第2章 年〜年

日油:大分工場・筑波研究所の新設と化学品事業部への統合

1970年〜帝国火工品の合併と石油危機が削った収益

火薬の系列会社を本体へ取り込む

1970年6月、日本油脂は関係会社の帝国火工品製造株式会社を吸収合併した。将来の化薬事業の発展と安定を図ることが狙いで、この合併によって宇宙開発と防衛関連の部門を抱える。合併に伴う3億3,800万円の増資で資本金は43億3,800万円となり、埼玉県の川越工場が加わった。六つの事業部が別々の市場を持つ構成に、ロケット推進薬という七つ目の市場が足された形である。1974年11月期には宇宙ロケットが売上の0.8%を占めるまでになった。1970年11月期の売上高は392億円で、1969年11月期の332億円から1年で18%増えている。油脂を母体とする会社が、火薬から宇宙へ届く間口を持つに至った。

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1970年6月に帝国火工品製造株式会社を吸収合併した
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [2]将来の化薬事業発展と安定化を図るため帝国火工品製造を合併し、宇宙開発・防衛関連部門へも進出することとなった
    • [3]1970年の帝国火工品製造合併に伴い3億3,800万円を増資し資本金は43億3,800万円となった
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [4]川越工場は帝国火工品製造から引き継いだ工場で、1975年時点で同社の工場として記載されている
    • [5]1974年11月期の事業構成は油化22.9%・塗料27.0%・食用油脂21.6%・化薬17.1%・家庭品7.3%・溶接3.3%・宇宙ロケット0.8%
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
    • [6]売上高は1969年11月期332億円、1970年11月期392億円
石油危機で利益が消える

第1次石油危機は、輸入原料と石油化学の双方に足場を置く事業を直撃した。1974年5月期に16億9,400万円あった経常利益は、同年11月期に4億7,162万円へ減少する。同期の売上高は342億9,424万円、当期純利益は5億662万円で、配当は年1割に据え置かれた。関連産業の需要減退と購入資材の値上がりに対し、全社で固定費と諸経費の低減に努めたと記録されている。年1回決算へ移った最初の期にあたる1975年11月期は、売上高595億5,800万円に対して経常損益が4億1,900万円の損失となった。原料油と石油原料をともに買う立場では、値上がりを製品価格へ移すまでに時間がかかった。

  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [7]経常利益は1974年5月期16億9,400万円、1974年11月期4億7,162万円(当時は年2回決算で、いずれも半期の値)
    • [8]1974年11月期(年2回決算の下期)の売上高342億9,424万円・当期純利益5億662万円、配当は年1割据置
    • [9]1974年11月期は関連産業の需要減退と購入資材の値上りに対処し、全社を挙げて固定費・諸経費の低減に努めた
  • 日本企業要覧 1980年版「日油」
    • [10]1975年11月期(年1回決算へ移行後の最初の期)の売上高595億5,800万円、経常損益は4億1,900万円の損失(△4億1,900万円)
家庭用石鹸から手を引く

1974年11月、日本油脂は家庭品事業部を分離した。子会社のニッサン洗剤工業とともにシスター石鹸グループへ合併させ、ニッサン石鹸株式会社として発足させている。家庭品は1969年11月期に売上の12.17%を占めていたが、1974年11月期には7.3%まで下がっていた。最終製品として消費者へ直に届く唯一の事業を手放したことで、日本油脂は原料と中間材の供給者へ戻る。残る事業の構成は、1979年11月期で油化30%・塗料27%・化薬21%・食用油脂15%・石油化学品3%・宇宙ロケット他1%となった。広告費を投じて店頭の棚を奪い合う市場から、日本油脂はここで退出した。

  • 日本企業要覧 1980年版「日油」
    • [11]1974年11月に家庭品事業部を分離し、子会社ニッサン洗剤工業とともにシスター石鹸グループと合併してニッサン石鹸株式会社として発足した
    • [12]1974年11月に家庭品事業部を分離し、子会社ニッサン洗剤工業とともにシスター石鹸グループと合併してニッサン石鹸株式会社として発足した
    • [15]1979年11月期の事業構成は油化30%・塗料27%・化薬21%・食用油脂15%・石油化学品部3%・宇宙ロケット他1%
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [13]1969年11月期の家庭品の売上構成比は12.17%
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [14]1974年11月期の家庭品の売上構成比は7.3%
参考文献[1]-[15]
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1970年6月に帝国火工品製造株式会社を吸収合併した
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [2]将来の化薬事業発展と安定化を図るため帝国火工品製造を合併し、宇宙開発・防衛関連部門へも進出することとなった
    • [3]1970年の帝国火工品製造合併に伴い3億3,800万円を増資し資本金は43億3,800万円となった
    • [13]1969年11月期の家庭品の売上構成比は12.17%
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [4]川越工場は帝国火工品製造から引き継いだ工場で、1975年時点で同社の工場として記載されている
    • [5]1974年11月期の事業構成は油化22.9%・塗料27.0%・食用油脂21.6%・化薬17.1%・家庭品7.3%・溶接3.3%・宇宙ロケット0.8%
    • [7]経常利益は1974年5月期16億9,400万円、1974年11月期4億7,162万円(当時は年2回決算で、いずれも半期の値)
    • [8]1974年11月期(年2回決算の下期)の売上高342億9,424万円・当期純利益5億662万円、配当は年1割据置
    • [9]1974年11月期は関連産業の需要減退と購入資材の値上りに対処し、全社を挙げて固定費・諸経費の低減に努めた
    • [14]1974年11月期の家庭品の売上構成比は7.3%
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
    • [6]売上高は1969年11月期332億円、1970年11月期392億円
  • 日本企業要覧 1980年版「日油」
    • [10]1975年11月期(年1回決算へ移行後の最初の期)の売上高595億5,800万円、経常損益は4億1,900万円の損失(△4億1,900万円)
    • [11]1974年11月に家庭品事業部を分離し、子会社ニッサン洗剤工業とともにシスター石鹸グループと合併してニッサン石鹸株式会社として発足した
    • [12]1974年11月に家庭品事業部を分離し、子会社ニッサン洗剤工業とともにシスター石鹸グループと合併してニッサン石鹸株式会社として発足した
    • [15]1979年11月期の事業構成は油化30%・塗料27%・化薬21%・食用油脂15%・石油化学品部3%・宇宙ロケット他1%

1977年〜大分工場と日米合弁が開いた外への回路

コンビナートの中に石化の拠点を構築する

1969年3月に子会社の日油化学を置いた大分県の鶴崎石油化学コンビナートへ、1977年6月、日本油脂は自社の大分工場を新設した。1961年の千鳥工場に続く二つ目の石油化学の拠点であり、原料の入口を一か所に頼らない構えとなった。同じ時期、全額出資の日油エンタープライズを通じた不動産・レジャー事業も収穫期に入っていた。売上高は1975年11月期の595億円から1979年11月期の846億4,248万円へ戻り、過去最高を更新する。税引利益は11億6,955万円を計上した。この時期の大株主には昭和電工と富士銀行が並び、日産系と芙蓉グループの双方に連なる資本構成をとっていた。石油危機で一度崩れた収益は、5年をかけて元の水準まで回復した。

  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [16]1969年3月に大分県鶴崎石油化学コンビナートへ進出し子会社日油化学株式会社を設立した
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1977年6月に大分工場を新設した
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [18]全額出資の日油エンタープライズを通じた不動産・レジャー事業が収穫期に入っていた
    • [21]芙蓉グループに属し、1974年12月時点の大株主は昭和電工8.08%・富士銀行7.69%
  • 日本企業要覧 1980年版「日油」
    • [19]1979年11月期の売上高846億4,248万4,205円は過去最高で、税引利益は11億6,955万6,288円
    • [20]1979年11月期の売上高846億4,248万4,205円は過去最高で、税引利益は11億6,955万6,288円
防錆の技術を米国企業と組んで取る

1973年6月、米国のDIAMOND SHAMROCK社と合弁で日本ダクロシャムロックを設立し、金属の防錆処理へ進んだ。1984年9月には、同社の化学部門との合弁でMETAL COATINGS INTERNATIONAL INC.を米国に設けた。1988年12月にはNOF AMERICA CORPORATIONを置いている。1964年の日本ルーブリゾール工業に続く一連の日米合弁は、いずれも自社に無い技術を相手から受け、国内市場での製造販売を担う方式をとった。1970年代半ばには米国で丸紅と共同して塗料改質剤の生産を始め、マレーシアではパーム油加工の合弁会社を設立した。駐在員事務所も1974年末の2か所から、1979年末には3か所へ増えた。

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1973年6月にDIAMOND SHAMROCK社と合弁で日本ダクロシャムロックを設立した
    • [23]1984年9月にDIAMOND SHAMROCK CHEMICALSと合弁でMETAL COATINGS INTERNATIONAL INC.を設立した
    • [24]1988年12月にNOF AMERICA CORPORATIONを設立した
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [25]米国で丸紅と共同して塗料改質剤の生産を開始し、マレーシアではパーム油加工の合弁会社を設立した
    • [26]1974年末時点の駐在員事務所はデュッセルドルフとロンドンの2か所
  • 日本企業要覧 1980年版「日油」
    • [27]1979年末時点の駐在員事務所はデュッセルドルフ、ロンドン、ニューヨークの3か所
火薬の工場を切り出して子会社にする

1980年12月、川越工場を分離して日油技研工業株式会社を設立した。川越工場は帝国火工品製造から引き継いだ57万平方メートルの敷地を持ち、周辺の市街地化によって1975年の時点から移転が課題となっていた。1983年2月には筑波研究所を新設し、六つの事業部がそれぞれ抱えていた研究を社外の一拠点へ置く場を設けている。在籍人員は1969年11月期の3,975名から1979年11月期の3,283名へ減り、同じ期間に売上高は177億円から846億円へ伸びた。人を増やさずに規模を4.8倍にした裏側で、増えた仕事は子会社と合弁へ移されていた。

  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [28]1980年12月に川越工場を分離し日油技研工業株式会社を設立した
    • [30]1983年2月に筑波研究所を新設した
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [29]埼玉県の川越工場は周辺地域の市街地化により移転計画を持ち、敷地は57万平方メートルに及んだ
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [31]1969年11月期の在籍人員は男3,155名・女820名の計3,975名
  • 日本企業要覧 1980年版「日油」
    • [32]1979年11月期の在籍人員は男2,679名・女604名の計3,283名で、売上高は846億4,248万円
    • [33]1979年11月期の在籍人員は男2,679名・女604名の計3,283名で、売上高は846億4,248万円
参考文献[16]-[33]
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [16]1969年3月に大分県鶴崎石油化学コンビナートへ進出し子会社日油化学株式会社を設立した
    • [31]1969年11月期の在籍人員は男3,155名・女820名の計3,975名
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1977年6月に大分工場を新設した
    • [22]1973年6月にDIAMOND SHAMROCK社と合弁で日本ダクロシャムロックを設立した
    • [23]1984年9月にDIAMOND SHAMROCK CHEMICALSと合弁でMETAL COATINGS INTERNATIONAL INC.を設立した
    • [24]1988年12月にNOF AMERICA CORPORATIONを設立した
    • [28]1980年12月に川越工場を分離し日油技研工業株式会社を設立した
    • [30]1983年2月に筑波研究所を新設した
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
    • [18]全額出資の日油エンタープライズを通じた不動産・レジャー事業が収穫期に入っていた
    • [21]芙蓉グループに属し、1974年12月時点の大株主は昭和電工8.08%・富士銀行7.69%
    • [25]米国で丸紅と共同して塗料改質剤の生産を開始し、マレーシアではパーム油加工の合弁会社を設立した
    • [26]1974年末時点の駐在員事務所はデュッセルドルフとロンドンの2か所
    • [29]埼玉県の川越工場は周辺地域の市街地化により移転計画を持ち、敷地は57万平方メートルに及んだ
  • 日本企業要覧 1980年版「日油」
    • [19]1979年11月期の売上高846億4,248万4,205円は過去最高で、税引利益は11億6,955万6,288円
    • [20]1979年11月期の売上高846億4,248万4,205円は過去最高で、税引利益は11億6,955万6,288円
    • [27]1979年末時点の駐在員事務所はデュッセルドルフ、ロンドン、ニューヨークの3か所
    • [32]1979年11月期の在籍人員は男2,679名・女604名の計3,283名で、売上高は846億4,248万円
    • [33]1979年11月期の在籍人員は男2,679名・女604名の計3,283名で、売上高は846億4,248万円

1985年〜9年続いた増収増益と事業部制の硬直

事業部の成績を賞与に結び付ける

日本油脂の増収増益は1982年度から9年間続いた。同じ1982年、事業部ごとの業績を賞与に反映させる制度が始まり、労働組合は導入に半日ストライキで抵抗した。仕組みは、人件費や減価償却費に対して各事業部が生んだ利益を数字にし、全事業部の平均を超えた事業部では社員の賞与を上乗せするというものだ。1991年下期でみると、組合員の平均賞与約77万円に対し、事業部の成績による開きは最大で10万円あった。決算期日は1988年3月に11月30日から3月31日へ移された。1991年3月期の売上高1,374億円の内訳は、油化32.0%・塗料27.3%・化薬24.7%・食品9.5%・石化4.0%・溶接2.5%である。事業部長に計画の決定権を与えた形は、競合と競う場面で機動力を生んだ。

  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
    • [34]1982年度から9年間連続で増収増益を記録した
    • [35]1982年に事業部別業績連動賞与制度を導入し、各事業部が人件費・減価償却費等の費用に対して上げた利益を数値に換算し、全事業部平均を上回った事業部の社員の賞与を上げる仕組みをとった
    • [36]事業部別業績連動賞与制度の導入時に労働組合は半日ストを打って反発した
    • [37]1982年に事業部別業績連動賞与制度を導入し、各事業部が人件費・減価償却費等の費用に対して上げた利益を数値に換算し、全事業部平均を上回った事業部の社員の賞与を上げる仕組みをとった
    • [38]1991年下期の賞与は組合員平均で約77万円、事業部間の業績によって最大10万円の差がついた
    • [40]1991年3月期の売上高1,374億円の事業別構成は油化32.0%・塗料27.3%・化薬24.7%・食品9.5%・石化4.0%・溶接2.5%
    • [41]1991年3月期の売上高1,374億円の事業別構成は油化32.0%・塗料27.3%・化薬24.7%・食品9.5%・石化4.0%・溶接2.5%
    • [42]事業部長に計画の決定権を与えて意思決定を早くし、競合と競う際に機動力を発揮できた
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]1988年3月に決算期日を11月30日から3月31日に変更した
事業部の壁が顧客の前に現れる

1990年11月、日本油脂は神島郎副社長を委員長とする組織改革推進委員会を設けた。1年をかけ、社員のほか顧客や代理店まで合計210人、延べ290時間の聞き取り調査を行っている。浮かび上がったのは、1965年9月に敷いた独立採算の事業部制が育てた壁だった。自分の事業部が儲かればよいという考えから、情報や技術は他へ出し渋られた。事業部間の人事異動はほとんどなく、入社して20年間同じ事業部に在籍する社員もいた。単年度の収益目標にとらわれて中長期の投資に消極的となり、複数の事業部が同じ分野の研究を重ねていた。プラスチックの改質剤では三つの事業部の営業が同じ顧客を別々に訪ね、1回で済ませてほしいという不満が続出した。

  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
    • [43]1990年11月に神島郎副社長を委員長とする組織改革推進委員会を設け、1年かけて社員・顧客・代理店の合計210人、延べ290時間の聞き取り調査を行った
    • [44]1990年11月に神島郎副社長を委員長とする組織改革推進委員会を設け、1年かけて社員・顧客・代理店の合計210人、延べ290時間の聞き取り調査を行った
    • [46]事業部間に高い壁ができ、情報や技術を他の事業部へ出し渋り、人事異動もほとんどなく、入社して20年間同じ事業部に在籍する社員もいた
    • [47]事業部間に高い壁ができ、情報や技術を他の事業部へ出し渋り、人事異動もほとんどなく、入社して20年間同じ事業部に在籍する社員もいた
    • [48]単年度の収益目標の達成にとらわれ中長期的な投資に消極的となり、複数の事業部が同じ分野の研究を行う非効率が生じていた
    • [49]プラスチックの改質剤で油化事業部・石化事業部・化薬事業部化成品営業部の営業が同じ顧客を別々に訪問し、1回で済ませてほしいとの不満が顧客から続出した
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [45]1965年9月から独立採算の事業部制を実施していた
事業部の上に計画立案の部署を設置する

1991年11月1日、製品別に分かれた六つの事業部を指揮する経営企画室を新設した。各事業部から部長・課長クラスの専任10人を集め、宇野泰常務が室長として率い、最高意思決定機関である常務会のすぐ下に置かれた。資本金営業利益率の指標を各事業部へ示し、上がってきた単年度と3年の計画を練り直す権限を持つ。1992年4月には油化事業部・石化事業部と化薬事業部化成品営業部を統合し、化学品事業部を作った。売上高の半分と従業員の3分の1を抱える単位である。売上高は1984年11月期の1,179億円から1992年3月期の1,375億円へ伸びた。しかし同期の経常利益は、前年比22%減の61億円へ低下する見通しとなる。10年ぶりの大幅減益が、事業部制の手直しと重なった。

  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
    • [50]1991年11月1日に製品別の6事業部を指揮する経営企画室を新設した
    • [51]経営企画室は各事業部から部長・課長クラスの専任メンバー10人を集め、宇野泰常務が室長として指揮し、常務会のすぐ下に置かれた恒久組織とされた
    • [52]経営企画室は年1回、各事業部の内部資本金に対する資本金営業利益率の指標を示し、各事業部が作った単年度と向こう3年間の中期計画を練り直して修正を加える
    • [53]1992年4月に油化事業部・石化事業部と化薬事業部化成品営業部を統合して化学品事業部を新設し、その売上は総売上高の半分、人員は全従業員の3分の1に達した
    • [54]1992年4月に油化事業部・石化事業部と化薬事業部化成品営業部を統合して化学品事業部を新設し、その売上は総売上高の半分、人員は全従業員の3分の1に達した
    • [56]1992年3月期の売上高は1,375億円で前年並みにとどまり、経常利益は前年比22%減の61億円へ落ち込む見通しで、10年ぶりの大幅減益となる
    • [57]1992年3月期の売上高は1,375億円で前年並みにとどまり、経常利益は前年比22%減の61億円へ落ち込む見通しで、10年ぶりの大幅減益となる
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
    • [55]1984年11月期の売上高は1,179億円
参考文献[34]-[57]
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
    • [34]1982年度から9年間連続で増収増益を記録した
    • [35]1982年に事業部別業績連動賞与制度を導入し、各事業部が人件費・減価償却費等の費用に対して上げた利益を数値に換算し、全事業部平均を上回った事業部の社員の賞与を上げる仕組みをとった
    • [36]事業部別業績連動賞与制度の導入時に労働組合は半日ストを打って反発した
    • [37]1982年に事業部別業績連動賞与制度を導入し、各事業部が人件費・減価償却費等の費用に対して上げた利益を数値に換算し、全事業部平均を上回った事業部の社員の賞与を上げる仕組みをとった
    • [38]1991年下期の賞与は組合員平均で約77万円、事業部間の業績によって最大10万円の差がついた
    • [40]1991年3月期の売上高1,374億円の事業別構成は油化32.0%・塗料27.3%・化薬24.7%・食品9.5%・石化4.0%・溶接2.5%
    • [41]1991年3月期の売上高1,374億円の事業別構成は油化32.0%・塗料27.3%・化薬24.7%・食品9.5%・石化4.0%・溶接2.5%
    • [42]事業部長に計画の決定権を与えて意思決定を早くし、競合と競う際に機動力を発揮できた
    • [43]1990年11月に神島郎副社長を委員長とする組織改革推進委員会を設け、1年かけて社員・顧客・代理店の合計210人、延べ290時間の聞き取り調査を行った
    • [44]1990年11月に神島郎副社長を委員長とする組織改革推進委員会を設け、1年かけて社員・顧客・代理店の合計210人、延べ290時間の聞き取り調査を行った
    • [46]事業部間に高い壁ができ、情報や技術を他の事業部へ出し渋り、人事異動もほとんどなく、入社して20年間同じ事業部に在籍する社員もいた
    • [47]事業部間に高い壁ができ、情報や技術を他の事業部へ出し渋り、人事異動もほとんどなく、入社して20年間同じ事業部に在籍する社員もいた
    • [48]単年度の収益目標の達成にとらわれ中長期的な投資に消極的となり、複数の事業部が同じ分野の研究を行う非効率が生じていた
    • [49]プラスチックの改質剤で油化事業部・石化事業部・化薬事業部化成品営業部の営業が同じ顧客を別々に訪問し、1回で済ませてほしいとの不満が顧客から続出した
    • [50]1991年11月1日に製品別の6事業部を指揮する経営企画室を新設した
    • [51]経営企画室は各事業部から部長・課長クラスの専任メンバー10人を集め、宇野泰常務が室長として指揮し、常務会のすぐ下に置かれた恒久組織とされた
    • [52]経営企画室は年1回、各事業部の内部資本金に対する資本金営業利益率の指標を示し、各事業部が作った単年度と向こう3年間の中期計画を練り直して修正を加える
    • [53]1992年4月に油化事業部・石化事業部と化薬事業部化成品営業部を統合して化学品事業部を新設し、その売上は総売上高の半分、人員は全従業員の3分の1に達した
    • [54]1992年4月に油化事業部・石化事業部と化薬事業部化成品営業部を統合して化学品事業部を新設し、その売上は総売上高の半分、人員は全従業員の3分の1に達した
    • [56]1992年3月期の売上高は1,375億円で前年並みにとどまり、経常利益は前年比22%減の61億円へ落ち込む見通しで、10年ぶりの大幅減益となる
    • [57]1992年3月期の売上高は1,375億円で前年並みにとどまり、経常利益は前年比22%減の61億円へ落ち込む見通しで、10年ぶりの大幅減益となる
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]1988年3月に決算期日を11月30日から3月31日に変更した
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
    • [45]1965年9月から独立採算の事業部制を実施していた
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
    • [55]1984年11月期の売上高は1,179億円

筆者考察

事業部制は、主力を持てない会社が選んだ次善の策だった。油脂・塗料・化薬・食用油脂・溶接・家庭品はそれぞれ別の顧客と別の競合を持ち、一つの号令で動かせる相手ではない。1970年6月に帝国火工品製造を合併してロケット推進薬まで抱えると、間口はさらに広がった。事業部長へ決定権を渡した形は狙いどおりに働き、1982年度から9年続けて増収増益が並ぶ。1984年11月期の売上高1,179億円は、1970年11月期の392億円の3倍にあたる。分けて競わせる仕組みは、伸びている限り正しく見えた。

ところがこの3倍は、六つの計画の合計であって会社の計画ではなかった。1990年11月に始めた210人・延べ290時間の聞き取りが映したのは、情報を出し渋る事業部と、20年動かない人事と、同じ顧客を三つの営業が別々に訪ねる非効率である。1991年11月に常務会の直下へ経営企画室を置き、翌年4月に油化・石化と化薬の化成品を化学品事業部へ統合したのは、事業部へ渡した決定権を一段だけ戻す作業だった。同じ1992年3月期、経常利益は10年ぶりの大幅減益となる。伸びが止まって初めて、誰が全社の資源を配るのかという問いが残された。

売上高の推移 1970年11月期〜1984年11月期(億円)

392 1970 426 1971 447 1972 548 1973 700 1974 596 1975 687 1976 722 1977 751 1978 846 1979 958 1980 976 1981 997 1982 1,062 1983 1,179 1984
  • 単体。1974年11月期までは年2回決算のため半期を合算した値。
  • 出所は日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)。

1970年〜1993年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1970年11月期 単体 392 n/a 7 6 1.5% n/a
1971年11月期 単体 426 +8.7% 7 6 1.4% n/a
1972年11月期 単体 447 +4.9% 11 7 1.6% n/a
1973年11月期 単体 548 +22.6% 18 8 1.5% n/a
1974年11月期 単体 700 +27.7% 22 11 1.6% n/a
1975年11月期 単体 596 ▲14.9% ▲4 8 1.3% n/a
1976年11月期 単体 687 +15.3% 12 9 1.3% n/a
1977年11月期 単体 722 +5.1% 8 5 0.7% n/a
1978年11月期 単体 751 +4.0% 22 7 0.9% n/a
1979年11月期 単体 846 +12.6% 32 12 1.4% n/a
1980年11月期 単体 958 +13.2% 19 9 0.9% n/a
1981年11月期 単体 976 +1.9% 19 8 0.8% n/a
1982年11月期 単体 997 +2.2% 19 6 0.6% n/a
1983年11月期 単体 1,062 +6.5% 22 6 0.6% n/a
1984年11月期 単体 1,179 +11.0% 33 15 1.3% n/a
1985年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a ドイツにNippon Oil & Fats GmbHを設立(1991)
1992年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1993年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:会社年鑑 1976年版、会社年鑑

出典・参考

6件
出典・参考
  • 日油 有価証券報告書 第102期(2025年3月期)【沿革】
  • 日本油脂 会社年鑑(単体・半期業績)
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
  • 日本企業要覧 1970年版「日油」
  • 日本企業要覧 1975年版「日油」
  • 日本企業要覧 1980年版「日油」

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