グランドセイコーの独立ブランド化と日本発ラグジュアリーへの転換
量産の「SEIKO」から高級時計をどう切り離したか——機能から感性価値への転換
更新:
- 概要
- 2017年、セイコーは最高級ライン「グランドセイコー」を量産ブランドの「SEIKO」から切り離し、文字盤からSEIKOロゴを外して独立したブランドとした経営判断。会長兼グループCEOの服部真二氏と、セイコーウオッチ社長の高橋修司氏が主導し、日本発のラグジュアリーウオッチへ育てる路線を敷いた。
- 背景
- クオーツショック以降、セイコーは「安く正確」な量産時計で世界を席巻した反面、高級機械式ではスイス勢に劣後し、海外ではなお中級品のイメージが残っていた。消費者がスペックの優劣よりデザインやブランドで時計を選ぶ市場変化も進んでいた。
- 内容
- グランドセイコーをSEIKOブランド群から独立させ、文字盤の表記をGSへ統一した。高橋修司氏の掲げるデザイン経営(機能より感性価値、迷ったらデザインを選ぶ)と、2020年に新設したグランドセイコースタジオ雫石による最高級機の一貫生産で、日本の美意識を体現する高価格帯ブランドを志向した。
- 含意
- 自らクオーツで築いた量産ブランドの像を、その頂点で切り離し、感性価値へ寄せる転換であった。北米を中心に高級時計市場で存在感を高め、旧ウオッチ事業(EVS)の高付加価値化がグループ収益を牽引する構図につながった。
量産で世界を制した会社が挑む、感性価値の領域
この判断の核心は、自らが生み出した「安く正確」という価値を、その頂点で相対化した点にある。クオーツで機械式の牙城を崩し量産時計の世界標準を築いた会社が、半世紀を経て、正確さでは劣る機械式と、比較しにくい感性の価値の側へ進んだ。効率と精度で勝ち上がった企業が、あえて効率では測れない領域へ踏み込む——その反転には、量産ブランドとしての成功が、かえって高級化の制約になるという時計産業の逆説がうかがえる。グランドセイコーをSEIKOから切り離す判断は、この矛盾に一つの区切りをつける試みであったとみることができる。
もっとも、ラグジュアリーは短期に築けるものではない。服部真二氏自身、認知は時間をかけて積むものと語っており、掲げる世界のトップ10ブランドという目標はなお道半ばにある。北米での支持やEVSの収益貢献は独立の効果を示す一方で、スイスの老舗が積み上げてきた歴史の厚みに、技術と日本の美意識でどこまで並べるかは、これからの市場が決める。量産で世界を制した会社が、その対極にある領域で世界に認められるかどうかが、この転換の成果を分ける。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
クオーツで築いた「量産メーカー」の像
セイコーは1969年に世界初のクオーツウオッチを発売し、機械式で市場の頂点にあったスイス勢を追い落とした。関連特許を開放してクオーツを普及させ、正確さと低価格を両立した量産時計の世界標準を築いた。もっとも、その成功は同時に、セイコーを工業製品の量産メーカーとして印象づけた。腕時計ジャーナリストの並木浩一氏は、日本企業はクオーツの印象が強すぎ単なる工業品メーカーとして見られていると評しており、量産で勝ち上がった過去が、かえって高価格帯での評価を押し下げる一因になっていた[1]。
一方で腕時計の世界では、金額で見た市場のおよそ7割を機械式が占めていた。正確さとコストではクオーツが勝りながら、高い付加価値は機械式に集まる構造で、スイスのブランドがその頂点を占めていた。セイコーは1000ドルを超える価格帯において、国内では善戦しても海外ではスイス時計の牙城を崩せずにいた。時計市場の本丸である高級機械式でいかに巻き返すかが、収益と評価の双方を左右する課題として残されていた[2]。
高級回帰の助走と、残る中級品イメージ
セイコーは高級機械式への回帰を早くから進めていた。1998年に機械式のグランドセイコーを復活させ、1999年には機械式とクオーツの長所を融合した独自機構スプリングドライブを実用化した。2010年からは海外展開を本格化させ、直営のブティックを世界へ広げていった。こうした積み重ねが実を結び、グランドセイコーの売上高は2016年までの5年間で3倍に伸びるなど、国内では高価格帯での手応えを得ていた[3][4]。
それでも海外では、SEIKOという名がなお中級品の記憶と結びついていた。当時会長兼グループCEOでセイコーウオッチ社長を兼ねた服部真二氏は、一般消費者のなかにセイコーを中級品と受け止める人が多いと認めつつ、実用時計の最高峰であるグランドセイコーを世界に通用するグローバルブランドへ育てると語っていた。買収による多品目化で攻めるシチズンとは対照的に、セイコーは独力でひとつのブランドを磨く道を選んでおり、そのためには量産の「SEIKO」との距離の取り方が避けて通れない論点になっていた[5][6]。
決断
2017年、文字盤からSEIKOを外す
2017年、セイコーはグランドセイコーを量産ブランドの「SEIKO」から切り離し、独立したブランドとした。象徴となったのが文字盤の表記であった。それまで最高級機にも入っていた「SEIKO」の文字を外し、「GS」のロゴへ統一した。量産品と最高級ラインが同じ名を分け合う状態を解き、グランドセイコー単独で高級時計として立たせる判断であった。東洋経済オンラインはこの変化を「SEIKOロゴが消えた日」と表現し、高級ブランドの育成に本腰を入れてスイス勢へ対抗する動きだと論じた[7]。
この独立を主導したのは、会長兼グループCEOの服部真二氏であった。服部氏は後年、2017年にグランドセイコーをセイコーから独立させた決断は間違っていなかったと振り返っている。創業家の出身としてブランドの来歴を重んじる立場から、量産で築いた世界的な知名度と、高級時計に求められる希少性とを同じ看板のもとで両立させることの難しさに、区切りをつけた判断とみることができる[8]。
デザイン経営と「引き算」の思想
ブランドの中身を担ったのが、2017年にセイコーウオッチ社長へ就いた高橋修司氏のデザイン経営であった。高橋氏は、消費者がデザインやブランドを軸に商品を選ぶようになり、機能よりも感性価値が重要になっていると捉えた。そのうえで、右か左で迷ったらデザインを選ぶことこそがデザイン経営だと語った。スペックの優劣で競うクオーツの発想から、手に取ったときの佇まいや所有する喜びで選ばれる製品づくりへと、価値の置きどころを移そうとしていた[9]。
高橋氏は、足し算を好む従来のラグジュアリーに対し、グランドセイコーは引き算をやってきたと述べ、日本の美意識に沿った簡潔な意匠を強みに据えた。2020年にはグランドセイコーの60周年に合わせ、盛岡セイコー工業の敷地内に機械式時計の専門工房グランドセイコースタジオ雫石を新設し、最高級機を一貫生産する体制を整えた。感性に訴える価値づくりを、思想だけでなく生産の裏づけを伴って進めていった[10][11]。
結果
北米での評価と、EVSの収益牽引
独立したグランドセイコーは、世界最大の高級時計市場であるアメリカを軸に評価を高めた。日本の職人技への支持を背景に北米で存在感を増し、東洋経済オンラインはグランドセイコーがロレックスを追撃できた理由を論じるまでになった。社長を務めた中村吉伸氏は、グランドセイコーが日本的な美しさを象徴するブランドへ定着してきたと語り、実用時計の最高峰という当初の位置づけを超えて、高級時計としての像が固まってきたことを示した[12][13]。
高付加価値化は業績にも表れた。旧ウオッチ事業を引き継ぐエモーショナルバリューソリューション(EVS)の売上高は、2024年3月期の1854億円から2025年3月期に2012億円へ伸び、営業利益は172億円から223億円へ拡大して、グループの稼ぎ頭になった。連結でも2025年3月期の売上高は3047億円、営業利益は212億円と、金融危機やガバナンス危機に沈んだ時期を上回る水準まで回復した。グランドセイコーを軸とする感性価値路線が、収益の柱として働き始めていた[14][15]。
- 週刊東洋経済 2016年8月27日号「和製高級時計は雲上になれるか」
- 週刊東洋経済 2016年8月27日号「スイスの牙城に食い込め トップが語る"ウチのやり方"」
- 東洋経済オンライン(2017年5月14日)「セイコーの時計から『SEIKO』ロゴが消えた日 高級ブランドの育成に本腰、スイス勢に対抗」
- 日経クロストレンド(2019年1月11日)「デザイン経営に舵、セイコーウオッチ社長『機能より感性価値』」
- webChronos(クロノス日本版)2020年5月3日「【インタビュー】セイコーウォッチ代表取締役社長『高橋修司』」
- webChronos(クロノス日本版)2025年12月2日「セイコーウオッチ代表取締役会長 兼 CEO 兼 CCOの服部真二にインタビュー」
- 東洋経済オンライン(2024年10月6日)「グランドセイコーがロレックスを追撃できた理由 日本の職人技が世界最大のアメリカで高い支持」
- 日経MM トップインタビュー(2021年3月26日)「セイコーホールディングス代表取締役社長 中村吉伸」
- セイコーグループ 有価証券報告書(2025年3月期・連結)
- セイコーグループ 有価証券報告書(連結・セグメント情報)
- セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】