経常利益は4億円にとどまっていた。上場は資金調達力と信用力を得るための一歩であり、その先に控えるM&A戦略の土台になった[4]

上場時の主力・メール便と郵政民営化という逆風

この店頭登録の時点で、エスビーエスの事業の柱の一つは、信書や小口の荷物を届けるメール便事業であった。創業以来培った即配のノウハウを土台にした事業であり、法人向け物流の一括受託へ主力を移す以前の同社にとって、なお収益の中心を占める存在だったとみられる[5]

しかしメール便市場には、構造的な逆風が迫っていた。郵政民営化の議論が進むなかで、信書・小包の配送は価格競争にさらされる領域になりつつあり、鎌田正彦社長は、この事業がいずれ価格競争に飲み込まれ生き残れないと見立てていた[6]

決断

メール便を売るという決断

鎌田正彦社長は、この見立てのもとでメール便事業を売却する決断を下した。上場を機に主力事業の一つを手放すことは短期的な売上の縮小を意味したが、郵政民営化後の価格競争にさらされ続けるより、身軽な財務体制で新たな領域に資源を振り向ける道を選んだ判断であった[7]

この決断と歩調を合わせるように、2004年7月、株式会社エスビーエスは純粋持株会社へ移行した。同社の株式公開を支援した公認会計士・高橋廣司氏(現プロネット代表取締役)は、大企業のノンコア事業で選択と集中が進む流れを見越し、買収を進めやすくするために上場から1年後にホールディング化していたと振り返っている[8][9]

身軽になった財務体制と最初の一手

上場によって得た資金調達力も、この転換を後押しした。同社の公開を担当した高橋廣司氏は、上場後に増資して雪印物流の買収資金を得るなど、株式公開のメリットである資金調達力と信用力の向上を最大限に生かした企業だったと評している。メール便を手放して得た身軽さは、この資金戦略と組み合わさって初めて意味を持つものになった[10]

2004年5月、SBSは雪印乳業(現雪印メグミルク)の物流子会社であった雪印物流(現SBSフレック)の株式を取得した。雪印乳業は集団食中毒事件などを経て経営再建中にあり、物流子会社を手放す側に回っていた。買収額は30億円、対する雪印物流の売上高はSBSの約2倍にあたる380億円で、小さな会社が大きな会社をのみ込んだ買収として業界の注目を集めた[11][12]

結果

連続M&Aによる急拡大

雪印物流買収の翌2005年6月には、東急グループ傘下の東急ロジスティック(現SBSロジコム)・日本貨物急送(現SBSフレイトサービス)・伊豆貨物急送を一括で取得した。メール便を売った身軽さを土台に、大企業が抱える物流子会社を次々と迎え入れる型が、この2年間で定着した[13]

この間、連結売上高は2003年12月期の194億円から、2004年12月期451億円、2005年12月期893億円、2006年12月期1426億円へと急拡大した。メール便を中心とした小規模事業者から、大企業のノンコア物流子会社を取り込む総合物流グループへの転換は、わずか3年で数字の上にも表れた[14]

出典・参考