乱立した商品ブランドの集約と購買層別の再編

「家のデパート化」で28種に膨らんだ商品名を、積水ハウスはどう整理しブランド力を取り戻したか

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時期 1992年12月
意思決定者 奥井功 積水ハウス 社長
論点 商品ブランドの乱立とブランド力低下への対応
概要
1992年末、積水ハウスは28種類あった個人向け一戸建て住宅の商品名を7種類に、11種類あったアパートを3種類に、10種類あった木造ツーバイフォー住宅を「ワンズワン」1ブランドに集約し、購買層別のブランド体系へ再編する経営判断を実行した。大阪・東京・広島の3設計部がそれぞれ独自に名付けてきた商品名を整理し、ブランド力の向上と商品開発体制の見直しを同時に進めた。
背景
1970年代後半からの多角化で鉄骨系・木質系・コンクリート系・ツーバイフォーへ商品を広げた結果、3設計部が独自に商品名を付ける体制のもとで一戸建てだけで28種類に膨らみ、個々の商品の存在感が薄れていた。バブル崩壊後は貸家需要が落ち込む一方、一戸建て住宅も価格競争が激化し、ミサワホームや大和ハウス工業が低価格の新製品を投入していた。
内容
個人向け一戸建てを28種類から7種類、アパートを11種類から3種類に、ツーバイフォー住宅を1ブランドに集約した。分類は価格帯でなく購買層を軸とし、最高級「イズ」は建て替え客、「ローラ」「セントレージ」は1次取得層・都会の建て替え層、「オリジナル」は自由設計層を狙った。ブランドごとに部材・形式の条件を定め、3設計部の商品開発に共通の枠組みを設けた。
含意
商品名の削減はブランド力の強化とともに商品開発体制の見直しにもつながったが、商品の種類そのものが減ったわけではなく、効果は当面、系列化にとどまった。業界トップのシェアを保ちながらも首都圏では劣勢が続き、業績は貸家需要の落ち込みと金融収支の悪化を一戸建て住宅の伸びで補う構図に置かれていた。
筆者の見解

名称の整理か、開発の合理化か

この決断の核心は、拡大の産物であった商品名の乱立を、成熟期に入った市場のなかで整理し直した点にある。3設計部が競い合いながら商品を生み出す体制は開発の活力を生んだが、その裏で一戸建て住宅だけで28種類という商品名の膨張を招き、個々のブランドの輪郭をかえって曖昧にしていた。価格帯でなく購買層でブランドを束ね直す発想は、多角化の果実を捨てずに訴求力を取り戻そうとする試みとみることができる。

もっとも、この時点の再編は商品名の系列化にとどまり、商品そのものの種類や部品点数の削減にまでは踏み込んでいなかった。「将来的には」という留保つきの漆谷常務の言葉が示すとおり、ブランド整理をコスト構造の見直しへとつなげられるかは、なお先の課題として残されていた。首都圏での劣勢や金融収支の悪化という逆風のなかで打たれたこの一手が、単なる名称整理で終わるか、開発と生産の合理化にまで及ぶかは、その後の積水ハウスの経営が問われる分かれ目になったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

「家のデパート化」で膨らんだ商品名

積水ハウスは1970年代後半から商品ラインを広げ、鉄骨系に加えて木質系・コンクリート系・ツーバイフォー工法へ進出し、「家のデパート」と呼ばれるまでに業態を広げていた。1984年には高級住宅「イズシリーズ」を投入し、プレハブ住宅の安価なイメージを塗り替える主力ブランドに育てた。多角化と高級化の両路線が積み重なるなかで、商品の種類は年を追って増えていった[1]

商品開発は大阪本社に加え、東京・広島の3設計部がそれぞれ担い、地域ごとに開発した商品をまず地元の営業所で売り、成績が良ければ全国商品へ格上げする仕組みだった。「セントレージ」も広島設計部が開発し、中国地方での販売実績を経て全国商品になった一例である。3設計部が対等に競い合う体制は開発の活力を生んだ半面、一戸建て住宅だけで商品名は28種類に達し、個々の商品の存在感を薄める結果を招いていた[2]

貸家需要の落ち込みと一戸建ての価格競争

1992年度の住宅着工戸数は生産緑地法改正の追い風で前年度比5.7%増の142万戸まで持ち直したが、1987〜90年度にみられた160万〜170万戸台の勢いには届かなかった。1993年に入るとその追い風だった賃貸住宅も供給過剰が目立ち始め、アパート需要は落ち込みに転じた[3]

各社が期待をかけたのは比較的堅調な一戸建て住宅だったが、その市場も景気低迷を受けて建築単価が下がる兆しを見せ始めていた。ミサワホームは1993年1月から低価格の一戸建て「デビュー・自由空間」を、大和ハウス工業も「ユトリエ3」を投入し、3.3平方メートル当たり40万円台前半を軸にした値下げ競争が広がっていた[4]

決断

28種類から7種類へ、購買層別の再分類

積水ハウスは1992年末、商品シリーズ名を一気に4分の1へ絞り込む再編に着手した。個人向け一戸建て住宅を28種類から7種類に、アパートを11種類から3種類に集約し、木造のツーバイフォー住宅は10種類の商品を「ワンズワン」という一つのブランドにまとめた。漆谷康常務は「商品の数が多くなり過ぎて、個々の商品の存在感を薄めた面があった」と、再編の狙いを説明した[5]

新しい分類の軸は、価格帯ではなく購買層の違いに置かれた。プランが定まった企画型のうち、最高級ブランド「イズ」は資金に比較的余裕のある建て替え客を狙い、初めて住宅を買う1次取得層には「ローラ」を、都会での建て替えを中心にした"1.5次層"には「セントレージ」を割り当てた。顧客が自由に設計できるタイプは「オリジナル」と総称した[6]

3設計部の枠組み共通化と「セントレージDR」投入

商品名の絞り込みに合わせ、積水ハウスは大阪・東京・広島の3設計部が独立して進めてきた商品開発にも共通の枠組みを設けた。ブランドごとに使用する部材や形式の条件を定め、「グルニエ」ならルーフバルコニーを備え外壁にFSウォールを使うといった制限を課したうえで、各設計部が地域特性を反映した個々の商品を開発する仕組みに改めた。漆谷常務は「将来的には部品点数の削減などにも結びつけていく」考えを示し、コスト面の効果も見込んでいた[7]

再編の成果として1993年5月1日に投入したのが、首都圏向けの一戸建て住宅「セントレージDR」だった。広島発の「セントレージ」ブランドの条件に従いながら東京の設計部が手がけ、都心部の狭い敷地での建て替えに対応しやすいよう50センチ刻みで間取りを決められる工夫を凝らした。従来の同クラス品より2割安い価格を前面に出し、同社が価格を織り込んだ広告を出すのは15年ぶりのことだった[8]

結果

業界トップのシェアと首都圏での劣勢

1992年度のプレハブ住宅市場で、積水ハウスのシェアは24.8%と業界首位を保ち、2位のミサワホームを9.5ポイント上回った。しかし大阪に本社を置く同社は、首都圏でのシェアが相対的に低く、市場規模の大きい東京都や神奈川県では他社にトップの座を奪われていた。首都圏で伸びなければ会社全体の成長に響く構図のなかで、「セントレージDR」はその弱点を補う戦略商品として投入された[9]

もっとも、商品名の削減がそのまま商品の種類の削減につながったわけではなかった。実態は、これまでばらばらだった商品を系列化し、共通のブランド名で束ねた段階にとどまっていた。漆谷常務は「将来的には部品点数の削減などにも結びつけていく」と述べており、再編を通じたコスト構造への波及は、この時点ではなお見通しの段階に置かれていた[10]

貸家需要の反落と一戸建て頼みの業績構造

積水ハウスの業界トップの座は、アパート建築市場での強さに支えられてきた。生産緑地法改正の追い風を受けた1993年1月期は、集合住宅の販売戸数が5万3399戸と前期比21.3%増えたが、奥井功社長は同年3月の決算発表の席で「賃貸アパートの着工戸数は91年度並みにまで減るのではないか。楽な経営環境とは思わない」と、翌期の厳しい見通しを示した[11]

都市開発事業への投資や社債償還も金融収支を圧迫し、1993年1月期末の有利子負債は4353億円と前期末より333億円増え、金融収支は前期の94億円の黒字から55億円の赤字に転じた。この結果、経常利益は728億円と前期比18.6%減少した。翌1994年1月期は前期並みの7万6500戸の販売を計画するが、集合住宅の減少を補うには一戸建て住宅を前期実績の2万2926戸より2000戸以上積み増す必要があった。ブランド名を絞り込んで他社と差をつける今回の再編は、この一戸建て住宅の上積みを狙った販売力強化の一環であった[12]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1993年7月5日号「積水ハウス 乱立した商品名を集約 特徴強めブランド力向上」
  • 日本会社史総覧(1995)