豊田合成 の歴史

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創業 1949年
母体 豊田自動織機ゴム研究部門からスピンアウト
創業地 愛知県西春日井郡春日村
創業
1949年6月、企業再建整備法にもとづき国華工業の第二会社として、名古屋・岡崎の両工場が名古屋ゴムとして分離独立した。源流は戦時下に豊田自動織機製作所へ置かれたゴム研究部門で、資本は切り離されたものの、需要はトヨタ自動車の生産にほぼ一本化されていた。1952年3月に岡崎工場を閉鎖して名古屋工場へ併合し、1957年5月には愛知県西春日井郡春日村に春日工場を建設する。1962年5月にはソフトコルク工業を吸収合併した。扱う素材にゴムだけでなく合成樹脂とウレタンが加わったのを受け、1973年8月に豊田合成へ社名を改めている。
決断
事業を取り込むたび、別の事業を手放してきた。2002年2月、東洋ゴム工業からエアバッグ事業を譲り受けると同時に、伸び代の小さい防振ゴム事業を同社へ譲渡した。素材の供給から衝突安全部品へ中心を移すこの入れ替えで、エアバッグ・ウェザストリップ・内外装樹脂・機能部品の4事業が固まる。2014年4月には独メテオール社の資産を譲り受けて欧州のシーリング事業を広げたが、欧州と米州で統合が進まず5年後の2019年12月に連結の対象から外れた。青色LEDから伸ばしたオプトエレクトロニクス事業も2016年3月期の売上347億円から翌期185億円へ落ち、2017年以降は整理へ回っている。2025年8月にはシートベルト大手の芦森工業をTOBで完全子会社化した。素材を供給していた会社は、20年余りの入れ替えを経て乗員保護そのものを設計する側へ移った。
現況
6つの地域のうち、赤字なのは中国だけである。2026年3月期の売上高1兆1,468億円・営業利益796億円・純利益620億円はいずれも過去最高となった。日本が売上4,479億円で235億円、米州が4,250億円で350億円の利益を計上し、アジア・インド・欧州アフリカも黒字を保つ。唯一の赤字は中国で、売上862億円に対し21億円の損失を出した。前期の72億円の損失からは縮んだものの、中資系のBEVメーカーとの取引を増やした結果として採算の悪化が続いている。エアバッグの世界シェアは18%、海外売上比率は6割を超え、トヨタ自動車が株式の43.58%を保有する構造は変わっていない。
競合
エアバッグは上位4社で世界の9割を占め、その1社は自ら市場から降りた。豊田合成の世界シェアは18%で順位は3位、2030年に2位へ上げる目標を掲げている。かつて上位を占めたタカタは、引き当てきれないリコール費用を前に私的整理を主張し続けたものの、債権者である完成車メーカーとスポンサー候補が法的整理で一致したため、2017年6月に民事再生法の適用を申請して事業を米キー・セイフティー・システムズへ承継した。寡占が固まった市場で問われるのは価格ではなく、リコールが起きても供給と補償を続けられる財務基盤である。エアバッグとシートベルトを一つの設計でまとめて引き受けられる供給者は、芦森工業の取得を経て世界に数社しか残っていない。
豊田合成:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

設立ストーリー 豊田自動織機ゴム研究部門からのスピンアウトと社名統一 (1934年〜)

戦時下のゴム研究部門設置から国華工業第二会社としての分離独立

1934年、豊田自動織機製作所内にゴム研究部門が設置[1]された。創業者の豊田佐吉氏が育てた豊田商店の流れを汲む豊田一族のうち、豊田喜一郎氏が自動車事業の立ち上げと並行してゴム部品の内製化を企図し、ゴム研究の専従部門を社内に置く判断を下したことが発端である。当初の研究対象は織機・自動車・航空機向けの各種ゴム部品で、戦時下の軍需生産にも組み込まれていた。1944年には組織変更により国華工業株式会社の名古屋工場・岡崎工場として分離し、ゴム製品の量産体制を整えた。自動車・織機という親会社の主力事業を支える部品の内製拠点として、ゴム素材の研究と量産が一体で進んだ点が、後の素材専業メーカーとしての性格を形づくった。

  • 豊田合成 沿革
    • [1]1934年 豊田自動織機製作所内にゴム研究部門を設置

終戦後の1949年6月、企業再建整備法に基づき国華工業の第二会社として名古屋工場・岡崎工場を分離独立し、名古屋ゴム株式会社として発足した[2]。資本金は限定的で、当初は自動車用・産業機械用のゴム部品を手がける専業メーカーの規模だった。1952年3月には岡崎工場を閉鎖して名古屋工場に併合し、生産機能を一拠点に集約した。戦後復興期に拡大するゴム部品需要に対応しながら、トヨタ自動車(当時の親会社系列)の生産再開に伴うゴム部品供給の安定化を主軸事業に据え、トヨタグループの部品供給網の一翼として再出発した。

  • 有価証券報告書
    • [2]1949年6月 企業再建整備法により国華工業の第二会社として名古屋ゴム株式会社が分離独立・発足
  • 豊田合成 沿革
    • [1]1934年 豊田自動織機製作所内にゴム研究部門を設置
  • 有価証券報告書
    • [2]1949年6月 企業再建整備法により国華工業の第二会社として名古屋ゴム株式会社が分離独立・発足

春日工場建設と稲沢工場稼働、エアバッグ事業の起点

1957年5月、愛知県西春日井郡春日村(現・清須市)に春日工場を建設した[3]。名古屋工場の生産能力では拡大する自動車ゴム部品の需要に対応できず、新規工場の建設で生産能力を増強する判断である。1962年5月にはソフトコルク工業株式会社を吸収合併し西町工場を引き継ぎ[4]、ゴム以外のコルク・樹脂部品の生産品目を取り込んだ。1967年12月、愛知県稲沢市北島町に稲沢工場を建設し[5]、生産拠点の集約・拡張を行った。トヨタ自動車の販売台数の拡大(1960年代の高度成長期に年率20〜30%で台数拡大)に応じた供給体制の段階的整備で、稲沢工場は後年のセーフティシステム事業の中核拠点となる。

  • 有価証券報告書
    • [3]1957年5月 愛知県春日村に春日工場を建設
    • [4]1962年5月 ソフトコルク工業を吸収合併し西町工場を引き継ぐ
    • [5]1967年12月 愛知県稲沢市北島町に稲沢工場を建設

1973年8月、社名を豊田合成株式会社に変更[6]した。『ゴム』のみを冠した名古屋ゴムから、ゴム以外の合成樹脂・ウレタンを含む合成材料全般を扱う企業として、社名でも事業領域の拡大を明示した。『豊田』を冠することでトヨタグループの一員としての帰属を明示し、グループブランドとの一体化を図った。1973年は第一次オイルショックの年で、自動車生産の急減局面とも重なるが、社名変更は事業構造の中長期の方向性を提示する組み立てだった。1976年9月、静岡県周智郡森町に森町工場を建設し[7]、東日本での生産拠点を設けた。

  • 有価証券報告書
    • [6]1973年8月 社名を豊田合成株式会社に変更
    • [7]1976年9月 静岡県森町に森町工場を建設
  • 有価証券報告書
    • [3]1957年5月 愛知県春日村に春日工場を建設
    • [4]1962年5月 ソフトコルク工業を吸収合併し西町工場を引き継ぐ
    • [5]1967年12月 愛知県稲沢市北島町に稲沢工場を建設
    • [6]1973年8月 社名を豊田合成株式会社に変更
    • [7]1976年9月 静岡県森町に森町工場を建設

名古屋証取上場・本社清須移転による尾張西部への経営集約

1978年12月、名古屋証券取引所市場第二部に株式上場[8]した。1980年1月、愛知県西春日井郡春日村(現・清須市)へ本社を移転[9]した。名古屋市内の本社機能を生産拠点近接地に集約する判断で、生産現場との一体運営を志向した組み立てである。1980年11月には稲沢市西溝口町に西溝口工機工場を建設し、金型・治工具の内製機能を整備した。1982年8月には愛知県尾西市(現・一宮市)明地に尾西工場、1983年10月には名古屋証券取引所市場第一部に指定された。[10]地方上場・市場第一部昇格・本社移転を通じて、トヨタ系自動車部品メーカーとしての基盤を1980年代前半までに整えた。

  • 有価証券報告書
    • [8]1978年12月 名古屋証券取引所市場第二部に株式上場
    • [9]1980年1月 愛知県春日村へ本社を移転
    • [10]1983年10月 名古屋証券取引所市場第一部に指定

1973年の豊田合成への社名変更から1983年の名古屋証取一部指定まで10年間[11]で、ゴム・樹脂・コルクの合成材料全般を扱うトヨタ系部品メーカーとしての地位が確立された。本社・生産拠点・上場市場の3要素が清須・稲沢・尾西という尾張西部のエリア内に集約され、生産・研究・本社機能の物理的近接性を活かす経営の組み立てが固まった時期である。トヨタ自動車本体の生産台数拡大(1980年代に年間300万台規模へ)と歩調を合わせ、エアバッグ・ウェザストリップ・内外装樹脂・機能部品の供給体制が次の10年で本格化する基盤が整った。

  • 有価証券報告書
    • [11]1973年の豊田合成への社名変更から1983年の名古屋証取一部指定まで10年間
  • 有価証券報告書
    • [8]1978年12月 名古屋証券取引所市場第二部に株式上場
    • [9]1980年1月 愛知県春日村へ本社を移転
    • [10]1983年10月 名古屋証券取引所市場第一部に指定
    • [11]1973年の豊田合成への社名変更から1983年の名古屋証取一部指定まで10年間

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豊田合成の沿革1949〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1934〜1980年豊田自動織機ゴム研究部門からのスピンアウトと社名統一企業再建整備法にもとづく第二会社・名古屋ゴムの分離独立

1949年6月15日、企業再建整備法にもとづく国華工業の第二会社として、同社の名古屋・岡崎両工場を承継する名古屋ゴム株式会社が資本金800万円で発足した。現在の豊田合成にあたる。

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★★★
春日工場を新設
ソフトコルク工業を吸収合併し西町工場を継承
稲沢工場を新設
豊田合成に商号変更
森町工場を新設
名古屋証券取引所市場第二部に株式上場
本社を移転
1981〜2010年グローバル展開と東証一部上場、青色LEDによる多角化名古屋証券取引所市場第一部に指定
米国TGを設立
豊田合成HDを設立
中華民国に豊裕を設立
TGテクニカルセンターを設立
天津豊田合成汽車軟管有限公司を設立
TGケンタッキーを設立
東京証券取引所市場第一部に株式上場
TGノースアメリカを設立
生産工程を移設し名古屋工場を閉鎖
ベルギーにTGヨーロッパを設立天津星光橡塑有限公司に資本参加
チェコにTGセーフティシステムズチェコを設立
松浦剛東洋ゴム工業との間でエアバッグ事業の譲受・防振ゴム事業の譲渡を契約★★
松浦剛北九州工場を新設
2011〜2025年中期経営計画「2025事業計画」「2030事業計画」と生え抜き社長への承継荒島正豊田合成ラバーメキシコを設立
荒島正独メテオール社の資産譲受によるシーリング事業の欧州拡張と、5年後の連結除外

2014年、豊田合成がドイツのゴム部品メーカー、メテオール社の自動車用シーリング事業資産を譲り受け、欧州の完成車メーカー向け基盤を得ようとした判断。5年後の2019年12月に全株式を手放し、連結から外した。

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★★★
荒島正メテオールシーリングなどを設立
齋藤克巳シートベルト大手・芦森工業のTOBによる完全子会社化

2025年8月8日、豊田合成が持分法適用関連会社であった芦森工業へのTOBを決定し、1株4,140円・総額約179億円で完全子会社化に踏み込んだ判断。2026年3月1日に全株式の取得を完了した。

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★★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 豊田合成 沿革

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