この合弁の要点は、技術と市場を交換した点にある。プラスチック製ファスナーの特許も量産の技術も持たない貿易商社が、先行する米国企業から一式を借り受け、日本の自動車と家電の量産に間に合わせた。対価はロイヤリティだけではなく、売ってよい地域を極東に限るという線引きでもあった。日本市場が伸びるあいだ、その線引きは費用として意識されにくい種類のものであったのだろう。
借りた側は10年で追いついた。ニフコは自社開発とトヨタ・日産自動車・ソニーとの共同開発で特許を積み、1976年末には契約条件をみずからに有利な方向へ改定させている。それでも地域の線は残った。1979年の講演で小笠原敏晶社長が挙げた販売可能な地域は、日本・台湾・ホンコン・韓国の4つであった。この線が完全に外れるまでに、設立から35年を要した。