セイコーグループ の歴史

創業

1881年

創業者

服部金太郎

創業地

東京都中央区

直近売上高(2025/3)

3,047億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1892年に、時計商だった服部金太郎氏は自前の製造工場を持ったのか
A 舶来の時計は高級な輸入品で、供給も価格も外国のメーカーに握られていた。国内で量産できれば供給と品質を自ら押さえられると服部金太郎氏は読んだ。中古時計の売買と修繕で時計の構造を知り抜いた金太郎氏は、1881年に開いた服部時計店で蓄えた信用と資金を元手に、1892年に製造工場の精工舎を設立し、掛時計から目覚時計、懐中時計へと国産の量産を広げた。輸入品に頼っていた国内需要を自前の生産で置き換える技術志向が、この時期に形づくられた。
Q なぜ1969年のクオーツウオッチが、セイコーを時計会社から精密技術の複合企業へ変えたのか
A 機械式時計は精度に物理的な限界があり、量産しても個体差が残った。水晶振動子で時を刻むクオーツなら電子制御で精度を安定させ、高精度と量産を両立できると見込んだためである。第二精工舎と諏訪精工舎という二つの製造会社が設計と量産を競い合う体制が、電子式への跳躍を後押しした。1969年に世界初のクオーツウオッチを発売したセイコーは、スイス時計業界を揺るがすクオーツショックを引き起こした。時計づくりで磨いた微細加工と組立の技術は、電子部品や半導体、プリンタへ枝分かれし、単一製品の会社を精密技術の複合企業へ変えた。
Q なぜ2016年以降、半導体・プリンタを手放してウオッチ中心のソリューションカンパニーへ回帰したのか
A 半導体やプリンタは市況の変動が激しく、世界金融危機のあとの需要減退で業績の重しになり、回復と赤字を繰り返したためである。収益の安定したウオッチへ資源を集めるため、2017年3月期に半導体事業を日本政策投資銀行との共同出資会社へ移し、大判プリンタ事業を沖データへ譲渡した。2019年3月期には半導体事業が連結から外れ、電子デバイス事業の売上高は縮小した。祖業の時計へ回帰したセイコーグループは、グランドセイコーの高付加価値化で利幅を厚くし、社会課題を解くソリューションカンパニーへ姿を描き直した

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1881年〜 服部金太郎の創業と精工舎による精密時計の国産化

  1. 1881年 服部金太郎が東京で時計商・服部時計店を創業
  2. 1892年 時計製造工場・精工舎を設立し時計製造を開始
  3. 1917年 会社組織に改めの服部時計店が発足
  4. 1932年 東京銀座に本社社屋が完成
  5. 1937年 精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎に
  6. 1947年 小売部門を分離し和光を設立

時計商から製造工場を持つまでの二本立て体制

服部金太郎氏が1881年に東京で時計商の服部時計店を開き、輸入時計の販売と修理から事業を始めた。舶来の時計が高級品として流通していた時代に、金太郎氏は中古時計の売買と修繕で信用と資金を蓄え、やがて自前の製造へと踏み込む足場を築いた。翌1892年には時計製造工場の精工舎を設立し、掛時計の製造を開始した。販売を担う服部時計店と製造を担う精工舎という二本立ての体制が、のちのセイコーグループの原型になった。舶来品を売り歩く商人が、国内で時計をつくる工場主へと事業を広げた点に、この会社の技術志向の出発点があった。 [1][2][3]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1881年12月 服部金太郎が創業(服部時計店)
    • [2]創業者は服部金太郎
    • [3]1892年3月 時計製造工場の精工舎を設立し時計製造を開始

精工舎は掛時計から目覚時計、懐中時計へと製造の幅を広げ、輸入品に頼っていた国内の時計需要を自前の量産で置き換えた。時計は多数の微小部品を精度よく組み上げる機械であり、その製造は日本の近代工業の中でも高い加工技術を要する分野だった。精工舎で蓄えた精密加工と組立の力は、のちに電子部品や半導体、プリンタといった時計以外の精密製品へ枝分かれしていく技術の土台になった。ものづくりを通じて社会の不便を解くという性格は、この創業期に形づくられ、その後のセイコーグループへ受け継がれた。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1881年12月 服部金太郎が創業(服部時計店)
    • [2]創業者は服部金太郎
    • [3]1892年3月 時計製造工場の精工舎を設立し時計製造を開始

株式会社化と戦前・戦後に生まれた分社の系譜

1917年には会社組織へ改め、資本金500万円の株式会社服部時計店が発足した。個人商店から資本を集める株式会社への転換は、製造設備への投資と事業拡大を支える資本基盤を整える意味を持った。1932年には東京銀座に本社社屋が完成し、銀座の時計塔は東京の街の景観に溶け込む象徴になった。1937年には精工舎のウオッチ部門が分離独立して株式会社第二精工舎となり、腕時計の製造を担う専門会社が生まれた。この第二精工舎が、現在のセイコーインスツル株式会社へと連なる。製造機能を用途ごとに切り出して独立会社に育てる分社の手法は、この時期から始まった。 [4][5][6]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1917年10月 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる
    • [5]1932年6月 東京銀座に本社社屋完成
    • [6]1937年9月 精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎(現セイコーインスツル)となる

戦後の1947年には小売部門を分離して株式会社和光を設立し、銀座の高級時計・宝飾店として販売の顔を独立させた。製造は第二精工舎、小売は和光と、機能ごとに会社を分ける体制が戦後復興のなかで整った。時計は精密部品の集合体であり、腕時計の量産技術は戦後日本の機械工業を底上げする役割も担った。服部時計店を頂点に、製造・小売・部品供給が別会社として連なる緩やかな企業連合の姿は、のちの持株会社体制やグループ再編を先取りするものだった。機能ごとに会社を分けて束ねる仕組みが、この会社には早くから根づいていた。 [7]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1947年4月 小売部門を分離し株式会社和光を設立
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1917年10月 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる
    • [5]1932年6月 東京銀座に本社社屋完成
    • [6]1937年9月 精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎(現セイコーインスツル)となる
    • [7]1947年4月 小売部門を分離し株式会社和光を設立

1949年〜 株式上場とクオーツ革命が生んだ技術の多極化

  1. 1949年 東京証券取引所に上場
  2. 1959年 第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎に
  3. 1964年 東京オリンピックの公式計時を担当
  4. 1968年 HATTORI (H.K.) LTD.を設立
  5. 1969年 世界初のクオーツウオッチ「アストロン」と特許公開による技術のデファクト化 自らの機械式優位を崩す電子化へ踏み込み、特許まで公開したのはなぜか——独占ではなく普及で世界標準を取った判断
  6. 1970年 SEIKO TIME CORPORATIONを設立
  7. 1970年 工場精工舎を分離し精工舎を設立

東証上場と諏訪工場の独立、五輪計時が磨いた精度

1949年には東京証券取引所に上場し、服部時計店は資本市場から資金を調達できる公開企業になった。1959年には第二精工舎の諏訪工場が分離独立して株式会社諏訪精工舎となり、これが現在のセイコーエプソン株式会社へと連なる。第二精工舎と諏訪精工舎という二つの製造会社が、それぞれ独自に腕時計の設計と量産を競い合う体制が生まれ、社内に二つの技術系譜が並び立った。同じ服部時計店の傘の下で複数の開発拠点が互いに張り合う構図は、単一の工場では生まれにくい技術の跳躍を後押しし、のちのクオーツ開発でも力を発揮する土台になった。 [8][9]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1949年5月 東京証券取引所に上場
    • [9]1959年5月 第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎(現セイコーエプソン)となる

1964年の東京オリンピックでは公式計時を担当し、競技の記録を電子式の計時装置で計測した。国際大会で要求される正確さと信頼性の水準は、社内の時計技術を実戦で鍛える機会になった。以後もセイコーは1972年の札幌をはじめ数々のオリンピックで公式計時を務め、競技現場で磨いた計測技術が製品の精度向上へ還流した。スポーツ計時という極限の用途で精度を証明する経験は、量産する腕時計の品質を語るうえでの裏づけにもなった。時間を正確に刻むという一点を突き詰めることが、この会社を一段先の技術へ押し上げた。 [10][11]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1964年10月 東京オリンピックの公式計時を担当
    • [11]1972年2月 札幌オリンピックの公式計時を担当
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1949年5月 東京証券取引所に上場
    • [9]1959年5月 第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎(現セイコーエプソン)となる
    • [10]1964年10月 東京オリンピックの公式計時を担当
    • [11]1972年2月 札幌オリンピックの公式計時を担当

世界初のクオーツウオッチと海外市場への展開

1969年、セイコーは世界で初めて水晶発振式のクオーツウオッチを発売した。水晶振動子で時を刻むクオーツは、機械式に比べて桁違いの精度を持ち、時計を精密な工芸品から量産可能な電子製品へと変える転換点になった。この技術は世界の時計産業の勢力図を塗り替え、精密機械の本場だったスイス時計業界に深刻な打撃を与えたことから、のちに「クオーツショック」と呼ばれた。日本のメーカーが世界標準の技術を先導した象徴として、このクオーツウオッチの意義は国際的にも認められ、1999年にはワシントンのスミソニアン博物館へムーブメントのレプリカが展示された。 [12][13]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1969年12月 世界初の水晶発振式(クオーツ)ウオッチを発売
    • [13]1999年11月 スミソニアン博物館に世界初のクオーツウオッチ(セイコークオーツアストロン)ムーブメントのレプリカが展示

クオーツで技術の先頭に立ったセイコーは、製品を売る市場も国内から海外へ広げた。1968年に香港へ販売会社を設け、1970年にはアメリカ、1971年にはイギリスへと販売拠点を相次いで置き、SEIKOブランドを世界市場へ送り出した。国内では1970年に工場精工舎を分離して株式会社精工舎を設立し、腕時計以外のクロックや電子部品の製造を担わせた。精度と量産を両立したクオーツ技術と、それを世界へ運ぶ販売網が組み合わさり、セイコーは日本を代表する時計ブランドとして国際的な地位を固めた。 [14][15][16][17]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1968年11月 香港に販売会社(現SEIKO Hong Kong)を設立
    • [15]1970年5月 アメリカに販売会社(SEIKO TIME CORPORATION)を設立
    • [16]1971年11月 イギリスに販売会社(現SEIKO U.K.)を設立
    • [17]1970年11月 工場精工舎を分離し株式会社精工舎を設立
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1969年12月 世界初の水晶発振式(クオーツ)ウオッチを発売
    • [13]1999年11月 スミソニアン博物館に世界初のクオーツウオッチ(セイコークオーツアストロン)ムーブメントのレプリカが展示
    • [14]1968年11月 香港に販売会社(現SEIKO Hong Kong)を設立
    • [15]1970年5月 アメリカに販売会社(SEIKO TIME CORPORATION)を設立
    • [16]1971年11月 イギリスに販売会社(現SEIKO U.K.)を設立
    • [17]1970年11月 工場精工舎を分離し株式会社精工舎を設立

1983年〜 服部セイコーへの改称と多角化、持株会社への移行

セイコーグループの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1983年 社名を服部セイコーに
  2. 1988年 自動巻発電クオーツウオッチを発売
  3. 1988年 SEIKOSHA (THAILAND) CO.,LTD.を設立
  4. 1996年 セイコークロックとセイコープレシジョンを設立
  5. 1996年 セイコーオプティカルプロダクツを設立し眼鏡事業を分社
  6. 2001年 持株会社への移行と祖業ウオッチ事業の分社 事業を営む会社から統括する司令塔へ——なぜ祖業のウオッチ事業まで切り出したのか
  7. 2001年 持株会社体制へ移行

時計技術から派生した電子・半導体・プリンタへの多角化

1983年に社名を株式会社服部セイコーへ改め、創業者の家名を冠した商号のもとで事業の幅を広げた。腕時計づくりで培った微細加工と組立の技術は、水晶振動子や電子部品、半導体、プリンタといった時計以外の精密製品へ枝分かれし、電子デバイスが時計に次ぐ事業の柱に育った。1988年には自動巻きの動きで発電するクオーツウオッチを発売し、電池交換のいらない駆動方式を実用化した。時計そのものの技術革新と、時計から派生した電子・デバイス事業の拡大が並走し、単一製品の会社から精密技術の複合企業へと姿を変えた。 [18][19]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1983年8月 社名を株式会社服部セイコーとする
    • [19]1988年4月 自動巻発電クオーツウオッチ(現KINETIC)を発売

1997年には社名をセイコー株式会社へ改め、ブランド名と会社名を一致させた。1999年には機械式とクオーツの長所を融合した独自駆動機構のスプリングドライブを実用化し、電子制御でぜんまいの回転を精密に調速する新方式を世界で初めて製品化した。クオーツショック以降、電子式に傾いた時計技術の流れのなかで、機械式の趣とクオーツの精度を両立させる独自路線を打ち出した点に、この会社の技術志向がよく表れている。単に安く正確な時計を量産するのではなく、他社が持たない駆動方式を自前で生み出すことが、高付加価値の製品づくりへとつながった。 [20][21]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1997年7月 社名をセイコー株式会社とする
    • [21]1999年12月 機械式とクオーツを融合した世界初の駆動機構スプリングドライブウオッチを発売
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1983年8月 社名を株式会社服部セイコーとする
    • [19]1988年4月 自動巻発電クオーツウオッチ(現KINETIC)を発売
    • [20]1997年7月 社名をセイコー株式会社とする
    • [21]1999年12月 機械式とクオーツを融合した世界初の駆動機構スプリングドライブウオッチを発売

事業の分社化から2001年の持株会社体制への移行

1990年代後半、セイコーは事業ごとに専門会社を切り出す分社化を相次いで進めた。1996年にはクロックとプレシジョンの各事業、眼鏡事業を分社し、1997年にはジュエリー事業、2000年にはスポーツ・トイレタリー事業をそれぞれ別会社へ移した。多角化で広がった事業群を機能ごとに独立採算の会社へ束ね直す作業は、のちの持株会社化への助走になった。そして2001年、ウオッチ事業をセイコーウオッチ株式会社として分社し、セイコー本体は事業を営む会社から傘下会社を統括する持株会社へと姿を変えた。祖業の時計事業まで子会社へ切り出す決断が、グループ経営への転換を決定づけた。 [22][23][24]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1996年 セイコークロック・セイコープレシジョン設立、眼鏡事業を分社(セイコーオプティカルプロダクツ)
    • [23]1997年 ジュエリー事業を分社(セイコージュエリー)/2000年 スポーツ・トイレタリー事業を分社(セイコーエスヤード)
    • [24]2001年7月 ウオッチ事業をセイコーウオッチとして分社し持株会社となる

2004年には世界初のクオーツウオッチであるセイコークオーツアストロンが、電気・電子分野の学術団体であるIEEEのマイルストーン賞を受賞し、1969年の技術革新は歴史的な達成として国際的な評価を得た。持株会社体制のもとでウオッチ事業と電子デバイス事業を並立させたセイコーは、2007年に社名をセイコーホールディングス株式会社へ改め、傘下事業を統括する持株会社であることを社名に明示した。祖業の時計と、そこから派生した電子・デバイス事業を複数の子会社に分けて運営する体制が、この時期に整った。会社の形は、単一メーカーからグループの司令塔へと移った。 [25][26]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]2004年11月 セイコークオーツアストロンがIEEEマイルストーン賞を受賞
    • [26]2007年7月 社名をセイコーホールディングス株式会社とする
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1996年 セイコークロック・セイコープレシジョン設立、眼鏡事業を分社(セイコーオプティカルプロダクツ)
    • [23]1997年 ジュエリー事業を分社(セイコージュエリー)/2000年 スポーツ・トイレタリー事業を分社(セイコーエスヤード)
    • [24]2001年7月 ウオッチ事業をセイコーウオッチとして分社し持株会社となる
    • [25]2004年11月 セイコークオーツアストロンがIEEEマイルストーン賞を受賞
    • [26]2007年7月 社名をセイコーホールディングス株式会社とする

2009年〜 ガバナンス危機を越えたソリューションカンパニーへの回帰

セイコーグループの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2009年 セイコーインスツルを経営統合
  2. 2010年 取締役会による現職トップの解任と創業家出身・服部真二氏の社長登板 創業家の院政と大株主支配のもとで、取締役会はなぜ現職の会長兼社長を解いたか
  3. 2010年 服部真二氏が社長に就任
  4. 2012年 世界初のGPSソーラーウオッチを発売
  5. 2017年 グランドセイコーの独立ブランド化と日本発ラグジュアリーへの転換 量産の「SEIKO」から高級時計をどう切り離したか——機能から感性価値への転換
  6. 2020年 盛岡セイコー工業内に「グランドセイコースタジオ 雫石」を新設
  7. 2021年 セイコークロックとセイコータイムシステムが合併しセイコータイムクリエーションに

セイコーインスツル統合とリーマン後の業績低迷

世界金融危機の直撃を受け、セイコーホールディングスは2009年3月期に連結売上高1740億円まで落ち込み、経常損益47億円の赤字、最終損益58億円の赤字を計上した。この逆境のなかで2009年10月、腕時計部品の名門であるセイコーインスツル株式会社を経営統合し、部品から完成品までを一つのグループに束ねた。統合の効果もあって2011年3月期の連結売上高は3139億円へ回復したが、翌2012年3月期には経常利益13億円の黒字にとどまりながら最終損益は110億円の赤字となり、事業の立て直しは道半ばだった。金融危機と再編が重なった時期の業績は、回復と後退を繰り返す不安定なものだった。 [27]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2009年10月 セイコーインスツル株式会社を経営統合

セイコーインスツルは、腕時計の心臓部であるムーブメントや微小な精密部品の技術を長く磨いてきた会社で、その技術は時計にとどまらず電子部品や機構部品の分野にも広がっていた。統合によってセイコーグループは、完成品を組み立てるウオッチ事業と、部品や電子デバイスを供給する事業を垂直に束ね、内製できる技術の範囲を広げた。ただし電子デバイス事業は半導体やプリンタなど市況の変動が大きい領域を抱え、金融危機後の需要減退が業績の重しになった。時計という祖業の強さと、多角化した電子事業の不安定さが同居する構図が、この時期のセイコーグループの経営課題として浮かび上がった。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2009年10月 セイコーインスツル株式会社を経営統合

2010年のトップ解任と創業家出身の服部真二の登板

2010年4月30日、セイコーホールディングスは取締役会で村野晃一会長兼社長の職を解き、後任の社長に服部真二氏が就いた。創業者の服部金太郎氏の曾孫にあたる服部真二氏は、金融機関の支援を得られなくなりかねない危機的な財務状況のもとで、ガバナンスと内部統制の立て直しを最優先に掲げた。上場企業のトップが取締役会で解任される異例の経営体制の転換は、経済メディアでも報じられた。服部真二氏は業績はガバナンスを整えた後についてくるとして、まず会社の統治の仕組みを作り直すことに取り組んだ。創業家の一員が経営の前面に立ち、企業風土そのものを変えようとした点に、この転換の重さがあった。 [28][29]

  • 日本経済新聞 2010/4/30(セイコーHD社長解任「古い体質改める」)
    • [28]2010年4月30日の取締役会で村野晃一が会長兼社長職を解任、後任社長に服部真二が就任
  • 日本経済新聞(こころの玉手箱)2016/9
    • [29]服部真二は創業者・服部金太郎の曾孫

服部真二氏は、失敗を恐れて動かない企業風土を変えることを経営再建の柱に据えた。打たれることを避けて出る杭にならない組織ではなく、挑戦する人を称える組織へと変えていくという方針を、就任後の取材で繰り返し語った。前任者の解任は誰かが仕掛けたものではなく組織の自浄作用が働いた結果だと、服部真二氏は後に振り返っている。業績の数字よりも先に会社の統治と風土を作り直すことを、新しい経営陣は明確に打ち出した。創業家出身のトップが自ら旗を振って企業文化の刷新に踏み込んだことが、その後のセイコーグループの立て直しの出発点になった。 [30][31]

  • ダイヤモンド・オンライン 2010/7/26
    • [30]服部真二が「出る杭を称える」企業風土への転換を掲げた
    • [31]服部真二が村野氏の解任を「自浄効果が働いた結果」と振り返った
  • 日本経済新聞 2010/4/30(セイコーHD社長解任「古い体質改める」)
    • [28]2010年4月30日の取締役会で村野晃一が会長兼社長職を解任、後任社長に服部真二が就任
  • 日本経済新聞(こころの玉手箱)2016/9
    • [29]服部真二は創業者・服部金太郎の曾孫
  • ダイヤモンド・オンライン 2010/7/26
    • [30]服部真二が「出る杭を称える」企業風土への転換を掲げた
    • [31]服部真二が村野氏の解任を「自浄効果が働いた結果」と振り返った

事業ポートフォリオ再編とソリューションカンパニーへの回帰

立て直しの過程でセイコーグループは、市況変動の大きい事業を切り離した。2017年3月期の決算では半導体事業を日本政策投資銀行との共同出資新会社へ移し、大判プリンタ事業を沖データへ譲渡した。2019年3月期には半導体事業会社の株式一部譲渡に伴う特別利益93億円を計上し、半導体事業が連結から外れた。この結果、電子デバイス事業の売上高は2018年3月期の782億円から2019年3月期の522億円へ縮小し、収益の振れ幅が大きい領域を手放した分だけ事業の構成は身軽になった。稼ぐ力の安定した領域へ経営資源を寄せる選別が、この時期のポートフォリオ再編の狙いだった。 [32][33]

  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2018年3月期)
    • [32]2019年3月期 半導体事業会社の株式一部譲渡に伴う特別利益93億円を計上、半導体が連結離脱
  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2016年3月期)
    • [33]半導体事業を日本政策投資銀行との共同出資新会社へ移管、大判プリンタ事業を沖データへ譲渡(2016年3月期決算)

2022年3月期からセイコーグループは開示するドメインを、旧ウオッチ事業を中心とするエモーショナルバリューソリューション、旧電子デバイスのデバイスソリューション、システムソリューションの三つへ再編した。2022年10月には社名をセイコーグループ株式会社へ改め、時計会社の枠を超えたグループであることを商号で示した。同年に策定した第8次中期経営計画は、創業145周年にあたる2026年を見据えた「SMILE145」と名づけられ、人々と社会に感動をもたらすソリューションカンパニーを掲げた。会長兼グループCEOの服部真二氏は、社会課題を解決するソリューションの気質は祖業の時計づくりから受け継いだDNAだと語り、時計から出発した会社の来歴を将来像へつなげた。 [34][35][36]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2022年10月 社名をセイコーグループ株式会社とする
  • セイコーグループ 統合報告書(SEIKO GROUP VALUE REPORT)
    • [35]第8次中期経営計画「SMILE145」(2022〜2026年度)を策定
  • 日経ビジネス電子版 2022/7/1
    • [36]服部真二会長兼グループCEOが「ソリューションカンパニーの気質は祖業の時計づくりから受け継いだDNA」と発言

高付加価値へ向かう流れは腕時計の本業でも鮮明になった。2020年にはグランドセイコーの60周年に合わせ、盛岡セイコー工業の敷地内へ機械式時計の専門工房であるグランドセイコースタジオ雫石を新設し、最高級機の生産体制を整えた。デザインと感性の価値を軸に商品を選ぶ消費者が増えたとの認識のもと、機能の優劣だけでなく感性に訴える価値づくりへと経営の方針を寄せた。こうした取り組みが実を結び、連結売上高は2025年3月期に3047億円、営業利益は212億円へと、低迷期を上回る水準まで回復した。金融危機とガバナンス危機を越えたセイコーグループは、時計を核としながら社会課題を解くソリューションカンパニーとしての姿を描き直している。 [37][38]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [37]2020年 グランドセイコー60周年に合わせグランドセイコースタジオ雫石を盛岡セイコー工業内に新設
  • 日経クロストレンド 2019/1/11
    • [38]高橋修司社長が機能より感性価値を重視するデザイン経営の方針を語った
  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2018年3月期)
    • [32]2019年3月期 半導体事業会社の株式一部譲渡に伴う特別利益93億円を計上、半導体が連結離脱
  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2016年3月期)
    • [33]半導体事業を日本政策投資銀行との共同出資新会社へ移管、大判プリンタ事業を沖データへ譲渡(2016年3月期決算)
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2022年10月 社名をセイコーグループ株式会社とする
    • [37]2020年 グランドセイコー60周年に合わせグランドセイコースタジオ雫石を盛岡セイコー工業内に新設
  • セイコーグループ 統合報告書(SEIKO GROUP VALUE REPORT)
    • [35]第8次中期経営計画「SMILE145」(2022〜2026年度)を策定
  • 日経ビジネス電子版 2022/7/1
    • [36]服部真二会長兼グループCEOが「ソリューションカンパニーの気質は祖業の時計づくりから受け継いだDNA」と発言
  • 日経クロストレンド 2019/1/11
    • [38]高橋修司社長が機能より感性価値を重視するデザイン経営の方針を語った

セイコーグループの沿革1881〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
服部金太郎が東京で時計商・服部時計店を創業
時計製造工場・精工舎を設立し時計製造を開始★★
会社組織に改めの服部時計店が発足
東京銀座に本社社屋が完成
精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎に★★
小売部門を分離し和光を設立
東京証券取引所に上場
第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎に★★
東京オリンピックの公式計時を担当★★
HATTORI (H.K.) LTD.を設立
世界初のクオーツウオッチ「アストロン」と特許公開による技術のデファクト化自らの機械式優位を崩す電子化へ踏み込み、特許まで公開したのはなぜか——独占ではなく普及で世界標準を取った判断 詳細を読む★★★
SEIKO TIME CORPORATIONを設立
工場精工舎を分離し精工舎を設立
SEIKO TIME (U.K.) LTD.を設立
札幌オリンピックの公式計時を担当
社名を服部セイコーに
自動巻発電クオーツウオッチを発売
SEIKOSHA (THAILAND) CO.,LTD.を設立
セイコークロックとセイコープレシジョンを設立
セイコーオプティカルプロダクツを設立し眼鏡事業を分社
社名をセイコーに
長野オリンピックの公式計時を担当
機械式とクオーツを融合した世界初の駆動機構(スプリングドライブ)ウオッチを発売
セイコーエスヤードを設立しスポーツ・トイレタリー事業を分社
持株会社への移行と祖業ウオッチ事業の分社事業を営む会社から統括する司令塔へ——なぜ祖業のウオッチ事業まで切り出したのか 詳細を読む★★★
持株会社体制へ移行★★
村野晃一社名をセイコーHDに
服部真二セイコーインスツルを経営統合★★
服部真二取締役会による現職トップの解任と創業家出身・服部真二氏の社長登板創業家の院政と大株主支配のもとで、取締役会はなぜ現職の会長兼社長を解いたか 詳細を読む★★★
服部真二服部真二氏が社長に就任
中村吉伸世界初のGPSソーラーウオッチを発売
中村吉伸グランドセイコーの独立ブランド化と日本発ラグジュアリーへの転換量産の「SEIKO」から高級時計をどう切り離したか——機能から感性価値への転換 詳細を読む★★★
高橋修司盛岡セイコー工業内に「グランドセイコースタジオ 雫石」を新設
高橋修司セイコークロックとセイコータイムシステムが合併しセイコータイムクリエーションに
高橋修司社名をセイコーグループに
高橋修司セイコーウオッチがセイコータイムクリエーションからクロック販売事業を承継
出典・参考
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
  • 日本経済新聞 2010/4/30(セイコーHD社長解任「古い体質改める」)
  • 日本経済新聞(こころの玉手箱)2016/9
  • ダイヤモンド・オンライン 2010/7/26
  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2018年3月期)
  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2016年3月期)
  • セイコーグループ 統合報告書(SEIKO GROUP VALUE REPORT)
  • 日経ビジネス電子版 2022/7/1
  • 日経クロストレンド 2019/1/11

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