トヨタ紡織 の歴史

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創業 1918年
母体 豊田佐吉系列
創業地 愛知県
創業
1918年1月、豊田佐吉氏の系列に連なる豊田紡織が愛知県で創立し、綿糸から綿布までの一貫生産で出発した。1923年11月に刈谷工場を建設して能力を広げたが、1942年2月に内海紡織など4社と合併して中央紡績となり、1943年11月にはトヨタ自動車工業へ合併されて法人としては一度消えている。戦後、企業再建整備法のもとで1950年5月にトヨタ自動車工業から民成紡績として分離独立し、同年8月に名古屋証券取引所へ上場した。豊田紡織の社名を取り戻すのは1967年8月で、それまでの17年間は自動車メーカーから切り出された紡績会社として営業を続けた。
決断
糸を納める相手を、繊維問屋から自動車1社へ入れ替えた。紡織以外への多角化が行き詰まって6億円の赤字を出して無配へ転じた1967年6月、トヨタグループの石田退三氏が会長として入り、社名を豊田紡織へ戻して再建に着手した。遊休資産の処分と子会社の合併で足元を固めたうえで、1972年12月に定款の営業目的へ自動車部品の製造を加え、翌1973年9月から織物技術をシートファブリックへ転用した。以後はエアフィルター、成形天井、エアバッグ用基布と品目を積み増し、2000年5月の新型RAV4で内装を一式で受け持つ最初の車種を得る。2004年10月にはシートのアラコ、ドアトリムのタカニチと合併して7工場を引き継ぎ、社名をトヨタ紡織へ改めた。糸を織る技術はそのまま残り、売り先だけが繊維問屋から完成車工場へ移った。
現況
利益の7割は、売上の1割台にとどまるアジアが出している。2026年3月期の売上高は2兆370億円、営業利益は539億円で、地域別ではアジアが売上2,851億円に対し400億円の利益を計上した。売上で最大の日本8,912億円は利益51億円にとどまり、2番目に大きい北中南米5,377億円は99億円の損失を出している。北中南米では前期に322億円の減損を計上しており、トヨタがEVの本格投入へ移ったことに伴う完成車の生産構成の変化と、米国の追加関税が重なった。トヨタ以外向けが売上の1割にとどまる構造は転換以来変わらず、2030年度にこれを2割へ引き上げる計画を掲げている。
競合
競うのは部品の単価ではなく、内装を一式で引き受けられるかである。シート・ドアトリム・天井材・フロアカーペットは別々の供給者が納めるのが通例で、トヨタ紡織は2000年10月の豊田化工、2004年10月のアラコ・タカニチとの合併でこれらを1社に揃え、車体の設計段階から内装全体を受け持つ側へ移った。この形を非トヨタ向けへ広げようと、2008年10月に仏フォレシア社のシエト工場を、2011年7月に墺POLYTEC Holding AGの内装事業を取得した。ただし収益性が想定を下回り、2016年6月に欧州3社と1支店の事業をMegatech Industries AGへ譲渡している。内装を一式で受け持つ形は、トヨタの車種構成と生産計画をそのまま業績へ映す構造も同時に作った。
トヨタ紡織:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

設立ストーリー 豊田佐吉系列の紡織会社から戦中合併・戦後再独立まで (1918年〜)

豊田佐吉氏の紡織遺伝子と1918年の創業

1918年1月、豊田紡織株式会社が愛知県で創立[1]された。豊田自動織機の発明者である豊田佐吉氏[2]が公称資本金500万円をもって設立した会社で[3]、自動織機開発の延長線上で紡績原料から織物完成品までの一貫生産を担う紡織会社として出発した。後年のトヨタグループにおいて豊田佐吉氏の系譜は自動車(トヨタ自動車工業)と織機・紡織(豊田自動織機・豊田紡織)の二系列に分かれていくが、創立時点では織機の販路として自社内の紡織工場を持つことが事業の合理にかなっていた。1923年11月には愛知県刈谷市に刈谷工場を新設し[4]、紡織生産能力を拡張した。豊田家の主力事業は依然として紡織にあり、後の自動車事業はこの紡織会社の事業基盤上で1933年に開始される自動車部の派生事業として動き出した。

  • トヨタ紡織 有価証券報告書/統合報告書
    • [1]1918年1月に豊田紡織株式会社が愛知県で創立された
  • 有価証券報告書/トヨタ紡織50年史
    • [2]豊田紡織は豊田自動織機の発明者である豊田佐吉が設立した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]豊田佐吉は1918年に公称資本金500万円をもって豊田紡織を設立した
  • トヨタ紡織 有価証券報告書
    • [4]1923年11月に愛知県刈谷市に刈谷工場を新設した

1931年9月には菊井紡織株式会社を合併し[5]、1942年2月には内海紡織・中央紡織・協和紡績[6]・豊田押切紡織の4社と合併して中央紡績株式会社を設立した。戦時統制経済下で繊維業界の集約が国策として進むなか、豊田系列の紡織会社群も統合再編の流れに組み込まれた。中央紡績は豊田佐吉氏の系列に連なる紡織会社が集約された存在であり、戦時下の繊維生産を担う立場にあった。1943年11月、中央紡績はトヨタ自動車工業株式会社に合併された[7]。戦時下の物資統制で繊維生産が縮小する一方、軍需向けの自動車生産は拡大する政策が進み、豊田佐吉氏系列の紡織会社は本来の祖業から自動車事業の一部門として吸収された。

  • トヨタ紡織 有価証券報告書
    • [5]1931年9月に菊井紡織株式会社を合併した
    • [6]1942年2月に内海紡織・中央紡織・協和紡績・豊田押切紡織の4社と合併して中央紡績株式会社を設立した
    • [7]1943年11月に中央紡績はトヨタ自動車工業株式会社に合併された

戦後の1950年5月、紡織会社の経営資源はトヨタ自動車工業から分離独立し[8]、民成紡績株式会社として再出発した。戦時統合で自動車本体に吸収された紡織事業を、GHQの経済民主化政策と財閥解体の流れのなかで切り離す判断であり、紡織会社としての独立した法人格を再び持った。1950年8月には名古屋証券取引所に株式上場を果たし[9]、戦後復興期の繊維需要拡大を捉える資本基盤を整えた。1956年9月には大口工場を新設し[10]、戦後の旺盛な綿糸・綿布需要に応える生産体制を整えた。トヨタ自動車から分離独立した後、約20年間は紡織会社として独自の経営を続けた時期である。

  • トヨタ紡織 有価証券報告書
    • [8]1950年5月にトヨタ自動車工業から分離独立し民成紡績株式会社として再出発した
    • [9]1950年8月に名古屋証券取引所に株式上場した
    • [10]1956年9月に大口工場を新設した
  • トヨタ紡織 有価証券報告書/統合報告書
    • [1]1918年1月に豊田紡織株式会社が愛知県で創立された
  • 有価証券報告書/トヨタ紡織50年史
    • [2]豊田紡織は豊田自動織機の発明者である豊田佐吉が設立した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]豊田佐吉は1918年に公称資本金500万円をもって豊田紡織を設立した
  • トヨタ紡織 有価証券報告書
    • [4]1923年11月に愛知県刈谷市に刈谷工場を新設した
    • [5]1931年9月に菊井紡織株式会社を合併した
    • [6]1942年2月に内海紡織・中央紡織・協和紡績・豊田押切紡織の4社と合併して中央紡績株式会社を設立した
    • [7]1943年11月に中央紡績はトヨタ自動車工業株式会社に合併された
    • [8]1950年5月にトヨタ自動車工業から分離独立し民成紡績株式会社として再出発した
    • [9]1950年8月に名古屋証券取引所に株式上場した
    • [10]1956年9月に大口工場を新設した

1967年豊田紡織への社名変更と自動車部品への接続

社名変更の前段には、紡績本業の不振があった。民成紡績は1966年4月にボーリングなど異業種への進出[11]で経営の多角化を狙ったが、この方針は実を結ばず6億円の赤字を出して無配に転落した。立て直しのため1967年6月、トヨタグループの総帥である石田退三氏[12]が代表取締役会長に就任した。同年8月、民成紡績は社名を豊田紡織株式会社に変更した[13]。1950年の独立時に付けた『民成』の名称を改め、豊田佐吉氏の系譜と本来の事業領域を象徴する『豊田紡織』を再び社名として掲げるとともに、遊休資産の処分を進めた。1968年3月には子会社の岐阜紡績株式会社を合併(現・岐阜工場)し[14]、同年8月には民成化学繊維紡績を合併して[15]、経営の立て直しと生産能力の集約を進めた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [11]民成紡績は1966年4月にボーリングなどへの進出で多角化を狙ったが失敗し6億円の赤字を出して無配に転落した
    • [12]1967年6月にトヨタグループの総帥である石田退三氏が代表取締役会長に就任した
    • [15]1968年8月に子会社の民成化学繊維紡績を合併した
  • トヨタ紡織 有価証券報告書
    • [13]1967年8月に民成紡績は社名を豊田紡織株式会社に変更した
    • [14]1968年3月に岐阜紡績株式会社を合併した(現・岐阜工場)

1971年8月のニクソンショックと1973年10月の第一次石油危機は、日本繊維業界全体を直撃した。原油価格の高騰で合成繊維の原料コストが上昇し、ドル円の急変動で輸出採算が悪化した。加えて1970年代を通じて韓国・台湾・中国の繊維産業の競争力が向上し、日本繊維業界は構造的な国際競争力低下の局面に入った。豊田紡織も例外ではなく、紡績事業の収益性低下に直面した。ただし豊田紡織には、他の独立系紡績各社にはない選択肢があった。創業の系譜上、親密な関係にあるトヨタ自動車工業(当時)への部品供給という新たな事業領域の可能性である。1970年代初頭、繊維事業の構造的低迷とトヨタ自動車本体の成長という対照的な状況は、豊田紡織に事業領域転換の道を選ばせる契機となった。

1972年12月、豊田紡織は営業の目的に『自動車部品の製造、加工並びに販売』[引用元]を追加[16]した。定款変更による事業領域の拡張であり、紡織会社から自動車部品メーカーへの転換を制度的に開始した瞬間である。1973年2月にはイグニッションコイルの製造を開始し[17]、自動車電装部品の生産にも着手した。同年9月にはシートファブリック(自動車シート用織物)の製造を開始し[18]、紡織技術を自動車内装分野へ転用する、本業との連続性のある事業を立ち上げた。1973年は豊田紡織が紡織会社から自動車部品メーカーへの転換を実務面で開始した年であり、後の内装システムサプライヤー化につながる始点となった。

  • トヨタ紡織 有価証券報告書
    • [16]1972年12月に営業の目的に「自動車部品の製造、加工並びに販売」を追加した
    • [17]1973年2月にイグニッションコイルの製造を開始した
    • [18]1973年9月にシートファブリック(自動車シート用織物)の製造を開始した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [11]民成紡績は1966年4月にボーリングなどへの進出で多角化を狙ったが失敗し6億円の赤字を出して無配に転落した
    • [12]1967年6月にトヨタグループの総帥である石田退三氏が代表取締役会長に就任した
    • [15]1968年8月に子会社の民成化学繊維紡績を合併した
  • トヨタ紡織 有価証券報告書
    • [13]1967年8月に民成紡績は社名を豊田紡織株式会社に変更した
    • [14]1968年3月に岐阜紡績株式会社を合併した(現・岐阜工場)
    • [16]1972年12月に営業の目的に「自動車部品の製造、加工並びに販売」を追加した
    • [17]1973年2月にイグニッションコイルの製造を開始した
    • [18]1973年9月にシートファブリック(自動車シート用織物)の製造を開始した

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トヨタ紡織の沿革1918〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1918〜1973年豊田佐吉系列の紡織会社から戦中合併・戦後再独立まで豊田紡織を創立★★
刈谷工場を新設
菊井紡織を合併
内海紡織・中央紡織・協和紡績・豊田押切紡織の4社と合併し中央紡績を設立★★
トヨタ自動車工業に合併★★
戦時にトヨタ自工へ吸収された紡織事業を民成紡績として分離独立

1950年5月15日、トヨタ自動車工業の紡織部が分離独立し、民成紡績株式会社が設立された。1943年11月に中央紡績がトヨタ自動車工業へ合併されて以来、自動車会社の一部門として存続していた紡織事業が、7年ぶりに独立した法人格を取り戻した判断である。

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★★★
名古屋証券取引所に株式上場
大口工場を新設
石田退三氏の会長就任と豊田紡織への社名変更による立て直し

1967年6月、トヨタグループの総帥である石田退三氏が民成紡績の代表取締役会長に就任した。同年8月には社名を創業時の豊田紡織株式会社へ戻し、遊休資産の処分と子会社の合併を進めて経営を立て直した判断である。

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★★★
経営の立て直しに着手★★
社名を豊田紡織に変更
岐阜紡績を合併
定款に自動車部品の製造を追加し紡織から自動車部品メーカーへ転換

1972年12月、豊田紡織は営業の目的に『自動車部品の製造、加工並びに販売』を追加した。1918年の創立以来、紡績と織布を営んできた会社が、定款の事業目的そのものを書き換えて自動車部品の領域へ入った判断である。

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★★★
イグニッションコイルの製造を開始
シートファブリックの製造を開始
1972〜2004年トヨタ自動車向け部品メーカーへの転換と内装システムサプライヤー化エアフィルターの製造を開始
フェンダーライナーの製造を開始
エアバッグ用基布の製造を開始
バンパーの製造を開始
キャビンエアフィルター・回転センサーの製造を開始
オイルフィルターの製造を開始
東京証券取引所市場第一部に株式上場
内装システムサプライヤーとしての第一車種・新型RAV4がトヨタ自動車にて生産開始
豊田化工と合併し木曽川工場ほか3工場を引き継ぎフロアカーペットを生産品目に追加
アラコ(内装事業)・タカニチと合併しトヨタ紡織に商号変更★★
2005〜2026年グローバル4極体制とBEV化対応への構造改革豊田周平フォレシア社のシエト工場を買取りトヨタ紡織ソマンを設立
豊田周平内装システム開発機能集約のため猿投開発センター2号館を建設
豊田周平POLYTEC Holding AGの内装事業を取得★★
石井克政欧州3子会社の全株式を Megatech Industries AG へ譲渡★★
石井克政トヨタ紡織ヨーロッパのミュンヘン支店事業を Megatech Industries AG へ譲渡
沼毅AI・自動化技術を活用した次世代ライン構築を推進するものづくり革新センターを建設
沼毅コーポレート機能集約のため刈谷本社新本館を建設
沼毅東京証券取引所プライム市場に移行
出典・参考
  • トヨタ紡織 有価証券報告書/統合報告書
  • 有価証券報告書/トヨタ紡織50年史
  • トヨタ紡織 有価証券報告書
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)

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