決断
工作機械の需要が戦後に減少したとき、沼津の新会社は工作機械だけに賭けなかった。1949年から合成繊維機械を作り、1952年には米国のカルジャン・コーポレイションと連続紡糸機の技術提携を締結した。三井系の東洋レーヨンを得意先とした繊維機械は1956年に全生産額の55%を占め、多くの工作機械メーカーが無配に転じるなかで工作機械の不振を補った。1958年に化学繊維の設備投資が一巡すると、生産の比重は再び工作機械へ戻った。需要の波に合わせて生産の中心を隣の機械へ移す作り方は、この時期に形を得ている。