ニフコジャパンタイムズとシモンズの取得による資本負担の軽い多角化
工場を建てるか、出来上がった事業を買うか——英字新聞と高級ベッドに向かった1996年7月
- 概要
- 1996年7月、ニフコは英字新聞のジャパンタイムズと、米国の寝具ブランドを扱うシモンズおよびSimmons Bedding & Furniture (HK) Limitedの株式を取得し、いずれも子会社とした。自動車部品以外の柱を国内に持つための買収であった。
- 背景
- 連結売上高は1992年3月期の508億円から1996年3月期の468億円へ4期で減っていた。ITWとの契約で売れる地域は極東に限られ、国内の自動車需要が伸びなければ業績もそのまま止まる関係にあった。
- 内容
- 買ったのは新聞発行とベッド販売という、樹脂成形とは無縁の二つの事業である。設備を新たに起こさず、出来上がった事業と顧客をそのまま引き取る形をとった。同じ年、中国・上海と米国オハイオ州には自前の子会社を設けている。
- 含意
- 買収の翌期、連結売上高は468億円から647億円へ増えた。二つのうち英字新聞はのちに連結の外へ出た一方、ベッドは「ベッド及び家具事業」として残り、2025年3月期に売上高371億円・全社の11%を占めている。
資本を使わない多角化という選択
1996年の買収は、成長が止まった部品メーカーが選んだ逃げ道の設計として読める。海外へ売り先を広げる道は契約で塞がれ、国内の自動車需要は伸びない。残された手は本業の外に収益源を置くことであり、そこで工場を建てる投資ではなく、顧客と販路のついた会社を買う方法が採られた。技術を外から買って国内で売るという創業以来の型が、ここでは事業そのものを買うところまで進んだ。
選んだ二つの事業の性格は対照的であった。英字新聞は経営者個人の関心と結びつき、規模の面では本業の傍らに置かれたまま連結の区分から消えた。寝具は自動車生産と無関係な需要を国内に持ち、部品と並ぶセグメントとして残った。2025年3月期のベッド及び家具事業の売上高371億円は、買収当時のニフコ連結売上高468億円の8割に当たる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
4期続いた足踏み
1990年代前半のニフコは伸びを止めていた。連結売上高は1992年3月期の508億円を頂に、1993年3月期507億円、1994年3月期472億円、1995年3月期482億円、1996年3月期468億円と横ばいから緩い減少へ移る。当期純利益も1991年3月期の36億円から1993年3月期には28億円へ落ちた。国内の自動車生産に強く連動する部品専業の収益構造が、そのまま数字に出ていた[1]。
売り先を海外に振り替えて逃げる道は、契約が塞いでいた。1979年の講演で小笠原敏晶社長が挙げたとおり、ITWとの契約でニフコが売ってよい地域は日本・台湾・香港・韓国に限られる。国内市場が縮めば業績も縮むという関係は、創業時の取り決めがそのまま残した制約であった。国内で別の収益源を持つ必要が、この時期に強く意識されていた[2]。
買って始めるという経営者の型
多角化そのものは、この会社にとって新しい方針ではなかった。1979年の講演で小笠原社長は、主力商品のシェア拡大・新製品開発と並べて「経営の多角化」を第3の基本方針に掲げている。マジックテープの企業化も工業用ファスナーの専業化も、外から技術や商材を持ち込んで事業に仕立てた結果であり、その伝統を会社のバイタリティの源と呼んでいた[3]。
英字新聞との縁も先にあった。小笠原氏は1983年にジャパンタイムズ社の社長へ就任しており、ニフコ会長とジャパンタイムズ会長を兼ねる立場を後年まで保っている。国際交流の仕事を重ね、外資規制や排他的な議論に繰り返し異を唱えた経営者にとって、日本の情報を英語で発信する新聞は本業の外にありながら手元に置く理由のある事業であった[4][5]。
決断
1996年7月の二つの株式取得
1996年7月、ニフコはジャパンタイムズの株式と、シモンズおよびSimmons Bedding & Furniture (HK) Limitedの株式を取得し、いずれも子会社とした。新聞発行と寝具販売という、樹脂の成形技術とも自動車の生産計画とも接点のない事業である。工場や金型に資金を投じて事業を起こすのではなく、すでに顧客と販路を持つ会社ごと引き取る形をとった[6][7]。
同じ年、本業の側でも手は動いていた。1996年3月に中国上海市へ上海利富高塑料制品有限公司を、4月に米国オハイオ州へNifco U.S. Corporationを設立している。設備を起こす投資は自動車部品に、出来上がった事業を買う投資は本業の外に振り分ける。1996年のニフコは、性格の異なる二種類の資金の使い方を同時に進めていた[8]。
買った二つの事業の性格
高級ベッドの側には、国内市場の読みがあった。シモンズは米国発の寝具ブランドで、日本法人と香港法人がその販売を担っていた。部品メーカーの製品が自動車1台あたり数千円の積み上げで売上をつくるのに対し、寝具は単価が高く、買い替えの周期も長い。これによりニフコは、自動車の生産台数と連動しない需要を国内に抱えた[9][10]。
英字新聞の側は、収益よりも経営者個人の関心に近い場所にあった。小笠原氏は1983年から同社の社長を務め、以後も会長として関与を続ける。国際会議に出る顔ぶれが変わらないこと、英語で意思疎通できる人材が増えないことへの不満を繰り返し語った人物にとって、ジャパンタイムズは持論の実践の場でもあった。事業としての規模は、樹脂部品にも寝具にも遠く及ばない[11]。
結果
翌期の売上高647億円と、残ったセグメント
数字はすぐに動いた。連結売上高は1996年3月期の468億円から、買収を挟んだ1997年3月期に647億円へ増える。1年で179億円の増加であり、4期続いた足踏みは止まった。一方、当期純利益は35億円から31億円へ減っている。売上を買う効果は即座に表れた反面、利益の水準は本業の部品事業が決めるという関係は変わらなかった[12]。
買った二つの事業のその後は分かれた。英字新聞は連結の区分として残らず、2015年3月期のセグメントは合成樹脂成形品事業とベッド及び家具事業の二つとなる。ベッド及び家具事業の売上高は2015年3月期に212億円で全社の10%、2025年3月期には371億円で11%を占めた。異業種の買収でありながら、寝具は30年近くにわたり第二の柱として決算に残った[13][14]。
買収後5年で1,000億円へ
足踏みが止まったあとの連結売上高は、1998年3月期698億円、1999年3月期844億円、2000年3月期922億円、2001年3月期1,010億円と伸びた。1996年3月期の468億円から5年で2.2倍である。当期純利益も1999年3月期32億円から2001年3月期75億円へ増えた。買った二つの事業の売上に、中国と米国に置いた自前の子会社からの伸びが重なった期間であった[15]。
その後の買収は本業側へ戻る。2001年4月にはスペインのアクリプラス・グループ4社を取得してNifco Products Espana, S.L.U.とし、欧州の自動車メーカー向けの生産拠点を手に入れた。異業種を買って国内に柱を足す方法は1996年の二件で区切りとなり、以後の資金は自動車部品の海外拠点に向かう。多角化は、地域の制約が外れるまでの間に合わせという性格を帯びていた[16]。
- ニフコ 有価証券報告書(連結)
- ニフコ 有価証券報告書【沿革】
- ニフコ 有価証券報告書(2015年3月期)
- ニフコ 有価証券報告書(2025年3月期)
- ニフコ 公式サイト「沿革」
- 証券アナリストジャーナル 1979年8月号(17巻8号)小笠原敏晶講演「ニフコ/ユーザーのニーズに積極対応」
- 週刊東洋経済 2008年4月19日号「長老の智慧 その2 小笠原敏晶 お客が7割儲けてうちが3割 このくらいがちょうどいい」
- 週刊東洋経済 2008年4月26日号「長老の智慧 その3 小笠原敏晶 日本をもっとオープンに 偏狭な外資警戒論を嗤う」
- 週刊東洋経済 2008年5月3日号「長老の智慧 その4 小笠原敏晶 21世紀は個人の能力だ 出でよ、国際派経済人」
- 公益財団法人 小笠原敏晶記念財団「設立者 小笠原敏晶」