上場企業の経営論点

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高付加価値への転換

固定費の大きい事業では、数量を落とすと製品一単位あたりの負担が増加する。したがって多少値引きしてでも稼働率を維持するほうが目先の採算は合い、市場が伸びているあいだはその判断が通用する。高付加価値への転換は、この誘因に逆らう決断である。品揃えに高価格品を加えるだけでは達成できない。低価格を求める顧客を切り離し、高い対価を払う顧客へ入れ替えなければ実行できない。

顧客の入れ替えの先例は古い。雪印乳業が「雪印」商標を制定したとき、産地相場で取引されていたバターは名前で選ばれる商品に変わった。資本自由化を前にした1961年、コマツは品質の向上へ集中し、参入してくるキャタピラーへ価格ではなく性能で対抗している。

転換を強いた条件は三つある。第一は為替である。円高が採算を圧迫した1978年、シマノは値引きを拒み高付加価値部品と海外直販へ転じた。同じ数量を同じ価格で販売しても円建ての手取りが減少する以上、単価を上げるか数量を犠牲にするほかなかった。第二は石油危機後の汎用品の過剰である。需要の伸びを見込んで建設した設備が余れば、汎用品は原価に近い価格でしか販売できなくなる。三井化学は浮島への生産集約と石油化学に頼らない事業への転換を掲げ、三菱瓦斯化学は樹脂製品を軸に機能化学品へ主力を移した。第三は国内市場の規模である。2000年代前半に数量を積み上げる経営が後退したのは、人口増加という前提が崩れたためだった。

顧客と事業の入れ替えは、赤字事業の整理とは異なる。キーエンスは利益率2割の自動線材切断機事業を譲渡している。黒字であっても社内の平均を下げる事業は残さないという基準であり、この基準は残す事業を先に決めなければ適用できない。日東電工が大型偏光板の技術を供与して量販価格帯から離脱したのも、自社で生産を続ければ価格競争に巻き込まれる工程を他社へ移し、技術料収入に置き換える判断だった。

数量を守るために価格を下げるか、数量を減らしてでも単価を上げるか。人口が減少する国内市場では、価格を下げて数量を守る会社に残る余地は年々小さくなる。

財務諸表のどこを見るか

「生産、受注及び販売の状況」から入る。品目別の販売高と数量が併記されていれば除算で平均単価が求まり、増収が単価と数量のどちらに由来するか判別できる。続いてセグメント情報で、構成比を落とした事業の営業利益率が本当に低かったかを確かめる。高付加価値化は費用にも出るため、研究開発費の売上高比率と、無形固定資産に計上された商標権・特許権の残高を追う。売却した事業は事業譲渡益や減損損失として特別損益に立つので、その注記で退出の対価も読める。

2020年代

2010年代

2000年代

2009年三菱ケミカルG三菱レイヨンの子会社化公開買付けと株式交換の二段で2,126億円を投じた、MMAと炭素繊維の取り込み2009年JFEHDJSWスチールと提携インド市場への足がかりとしての、地場鉄鋼会社との包括的な協業2009年MTGReFaの発売開始美容ローラーを起点としたブランド開発企業への業態転換2008年タダノLE事業への限定移動機能付き抗重力・空間作業機械への事業領域の集中と、多角化の不採用2007年三菱ケミカルG三菱樹脂の完全子会社化株式交換による取り込みと、機能商品の持株会社直下への集約2007年オンキヨーソーテックの子会社化パソコン事業への参入と、量販店向け販売からの撤退2006年新日本石油石油化学製品へ生産転換ガソリン依存からの脱却と、10年2000億円を投じる製油所改造2006年三菱鉛筆ジェットストリームの発売低い筆記抵抗を打ち出した油性ボールペンの国内発売と、ボール径・機能・色の品目追加によるシリーズ化2004年クレディセゾンみずほと資本非関与提携大手銀行の傘下に入らず、業務面の連携にとどめた独立路線の堅持2003年JFEHD広州鋼鉄と合弁生産無名の地場企業と組んだ中国での自動車用鋼板の現地生産と垂直分業2003年東京建物「Brillia」へブランド統一郊外マンション分譲への参入と、市場別5ブランドの一本化

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