芝浦機械:芝浦工作機械の設立と芝浦機械製作所の東証上場
1938年〜資本金1000万円で独立した芝浦工作機械と、鶴見・網干・沼津・新倉の4工場
1938年12月、芝浦製作所(現・東芝)は工作機械の部門を分離し、資本金1,000万円の芝浦工作機械を設立した。この部門の分離独立は、工作機械製造事業法に基づく芝浦製作所の決定である。芝浦製作所は全額を出資し、翌1939年1月には工作機械事業の全般を芝浦工作機械へ営業譲渡。1959年の証券時報は、大型で高精度の工作機械を輸入から国産へ切り替えることが設立の狙いだったと説明した。芝浦機械製作所も後年まで、芝浦製作所の工作機械部門の独立を会社の起点に置いた。電機の本体で抱えるより、法の許可を受けた専業会社に任せる方が、統制下で資材と受注を確保しやすいと判断したとみられる。
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- [1]1938年12月、芝浦製作所が工作機製造事業法に基づき工作機械部門を分離独立させ、資本金1,000万円で芝浦工作機械を設立
- [2]1938年12月、芝浦製作所が工作機製造事業法に基づき工作機械部門を分離独立させ、資本金1,000万円で芝浦工作機械を設立
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦工機」
- [3]芝浦工作機械は芝浦製作所の全額出資で設立され、1939年1月に工作機械事業部門全般の営業譲渡を受けた
- 証券時報 230 1959年12月号「会社研究 芝浦機械、日立精機、池貝鉄工」
- [4]前身の芝浦工作機械は輸入依存だった高性能・高精度の大型工作機械の国産化を目指して設立された
- 株式会社年鑑 1953年版「芝浦機械製作所」
- [5]沿革の第1項は1938年12月の芝浦製作所の工作機械部門の独立による芝浦工作機械(資本金1千万円)の設立
1939年3月、芝浦工作機械は横浜市に鶴見工場を開設し、大型と専用の工作機械の製作を始めた。続いて1941年に兵庫県の網干工場、1942年に静岡県の沼津工場と埼玉県の新倉工場を建設した。資本金は1940年12月に2,000万円、1941年7月に3,500万円へ増えた。4つの工場の位置づけは陸海軍の指定工場で、製作したのは各種の工作機械である。このうち沼津工場は、主に多量生産に使う自動工作機械の生産を受け持った。鶴見は大型機、沼津は量産機と工場ごとに役割を分けた体制が、戦後に工場単位で会社を分ける素地になったと思われる。
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦工機」
- [6]1939年3月に鶴見工場を開設して大型・専用工作機械の製作を開始、1941年に網干工場、1942年に沼津工場・新倉工場を建設
- [7]1939年3月に鶴見工場を開設して大型・専用工作機械の製作を開始、1941年に網干工場、1942年に沼津工場・新倉工場を建設
- 株式会社年鑑 1958年版「芝浦機械製作所」
- [8]沿革:1940年12月に資本金2千万円、1941年7月に3,500万円へ増資
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- [9]鶴見・網干・沼津・新倉の4工場は陸海軍の指定工場として各種工作機械を製作し、沼津工場は主に多量生産用自動工作機械を生産
- [10]鶴見・網干・沼津・新倉の4工場は陸海軍の指定工場として各種工作機械を製作し、沼津工場は主に多量生産用自動工作機械を生産
1945年9月、芝浦工作機械は商号を芝浦工機に改め、平和産業への転換を図った。沼津工場は電気冷蔵庫と煙草機械を製作し、工作機械では動輪旋盤と専用機の製作を続けた。芝浦工機は同年11月に制限会社、1946年8月に特別経理会社の指定を受けた。1947年12月には集中排除の指定も受け、この指定は1948年11月に解除された。その間の1948年8月、商工省は工作機械の重要工場として全国で4つを選び、沼津工場をその1つに指定した。指定の理由は、沼津工場の技術と設備の水準が認められたことにある。民生品で工場を動かしながら工作機械の設備と技術者を残したことが、沼津を母体とする再出発につながったのだろう。
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- [11]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- [12]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- [15]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- [16]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- 株式会社年鑑 1958年版「芝浦機械製作所」
- [13]沿革:1945年11月制限会社指定(1951年4月解除)、1946年8月特別経理会社指定、1947年12月集中排除指定(1948年11月解除)
- [14]沿革:1945年11月制限会社指定(1951年4月解除)、1946年8月特別経理会社指定、1947年12月集中排除指定(1948年11月解除)
参考文献[1]-[16]
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- [1]1938年12月、芝浦製作所が工作機製造事業法に基づき工作機械部門を分離独立させ、資本金1,000万円で芝浦工作機械を設立
- [2]1938年12月、芝浦製作所が工作機製造事業法に基づき工作機械部門を分離独立させ、資本金1,000万円で芝浦工作機械を設立
- [9]鶴見・網干・沼津・新倉の4工場は陸海軍の指定工場として各種工作機械を製作し、沼津工場は主に多量生産用自動工作機械を生産
- [10]鶴見・網干・沼津・新倉の4工場は陸海軍の指定工場として各種工作機械を製作し、沼津工場は主に多量生産用自動工作機械を生産
- [11]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- [12]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- [15]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- [16]1945年9月に芝浦工機へ商号変更し平和産業に転換。沼津工場は電気冷蔵庫・煙草機械と動輪旋盤・専用工作機械を製作し、技術と設備が認められ1948年8月に商工省から全国工作機械四大重要工場の一つに指定
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦工機」
- [3]芝浦工作機械は芝浦製作所の全額出資で設立され、1939年1月に工作機械事業部門全般の営業譲渡を受けた
- [6]1939年3月に鶴見工場を開設して大型・専用工作機械の製作を開始、1941年に網干工場、1942年に沼津工場・新倉工場を建設
- [7]1939年3月に鶴見工場を開設して大型・専用工作機械の製作を開始、1941年に網干工場、1942年に沼津工場・新倉工場を建設
- 証券時報 230 1959年12月号「会社研究 芝浦機械、日立精機、池貝鉄工」
- [4]前身の芝浦工作機械は輸入依存だった高性能・高精度の大型工作機械の国産化を目指して設立された
- 株式会社年鑑 1953年版「芝浦機械製作所」
- [5]沿革の第1項は1938年12月の芝浦製作所の工作機械部門の独立による芝浦工作機械(資本金1千万円)の設立
- 株式会社年鑑 1958年版「芝浦機械製作所」
- [8]沿革:1940年12月に資本金2千万円、1941年7月に3,500万円へ増資
- [13]沿革:1945年11月制限会社指定(1951年4月解除)、1946年8月特別経理会社指定、1947年12月集中排除指定(1948年11月解除)
- [14]沿革:1945年11月制限会社指定(1951年4月解除)、1946年8月特別経理会社指定、1947年12月集中排除指定(1948年11月解除)
1949年〜企業再建整備法で沼津工場から立った芝浦機械製作所と、資本金1億3500万円への増資
1949年3月18日、芝浦工機は企業再建整備法による第二会社として、沼津工場を主体に資本金2,500万円の芝浦機械製作所を設立した。整備計画の認可に伴い、旧芝浦工機は資本金の9割を減資。同年4月には鶴見工場の資産全部を現物出資して資本金1,900万円の新しい芝浦工機が発足し、旧社の商号を継いだ。新倉工場は芝浦精機工業、網干工場は芝浦機器として独立し、旧芝浦工機は1949年6月に解散した。芝浦機械製作所の東京証券取引所への上場は同年8月である。1953年の時点で、発行済み120万株のうち359,600株を東京芝浦電気が持っていた。工場ごとの分割は、戦時に膨らんだ旧会社の資産と債務を整理し、各工場を得意の機種で自立させる手段だったと推察される。
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- [17]1949年3月、企業再建整備法により芝浦工機の第二会社の一つとして沼津工場を主体に資本金2,500万円で設立。鶴見・新倉・網干も工場ごとに別会社となり、旧芝浦工機は同年6月に解散
- [20]1949年3月、企業再建整備法により芝浦工機の第二会社の一つとして沼津工場を主体に資本金2,500万円で設立。鶴見・新倉・網干も工場ごとに別会社となり、旧芝浦工機は同年6月に解散
- 株式会社年鑑 1953年版「芝浦機械製作所」
- [18]沿革:1949年3月の企業再建整備計画で旧芝浦工機は9割減資し第二会社を設立。上場市場は東京、発行済120万株、大株主筆頭は東京芝浦電気359,600株
- [22]沿革:1949年3月の企業再建整備計画で旧芝浦工機は9割減資し第二会社を設立。上場市場は東京、発行済120万株、大株主筆頭は東京芝浦電気359,600株
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦工機」
- [19]1949年4月、旧芝浦工機の第二会社として資本金1,900万円で設立され、鶴見工場の資産全部の現物出資を受けて商号を継承
- 芝浦機械 有価証券報告書【沿革】
- [21]1949年8月、株式を東京証券取引所に上場
戦後の工作機械の需要減退を受け、芝浦機械製作所は電気冷蔵庫、煙草機械、産業機械、合成繊維機械も製作して技術の温存を図った。合成繊維機械は1949年から手がけ、1952年2月に米国のカルジャン・コーポレイションと連続紡糸機の技術提携を結んだ。同年8月には、工作機械の骨格をなす鋳物の製法でも、ジャパン・ミーハナイトメタルとミーハナイト鋳造法の技術提携を結んだ。同じ1952年8月、鶴見の芝浦工機とも提携し、両社の運営の合理化を図った。繊維機械は同じ三井系の東洋レーヨンを主要な顧客とし、1956年には全生産額の55%を占めた。工作機械メーカーの多くが無配に転じたなかで、芝浦機械製作所は繊維機械の収益で工作機械の不振を補い、安定した経営を保った。
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- [23]工作機械の需要減退に対処し電気冷蔵庫・煙草機械・合成繊維機械(1949年以降)・産業機械を製作。1952年2月米カルジャンコーポレイションと連続紡糸機で、同年8月ジャパン・ミーハナイトメタルとミーハナイト鋳造法で技術提携
- [24]工作機械の需要減退に対処し電気冷蔵庫・煙草機械・合成繊維機械(1949年以降)・産業機械を製作。1952年2月米カルジャンコーポレイションと連続紡糸機で、同年8月ジャパン・ミーハナイトメタルとミーハナイト鋳造法で技術提携
- [25]工作機械の需要減退に対処し電気冷蔵庫・煙草機械・合成繊維機械(1949年以降)・産業機械を製作。1952年2月米カルジャンコーポレイションと連続紡糸機で、同年8月ジャパン・ミーハナイトメタルとミーハナイト鋳造法で技術提携
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦工機」
- [26]1952年8月、芝浦工機は芝浦機械製作所と提携し両社の合理的運営を図った
- 証券時報 230 1959年12月号「会社研究 芝浦機械、日立精機、池貝鉄工」
- [27]繊維機械は1949年に生産開始、三井系の東洋レーヨンに地盤を確立し、1956年には全生産額の55%を占めた。工作機械メーカーの多くが無配となるなか、繊維機械の収益で工作機械の不振を補った
- [28]繊維機械は1949年に生産開始、三井系の東洋レーヨンに地盤を確立し、1956年には全生産額の55%を占めた。工作機械メーカーの多くが無配となるなか、繊維機械の収益で工作機械の不振を補った
1953年4月、芝浦機械製作所は資本金を1億3,500万円に増資した。その後も1956年12月に2億7,000万円、1957年11月に5億4,000万円へと増資を重ねた。1957年9月期の売上高は1,877,809千円。1958年9月期を境に化学繊維の設備投資が一巡し、生産の比重は工作機械に移った。1959年3月期と9月期の工作機械の受注は前年比でそれぞれ228%と177%に達し、9月末の受注残は18億8,000万円となった。証券時報は日立精機と池貝鉄工を比較の相手に選び、東芝が発行株数の34%を持つ点から『芝浦機械は端的に言えば、東芝の工作機械部門であつたといえる』と記した。東芝の資本と技術を背景に、鶴見の芝浦工機と一体で運営する条件が整いつつあったと考えられる。
- 株式会社年鑑 1958年版「芝浦機械製作所」
- [29]沿革:1953年4月資本金1億3,500万円、1956年12月2億7千万円、1957年11月に増資し現在資本金5億4千万円。1957年9月期売上高1,877,809千円
- [30]沿革:1953年4月資本金1億3,500万円、1956年12月2億7千万円、1957年11月に増資し現在資本金5億4千万円。1957年9月期売上高1,877,809千円
- [31]沿革:1953年4月資本金1億3,500万円、1956年12月2億7千万円、1957年11月に増資し現在資本金5億4千万円。1957年9月期売上高1,877,809千円
- 証券時報 230 1959年12月号「会社研究 芝浦機械、日立精機、池貝鉄工」
- [32]1958年9月期を境に化学繊維機械部門が縮小し工作機械の比重が増大。1959年3月期・9月期の工作機械受注は対前年比228%・177%、9月末受注残18億8千万円。比較対象は日立精機・池貝鉄工。東芝が発行株数の34%を保持
- [33]1958年9月期を境に化学繊維機械部門が縮小し工作機械の比重が増大。1959年3月期・9月期の工作機械受注は対前年比228%・177%、9月末受注残18億8千万円。比較対象は日立精機・池貝鉄工。東芝が発行株数の34%を保持
- [34]1958年9月期を境に化学繊維機械部門が縮小し工作機械の比重が増大。1959年3月期・9月期の工作機械受注は対前年比228%・177%、9月末受注残18億8千万円。比較対象は日立精機・池貝鉄工。東芝が発行株数の34%を保持
参考文献[17]-[34]
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- [17]1949年3月、企業再建整備法により芝浦工機の第二会社の一つとして沼津工場を主体に資本金2,500万円で設立。鶴見・新倉・網干も工場ごとに別会社となり、旧芝浦工機は同年6月に解散
- [20]1949年3月、企業再建整備法により芝浦工機の第二会社の一つとして沼津工場を主体に資本金2,500万円で設立。鶴見・新倉・網干も工場ごとに別会社となり、旧芝浦工機は同年6月に解散
- [23]工作機械の需要減退に対処し電気冷蔵庫・煙草機械・合成繊維機械(1949年以降)・産業機械を製作。1952年2月米カルジャンコーポレイションと連続紡糸機で、同年8月ジャパン・ミーハナイトメタルとミーハナイト鋳造法で技術提携
- [24]工作機械の需要減退に対処し電気冷蔵庫・煙草機械・合成繊維機械(1949年以降)・産業機械を製作。1952年2月米カルジャンコーポレイションと連続紡糸機で、同年8月ジャパン・ミーハナイトメタルとミーハナイト鋳造法で技術提携
- [25]工作機械の需要減退に対処し電気冷蔵庫・煙草機械・合成繊維機械(1949年以降)・産業機械を製作。1952年2月米カルジャンコーポレイションと連続紡糸機で、同年8月ジャパン・ミーハナイトメタルとミーハナイト鋳造法で技術提携
- 株式会社年鑑 1953年版「芝浦機械製作所」
- [18]沿革:1949年3月の企業再建整備計画で旧芝浦工機は9割減資し第二会社を設立。上場市場は東京、発行済120万株、大株主筆頭は東京芝浦電気359,600株
- [22]沿革:1949年3月の企業再建整備計画で旧芝浦工機は9割減資し第二会社を設立。上場市場は東京、発行済120万株、大株主筆頭は東京芝浦電気359,600株
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦工機」
- [19]1949年4月、旧芝浦工機の第二会社として資本金1,900万円で設立され、鶴見工場の資産全部の現物出資を受けて商号を継承
- [26]1952年8月、芝浦工機は芝浦機械製作所と提携し両社の合理的運営を図った
- 芝浦機械 有価証券報告書【沿革】
- [21]1949年8月、株式を東京証券取引所に上場
- 証券時報 230 1959年12月号「会社研究 芝浦機械、日立精機、池貝鉄工」
- [27]繊維機械は1949年に生産開始、三井系の東洋レーヨンに地盤を確立し、1956年には全生産額の55%を占めた。工作機械メーカーの多くが無配となるなか、繊維機械の収益で工作機械の不振を補った
- [28]繊維機械は1949年に生産開始、三井系の東洋レーヨンに地盤を確立し、1956年には全生産額の55%を占めた。工作機械メーカーの多くが無配となるなか、繊維機械の収益で工作機械の不振を補った
- [32]1958年9月期を境に化学繊維機械部門が縮小し工作機械の比重が増大。1959年3月期・9月期の工作機械受注は対前年比228%・177%、9月末受注残18億8千万円。比較対象は日立精機・池貝鉄工。東芝が発行株数の34%を保持
- [33]1958年9月期を境に化学繊維機械部門が縮小し工作機械の比重が増大。1959年3月期・9月期の工作機械受注は対前年比228%・177%、9月末受注残18億8千万円。比較対象は日立精機・池貝鉄工。東芝が発行株数の34%を保持
- [34]1958年9月期を境に化学繊維機械部門が縮小し工作機械の比重が増大。1959年3月期・9月期の工作機械受注は対前年比228%・177%、9月末受注残18億8千万円。比較対象は日立精機・池貝鉄工。東芝が発行株数の34%を保持
- 株式会社年鑑 1958年版「芝浦機械製作所」
- [29]沿革:1953年4月資本金1億3,500万円、1956年12月2億7千万円、1957年11月に増資し現在資本金5億4千万円。1957年9月期売上高1,877,809千円
- [30]沿革:1953年4月資本金1億3,500万円、1956年12月2億7千万円、1957年11月に増資し現在資本金5億4千万円。1957年9月期売上高1,877,809千円
- [31]沿革:1953年4月資本金1億3,500万円、1956年12月2億7千万円、1957年11月に増資し現在資本金5億4千万円。1957年9月期売上高1,877,809千円
出典・参考
6件
- 芝浦機械 有価証券報告書【沿革】
- 株式会社年鑑 1953年版「芝浦機械製作所」
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦機械製作所」
- 会社銀行八十年史 1955年「芝浦工機」
- 株式会社年鑑 1958年版「芝浦機械製作所」
- 証券時報 230 1959年12月号「会社研究 芝浦機械、日立精機、池貝鉄工」