セイコーグループ の歴史

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創業 1881年
創業者 服部金太郎
創業地 東京都中央区
創業
1881年12月、服部金太郎氏が東京で時計商の服部時計店を創業した。中古時計の売買と修繕で時計の構造を知り抜いたうえで、1892年3月に製造工場の精工舎を設け、掛時計から目覚時計、懐中時計へと国産の量産を広げている。1949年に東京証券取引所へ上場。1959年には第二精工舎の諏訪工場が分離独立して諏訪精工舎(現セイコーエプソン)となり、社内に二つの製造系譜が並び立った。商号は1983年に服部セイコー、1997年にセイコー、2007年にセイコーホールディングス、2022年にセイコーグループへと改めている。
決断
自分の優位を先に壊し、壊した先の技術を他社へ開いた。機械式の精度で世界と競っていた1969年12月、諏訪精工舎の開発した世界初のクオーツウオッチ『アストロン』を発売した。機械式の百倍を超える精度を製品にしたうえで関連特許を公開し、クオーツを一社の製品から世界共通の駆動方式へ広げている。対応の遅れたスイス勢は市場の首位から転落した。開いた技術は事業の多極化も呼び、1983年の服部セイコーへの改称以降、水晶振動子・電子部品・半導体・プリンタが時計に次ぐ事業へ育つ。1996年から続けた事業別の分社の総仕上げとして、2001年7月には祖業のウオッチ事業まで切り出し、本体を持株会社へ移した。祖業まで子会社へ差し出したことが、単一メーカーからグループ経営への切り替えを決めた。
現況
半導体とプリンタを外した結果、グループは再び時計の会社になった。2017年3月期に半導体事業を日本政策投資銀行との共同出資会社へ移し、大判プリンタ事業を沖データへ譲渡している。2026年3月期の連結売上高は3,356億円、営業利益309億円で、ウオッチを中心とするエモーショナルバリューソリューションが売上高2,180億円・セグメント利益286億円を占め、デバイスソリューション598億円・利益38億円、システムソリューション550億円・利益55億円が続く。同じ2017年3月にはグランドセイコーをSEIKOから切り離して独立ブランドにし、2020年には盛岡セイコー工業の敷地内へグランドセイコースタジオ雫石を設けた。安く正確な時計で世界を覆った会社が、その反対側の価格帯で全社の利益の大半を稼いでいる。
競合
相手はスイスの老舗であって、国内の同業ではない。1969年のクオーツは安く正確な時計を世界へ行き渡らせ、機械式の本場を一度は退けた。ところが半世紀後、消費者がデザインとブランドで時計を選ぶようになると、量産で築いたSEIKOの位置づけが高価格帯では制約に変わる。同じ電子化を進めた電卓の電子技術を腕時計へ移したカシオ計算機が耐衝撃という用途と量販店の売り場で伸びたのに対し、セイコーは機械式の工房と職人を抱え続けた側であり、そこを起点に独立ブランドへ切り替えた。1969年に自ら陳腐化させた機械式へ、半世紀後に最高級ラインで戻っている。
セイコーグループ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 服部金太郎の創業と精工舎による精密時計の国産化 (1881年〜)

時計商から製造工場を持つまでの二本立て体制

服部金太郎氏が1881年に東京で時計商の服部時計店を開き[1]、輸入時計の販売と修理から事業を始めた。舶来の時計が高級品として流通していた時代に、金太郎氏は中古時計の売買と修繕で信用と資金を蓄え、やがて自前の製造へと踏み込む足場を築いた。翌1892年には時計製造工場の精工舎を設立し[2]、掛時計の製造を開始した。販売を担う服部時計店と製造を担う精工舎という二本立ての体制が、のちのセイコーグループの原型になった。舶来品を売り歩く商人が、国内で時計をつくる工場主へと事業を広げた点に、この会社の技術志向の出発点があった。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1881年12月 服部金太郎が創業(服部時計店)
    • [2]1892年3月 時計製造工場の精工舎を設立し時計製造を開始

精工舎は掛時計から目覚時計、懐中時計へと製造の幅を広げ、輸入品に頼っていた国内の時計需要を自前の量産で置き換えた。時計は多数の微小部品を精度よく組み上げる機械であり、その製造は日本の近代工業の中でも高い加工技術を要する分野だった。精工舎で蓄えた精密加工と組立の力は、のちに電子部品や半導体、プリンタといった時計以外の精密製品へ枝分かれしていく技術の土台になった。ものづくりを通じて社会の不便を解くという性格は、この創業期に形づくられ、その後のセイコーグループへ受け継がれた。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1881年12月 服部金太郎が創業(服部時計店)
    • [2]1892年3月 時計製造工場の精工舎を設立し時計製造を開始

株式会社化と戦前・戦後に生まれた分社の系譜

1917年には会社組織へ改め、資本金500万円[3]の株式会社服部時計店が発足した。個人商店から資本を集める株式会社への転換は、製造設備への投資と事業拡大を支える資本基盤を整える意味を持った。1932年には東京銀座に本社社屋が完成し[4]、銀座の時計塔は東京の街の景観に溶け込む象徴になった。1937年には精工舎のウオッチ部門が分離独立して株式会社第二精工舎となり[5]、腕時計の製造を担う専門会社が生まれた。この第二精工舎が、現在のセイコーインスツル株式会社へと連なる。製造機能を用途ごとに切り出して独立会社に育てる分社の手法は、この時期から始まった。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1917年10月 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる
    • [4]1932年6月 東京銀座に本社社屋完成
    • [5]1937年9月 精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎(現セイコーインスツル)となる

戦後の1947年には小売部門を分離して株式会社和光を設立し[6]、銀座の高級時計・宝飾店として販売の顔を独立させた。製造は第二精工舎、小売は和光と、機能ごとに会社を分ける体制が戦後復興のなかで整った。時計は精密部品の集合体であり、腕時計の量産技術は戦後日本の機械工業を底上げする役割も担った。服部時計店を頂点に、製造・小売・部品供給が別会社として連なる緩やかな企業連合の姿は、のちの持株会社体制やグループ再編を先取りするものだった。機能ごとに会社を分けて束ねる仕組みが、この会社には早くから根づいていた。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1947年4月 小売部門を分離し株式会社和光を設立
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1917年10月 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる
    • [4]1932年6月 東京銀座に本社社屋完成
    • [5]1937年9月 精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎(現セイコーインスツル)となる
    • [6]1947年4月 小売部門を分離し株式会社和光を設立

東証上場と諏訪工場の独立、五輪計時が磨いた精度

1949年には東京証券取引所に上場し[7]、服部時計店は資本市場から資金を調達できる公開企業になった。1959年には第二精工舎の諏訪工場が分離独立[8]して株式会社諏訪精工舎となり、これが現在のセイコーエプソン株式会社へと連なる。第二精工舎と諏訪精工舎という二つの製造会社が、それぞれ独自に腕時計の設計と量産を競い合う体制が生まれ、社内に二つの技術系譜が並び立った。同じ服部時計店の傘の下で複数の開発拠点が互いに張り合う構図は、単一の工場では生まれにくい技術の跳躍を後押しし、のちのクオーツ開発でも力を発揮する土台になった。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1949年5月 東京証券取引所に上場
    • [8]1959年5月 第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎(現セイコーエプソン)となる

1964年の東京オリンピックでは公式計時を担当し[9]、競技の記録を電子式の計時装置で計測した。国際大会で要求される正確さと信頼性の水準は、社内の時計技術を実戦で鍛える機会になった。以後もセイコーは1972年の札幌をはじめ数々のオリンピックで公式計時を務め[10]、競技現場で磨いた計測技術が製品の精度向上へ還流した。スポーツ計時という極限の用途で精度を証明する経験は、量産する腕時計の品質を語るうえでの裏づけにもなった。時間を正確に刻むという一点を突き詰めることが、この会社を一段先の技術へ押し上げた。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1964年10月 東京オリンピックの公式計時を担当
    • [10]1972年2月 札幌オリンピックの公式計時を担当
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1949年5月 東京証券取引所に上場
    • [8]1959年5月 第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎(現セイコーエプソン)となる
    • [9]1964年10月 東京オリンピックの公式計時を担当
    • [10]1972年2月 札幌オリンピックの公式計時を担当

世界初のクオーツウオッチと海外市場への展開

1969年、セイコーは世界で初めて水晶発振式のクオーツウオッチを発売[11]した。水晶振動子で時を刻むクオーツは、機械式に比べて桁違いの精度を持ち、時計を精密な工芸品から量産可能な電子製品へと変える転換点になった。この技術は世界の時計産業の勢力図を塗り替え、精密機械の本場だったスイス時計業界に深刻な打撃を与えたことから、のちに『クオーツショック』と呼ばれた。日本のメーカーが世界標準の技術を先導した象徴として、このクオーツウオッチの意義は国際的にも認められ、1999年にはワシントンのスミソニアン博物館へムーブメントのレプリカが展示された[12]

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1969年12月 世界初の水晶発振式(クオーツ)ウオッチを発売
    • [12]1999年11月 スミソニアン博物館に世界初のクオーツウオッチ(セイコークオーツアストロン)ムーブメントのレプリカが展示

クオーツで技術の先頭に立ったセイコーは、製品を売る市場も国内から海外へ広げた。1968年に香港へ販売会社を設け[13]、1970年にはアメリカ、1971年にはイギリスへと販売拠点を相次いで置き[14][15]、SEIKOブランドを世界市場へ送り出した。国内では1970年に工場精工舎を分離して株式会社精工舎を設立し[16]、腕時計以外のクロックや電子部品の製造を担わせた。精度と量産を両立したクオーツ技術と、それを世界へ運ぶ販売網が組み合わさり、セイコーは日本を代表する時計ブランドとして国際的な地位を固めた。

  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1968年11月 香港に販売会社(現SEIKO Hong Kong)を設立
    • [14]1970年5月 アメリカに販売会社(SEIKO TIME CORPORATION)を設立
    • [15]1971年11月 イギリスに販売会社(現SEIKO U.K.)を設立
    • [16]1970年11月 工場精工舎を分離し株式会社精工舎を設立
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1969年12月 世界初の水晶発振式(クオーツ)ウオッチを発売
    • [12]1999年11月 スミソニアン博物館に世界初のクオーツウオッチ(セイコークオーツアストロン)ムーブメントのレプリカが展示
    • [13]1968年11月 香港に販売会社(現SEIKO Hong Kong)を設立
    • [14]1970年5月 アメリカに販売会社(SEIKO TIME CORPORATION)を設立
    • [15]1971年11月 イギリスに販売会社(現SEIKO U.K.)を設立
    • [16]1970年11月 工場精工舎を分離し株式会社精工舎を設立

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セイコーグループの沿革1881〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1881〜1948年服部金太郎の創業と精工舎による精密時計の国産化服部金太郎が東京で時計商・服部時計店を創業
時計製造工場・精工舎を設立し時計製造を開始★★
会社組織に改めの服部時計店が発足
東京銀座に本社社屋が完成
精工舎のウオッチ部門が分離独立し第二精工舎に★★
小売部門を分離し和光を設立
1949〜1982年株式上場とクオーツ革命が生んだ技術の多極化東京証券取引所に上場
第二精工舎の諏訪工場が分離独立し諏訪精工舎に★★
東京オリンピックの公式計時を担当★★
HATTORI (H.K.) LTD.を設立
世界初のクオーツウオッチ「アストロン」と特許公開による技術のデファクト化

1969年12月、セイコーは世界初の水晶発振式腕時計『クオーツアストロン』を発売した。開発と製造は諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が担い、販売を服部時計店が主導した。機械式で世界と精度を競っていた作り手が、自らの優位を陳腐化させる電子式へ全面的に踏み込み、さらに関連特許を公開してクオーツを業界標準へ広げた判断である。

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★★★
SEIKO TIME CORPORATIONを設立
工場精工舎を分離し精工舎を設立
SEIKO TIME (U.K.) LTD.を設立
札幌オリンピックの公式計時を担当
1983〜2008年服部セイコーへの改称と多角化、持株会社への移行社名を服部セイコーに
自動巻発電クオーツウオッチを発売
SEIKOSHA (THAILAND) CO.,LTD.を設立
セイコークロックとセイコープレシジョンを設立
セイコーオプティカルプロダクツを設立し眼鏡事業を分社
社名をセイコーに
長野オリンピックの公式計時を担当
機械式とクオーツを融合した世界初の駆動機構(スプリングドライブ)ウオッチを発売
セイコーエスヤードを設立しスポーツ・トイレタリー事業を分社
村野晃一持株会社への移行と祖業ウオッチ事業の分社

2001年7月、セイコー(現セイコーグループ)が祖業のウオッチ事業をセイコーウオッチ株式会社として分社し、本体を傘下の事業会社を統括する持株会社へ移行した経営判断。1996年から続けてきた事業別分社化の総仕上げにあたり、2007年の商号変更でその性格を社名に明示した。

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★★★
村野晃一持株会社体制へ移行★★
村野晃一社名をセイコーHDに
2009年〜ガバナンス危機を越えたソリューションカンパニーへの回帰村野晃一セイコーインスツルを経営統合★★
服部真二取締役会による現職トップの解任と創業家出身・服部真二氏の社長登板

2010年4月30日、セイコーホールディングスが取締役会で村野晃一会長兼社長を解任し、創業者・服部金太郎氏の曾孫にあたる服部真二副社長を後任社長に据えた経営判断。社外取締役の緊急動議に端を発し、上場企業の現職トップが自社の取締役会の内側から解かれる異例の体制転換となった。

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★★★
服部真二服部真二氏が社長に就任
服部真二世界初のGPSソーラーウオッチを発売
中村吉伸グランドセイコーの独立ブランド化と日本発ラグジュアリーへの転換

2017年、セイコーは最高級ライン『グランドセイコー』を量産ブランドの『SEIKO』から切り離し、文字盤からSEIKOロゴを外して独立したブランドとした経営判断。会長兼グループCEOの服部真二氏と、セイコーウオッチ社長の高橋修司氏が主導し、日本発のラグジュアリーウオッチへ育てる路線を敷いた。

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★★★
中村吉伸盛岡セイコー工業内に「グランドセイコースタジオ 雫石」を新設
中村吉伸セイコークロックとセイコータイムシステムが合併しセイコータイムクリエーションに
高橋修司社名をセイコーグループに
高橋修司セイコーウオッチがセイコータイムクリエーションからクロック販売事業を承継
出典・参考
  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2016年3月期)
  • セイコーホールディングス 決算説明会資料(2018年3月期)
  • セイコーグループ 有価証券報告書【沿革】
  • セイコーグループ 統合報告書(SEIKO GROUP VALUE REPORT)

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