ゴッホ《ひまわり》落札(1987年・損害保険ジャパンの決断)

更新:
論点上限を設けずに名画を落札するか
損害保険ジャパン:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
購入額の上限を設けない入札と、本社ビルの美術館での一般公開

何をなぜ決めたか:購入額の上限を設けない入札と、本社ビルの美術館での一般公開

概要

1987年3月30日、安田火災海上保険はロンドンのクリスティーズの競売で、フィンセント・ファン・ゴッホの《ひまわり》を53億円で落札した。当時の絵画の落札額として史上最高である。購入を決めたのは、1983年2月の臨時取締役会で副社長から社長に選ばれた後藤康男氏だった。狙いは、本社ビルの自社美術館に世界に通用する大作を加え、美術館を国際化することにあった。

落札と組で、美術館の名前と見せ方も改めた。1987年4月に東郷青児美術館を「安田火災東郷青児美術館」へ改称し、同年10月13日から12月27日まで《ひまわり》の特別展覧を開催した。この特別展覧には延べ16万1470人が来館している。

背景

安田火災は古くから芸術家を支援してきた。歴代社長が陶芸の北大路魯山人や画家の東郷青児を後援し、1976年7月には新宿の新本社ビル42階で東郷青児美術館の一般公開を始めた。ただし、館には集客の中心となる超大作が無く、入館者は伸び悩んでいた。そこで創業100周年の記念事業の一つとして、世界に誇れる大作を取得する構想が社内にあった。

それまでの収蔵品の価格は、桁が違った。収蔵品の最高額は岸田劉生の作品の8000万円ほどで、少し前に取得したルノワール2点も合計3億7000万円にとどまっていた。本業は伸びていた。1987年3月期の元受保険料は1,009,135百万円と初めて1兆円を超え、当期利益は12,494百万円だった。

内容

後藤康男社長が《ひまわり》の実物を見たのは、1987年2月26日に東京で開かれた下見会である。この時点で聞いていた価格は20億円だったが、競売の前日には予想価格が40億円まで上がっていた。ロンドンへ向かう社員は購入額の上限を決めるよう求めたが、後藤康男社長は枠を示さず、『20億円だったら20億円の値打ちだし、100億円で落ちたら100億円の作品だ』と言って送り出した。《ひまわり》が1888年の作で、前身の東京火災の創業と同じ年に描かれていたことも、購入の理由の一つになった。

競売の手順も、上限を置かない前提で組んだ。会場の社員が腕組みを続けるあいだは降りないという合図を、代理人と決めていた。最後まで競ったのはオーストラリアの実業家アラン・ボンド氏の代理人で、価格が50億円台に乗ったところで手を止め、5秒足らずで落札が決まった。前年の1986年12月には、同じロンドンの競売でモネの絵をわずかの差で落札できなかった経緯もあった。

含意

海外の報道は、当初は落札価格に集中した。ところが、安田火災が美術館を持ち一般に公開すると分かると、企業の文化活動として評価する論調に変わった。《ひまわり》の購入を伝えた記事は世界で1000本を超え、後藤康男社長は『200カ国以上の国でうちの会社のことがニュースになった』ことを効果に挙げている。翌1988年9月からはエルミタージュ美術館展を開催し、延べ12万7227人が入館した。

一方、効果は数字には表れなかった。国内の報道の一部には、53億円という価格への批判もあった。落札の翌期にあたる1988年3月期の元受保険料は1,006,861百万円で、前期を0.2%下回っている。53億円は、落札した期の当期利益12,494百万円の4割強に相当した。

いつ何が起きたか12件
考察:上限を外した保険会社の値付け
考察

考察:上限を外した保険会社の値付け

損害保険は、損害の起こる確率を見積もって保険料を決める商売である。その会社の社長が、20億円と聞いた絵に上限を付けずに社員を送り出した。上限を置く選択もあったが、安田火災は前年12月にモネの絵をわずかの差で逃していた。翌年には創業100周年が控え、美術館には集客の中心となる作品が無かった。後藤康男社長は、絵を値上がりを待つ資産ではなく、美術館と社名を世界に知らせる手段として取得したのだと思われる。その目的なら、落札を逃すことが最大の損失になる。

もっとも、上限を外すことは、競り合う相手しだいで価格がいくらでも上がるのを受け入れることでもあった。53億円は、落札した期の当期利益12,494百万円の4割強にあたる。しかも、この支出が保険の契約をどれだけ増やしたかを測る物差しは無かった。落札の翌期、元受保険料は前期をわずかに下回っている。社名を広める効果は、収益の数字では確かめようのないまま、決断だけが先に立っていた。

結果は、部分的な成功だったと言える。文化事業としては狙いを果たした。特別展覧には延べ16万1470人が来館し、購入を伝えた記事は世界で1000本を超えた。2007年には《ひまわり》を収める美術館の招待券が株主優待になり、絵は会社の顔として定着した。一方で、53億円が本業の収益にどれだけ返ってきたかは、最後まで数字で示されていない。名画の購入は社名を広める投資としては成功し、保険事業の投資としては答えの出ないまま残った。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
数字で見る1表

数字で見る

図と表

損害保険ジャパン:元受保険料と当期利益の推移

元受保険料(百万円)当期利益(百万円)
損害保険ジャパン:元受保険料と当期利益の推移
(百万円)元受保険料正味保険料当期利益備考
1982年3月期497,465375,65011,544
1983年3月期538,247399,9589,067
1984年3月期601,485434,3949,2761983年2月に後藤康男氏が社長に就任した
1985年3月期667,538467,6529,816
1986年3月期762,110499,21011,354
1987年3月期1,009,135530,42112,4943月30日に《ひまわり》を落札。元受保険料が初めて1兆円を超えた
1988年3月期1,006,861565,26714,358落札の翌期。元受保険料は前期比0.2%減
1989年3月期1,201,502622,21716,414創業100周年。配当率を14%へ引き上げた
出所:安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)表7-53 昭和51〜57年度当社・業績の推移 / 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)表8-40 昭和58〜63年度当社・業績の推移
出所:安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)表7-53 昭和51〜57年度当社・業績の推移 / 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)表8-40 昭和58〜63年度当社・業績の推移
参考文献

参考文献

参考
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)第8章 第9節 多彩な100周年記念事業
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)第8章 第3節 総合金融機関への始動
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)資料編 年表・第7章 第4節 新本社ビル竣工
  • 安田火災海上保険『挑戦と躍進 安田火災百年小史』(1988年)《ひまわり》―安田火災のシンボル
  • 日経ビジネス 1988年8月15日号
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)第8章 第7節 資産の増大と運用の強化(表8-40 昭和58〜63年度当社・業績の推移)
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)資料編 年表
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)第8章 第7節 資産の増大と運用の強化
  • 財団法人損保ジャパン美術財団「損保ジャパン東郷青児美術館ニュース No.30」(2003年8月)
  • 損害保険ジャパン 第64期 報告書(2007年3月期)「株主優待のご案内」
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)表7-53 昭和51〜57年度当社・業績の推移
  • 安田火災海上保険『安田火災百年史 明治21年〜昭和63年』(1990年)表8-40 昭和58〜63年度当社・業績の推移
  • 財団法人損保ジャパン美術財団 会社案内「損保ジャパン東郷青児美術館ニュース No.30」
  • 損害保険ジャパン 株主向け報告書「第64期 報告書(2006年4月1日〜2007年3月31日)」

次に読む決断

免責事項およびポリシー