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ブランドへの投資
ブランドへの投資は、名前を借りるか自ら持つかという選択に帰着する。借りた側は契約が切れた日に売場を失う。1926年、雪印乳業は商標を定めて品質と冷蔵物流へ投資し、産地でしか選ばれなかったバターを名前で売った。輸出が伸びた1955年、ソニーは他社の看板を借りず自社の名で米国へ出た。内需が成熟すると、名前は同質な商品を分ける武器になる。アサヒビールはスーパードライで従来の味を捨て、キリンビールは一番搾りで反撃し、資生堂は多品種の分散をやめてTSUBAKIへ資源を寄せた。ファーストリテイリングは原宿への出店とフリースで全国区になった。借り物の脆さは三陽商会がバーバリーの独占ライセンスを失ったときに露呈し、住友ゴム工業はダンロップ商標をグッドイヤーから買い戻している。商標は販売費の使い道ではなく、値決めの権利そのものになった。
財務諸表のどこを見るか
広告宣伝費と販売促進費は、販売費及び一般管理費の主要な費目として開示される。売上高に対する比率の変化を、新製品の投入時期と突き合わせる。自社で持つ商標なら無形固定資産の商標権とその償却が、他社から借りるなら支払ロイヤリティと契約期間が現れる。借りている場合は経営上の重要な契約と事業等のリスクに更新条件が書かれるので、失効時に失う売上高を見積もる。買収で取得したときは、のれんと商標権への取得原価の配分額が価格の内訳を示す。
2020年代
DUNLOP商標権を取得 グッドイヤーからの欧州・北米・オセアニアの権利の買い戻しと、基幹ブランドのFALKENからの入れ替え 電通のシンクタンク譲受 コンサル子会社2社との統合と、シンクタンクの名を冠した商号への変更 チームXによる組織再建 広告運用の効率偏重の見直しと、クリエイティブの多様化 商号をSWCCに変更 純粋持株会社体制の解消と、旧社名を捨てた事業会社への回帰 スタジオジブリの子会社化 議決権42.3%の取得による子会社化 円谷フィールズHDへ改称 持株会社体制への移行と、商号を改めたグループ再編 夢真HDを吸収合併 現金を使わず株式だけで行う統合と、2年後に両社の名を社名から外す決断 カーマ・ダイキら5社合併 ホームセンター事業会社5社の吸収合併によるDCM株式会社の発足と、店名の「DCM」への統一 中村崇則の投資先行転換 減益を織り込んだ5か年売上高CAGR目標の引き上げ ハローキティ依存の脱却 ハローキティ一本足のライセンス収益を複数キャラクターへ分散させた収益構造の組み替え グループシナジー路線へ転換 傘下企業の自主性に任せてきた連邦型の運営を改めた、新社長のもとでの路線切り替え ワークマン女子の展開 一般女性・非職人客に向けた新業態の立ち上げと客層の拡張
2010年代
3COINSのリブランド 大型店化と品揃えの拡張による、300円均一からの脱却と再成長 みずほとの資本業務提携 メガバンクの持分法適用関連会社化と、それに伴う商号変更 ファスフォードテクノロジ買収 商号の「FUJI」への変更 BANDAI SPIRITS集約 ハイターゲット事業を一つの会社へ束ね直すグループ内の事業再編 植物性食品デイヤフーズの買収 医薬に寄せず栄養事業を植物性食品へ広げた資源の振り分け グランドセイコーの独立ブランド化 日本発ラグジュアリーへの転換 「IDOM」への社名変更 「ガリバー」からモビリティ事業への業容拡大 ミズノスポーツスタイル投入 競技用品偏重からの脱却と、街着向けブランドによるカジュアル領域への展開 ユニーグループの吸収合併 サークルK・サンクスの自社ブランドへの一本化と店舗網の統合 SIXPADの発売 EMS機器を軸に、クリスティアーノ・ロナウド選手を起用した第2ブランドの構築 バーバリーライセンス喪失 独占ライセンスの失効と、自社企画ブランドへの売場転換 モンストへ資源集中 単一タイトルに社運を託した1本足経営と65億円の公募増資 テレビCMへの先行投資 14.5億円の資金調達を原資としたマス広告への一気の投入 「タルト」の株式取得 米メークアップブランドの株式93.5%取得による北米市場への参入 名刺管理サービスでCM放映 黒字経営から赤字を許す先行投資への転換と、市場そのものの創出 角川書店ら9社を吸収合併 持株会社傘下の事業会社を吸収合併し1社に束ねる組織の一本化 ヤマギワ株式を取得 企業再生支援機構からの全株式7億円での引き受け HOYAからペンタックス買収 祖業であるカメラ事業の買い戻しと、手放していた事業の立て直し 「ソネット・エムスリー」から改称 冠していた社名の一部を外し、一語の商号へ改めた名乗りの整理 円谷プロダクションの子会社化 映像コンテンツ版権元の取り込みによる、遊技機の外への収益源の広がり IP軸戦略への転換 作品の権利そのものを事業の軸に据える経営方針への切り替え
2000年代
ReFaの発売開始 美容ローラーを起点としたブランド開発企業への業態転換 am/pmジャパンの買収 買収による店舗網の取り込みと、自社ブランドへの看板の一本化 日本橋興業から改称し上場 東証一部の市場に立つ会社となった、ヒューリックとしての再出発 出口治明の付加保険料開示 付加保険料率の全面開示と、商品ごとの運営経費の公表 タリーズコーヒー日本を子会社化 運営会社フードエックス・グローブの株式取得による店舗網の取り込み 東証マザーズへ上場 「住商」「グレンジャー」を外した社名変更と、それに伴う株式公開 ファーストリテイリングと提携 戦略的パートナーシップの締結とヒートテックの共同開発 カネボウ化粧品の買収 約4,100億円を投じての、後発から国内2位への一気の浮上 TSUBAKI集中投資 多品種の分散をやめ、少数の大型ブランドに資源を寄せる戦略への転換 ジェットストリームの発売 摩擦を半減させた油性ボールペンの発売と、芯を固定した軸展開によるシリーズ化 サングレイスへの資本参加 農業生産法人産地合弁への参入 ニューヨーク・ソーホー出店 郊外への多店舗から、一等地の1000坪旗艦店へ切り替えた世界展開 楽天イーグルス設立 球界再編の渦中に踏み切ったプロ野球への新規参入と球団の保有 福岡ダイエーホークスの買収 球団保有への進出 ヤフー依存からの脱却 提携解消の通告を受けた上場の辞退と、一本足の集客からの離脱 メンズ館の全面改装 新宿本店ブランド区画の撤去、本館改装への150億円の投入 「Brillia」へブランド統一 郊外マンション分譲への参入と、市場別5ブランドの一本化 商品開発体制の刷新 ヒット商品を連続して生み出すことをねらった、社内の進め方の作り替え 自主企画レーベルで東証上場 複数レーベルの併走と、デザイン主体の商品づくりへの移行 上海進出と母乳育児相談室 国家衛生部と組んだ現地での育児支援拠点づくりと、海外売上高比率5割への移行 福島工場閉鎖し生産撤退 自社で作る体制を手放し、生産機能を持たない事業構造への転換 伊藤忠エネクスへ改称 改称に合わせた、燃料商社からエネルギー商社への転換 乳酸菌LG21ヨーグルト発売 味を競う商品から体への働きを売る商品へと訴求を移す転換 森田隆和の目薬全品回収 脅迫を受けた一般用目薬24品目の全品回収 コムスン1208カ所を同時開設 公的介護保険の開始に合わせた全国一斉のケアセンター展開と、2か月半後の4割統廃合 米エマーソン社ブランド取得 破綻した米社のブランド使用権を得て築くウォルマート専用の供給体制 郵政事業庁と宅配便連合 宅配便連合構想の提示と、共通ブランドをめぐる協議の開始 原宿出店で全国ブランド化 都心一等地への進出とフリース単品集中がもたらした一気の知名度拡大
1990年代
ナビックスラインと合併 対等合併による規模の拡大と、「商船三井」への商号変更 cdmaOneへの転換 DDIセルラーグループとの「au」へのブランド統一と、通信方式の一本化 ポケモン社の共同設立 共同出資による作品管理会社の設立と、IP経営への移行 セゾン・アメックス発行 提携カードの追加による、4大国際ブランドを揃えた体制の完成 マツキヨへ薬粧専門転換 複合小売からの脱却と、都心駅前への集中によるブランドの確立 エヌエスケーナカニシの吸収合併 販売代理店の取り込みと社名変更による製造・販売の一社統合 ジャパンタイムズの取得 シモンズを併せた取得で進めた、資本負担の軽い事業の多角化 ノース・フェイス商標取得 日本と韓国という二つの市場を対象とした商標権の確保 杉野興産から商号変更 旧ラウンドワンの吸収合併と、それに合わせた社名の刷新 ワンズワンへブランド集約 乱立した商品ブランドの集約と購買層別の再編 選択的流通システム導入 CI導入による転換と、小林コーセーからコーセーへの商号変更 米ボーデンとの提携解消 事業運営の移管提案を拒み、20年続いた関係を断つ選択 「一番搾り」の投入 ドライ戦争の劣勢下、フルライン戦略の挫折を認めた反攻の一本への賭け 韓国生産委託でSPA化 ライセンス取得を足がかりにしたカジュアルシューズの企画から販売までの一貫化 アクアスキュータムを買収 国内ライセンス権を欠いたまま踏み切った英国ブランドの取得
1980年代
米ファーマバイトの取得 経営権の取得による健康食品ブランド「ネイチャーメイド」の獲得 アサヒ「スーパードライ」に対抗 主力の黒ラベルを終売し、サッポロドラフトへ全面的に切り替える賭け CD-Rの世界初商品化 That''sブランドによる消費財市場への参入と、追記型光記録メディア 「スーパードライ」発売 従来の味を捨てる全面転換に社運を賭けた新商品への集中 国内市場参入 輸出専業からの転換——製パン器とVTR ゴッホ「ひまわり」落札 落札作品を自社美術館で一般公開する、文化事業としての位置づけ 千曲不動産からの商号変更 スターツへの改称と、関係会社の吸収合併による一体化 コニカへの商号変更 輸出ブランドを社名に据え、「写真工業」を外した商号の一新 アークヒルズの用途複合化 サントリーホール・テレビ朝日の誘致と、住宅・ホテルまで含めた用途構成の選択 α-7000の発売 オートフォーカス一眼レフへの賭けと、通常の4倍にあたる初回投入 住友銀行出身者招聘とCI導入 副頭取・村井勉氏を迎え入れ、外部の目に託した朝日麦酒の組織再建 ゴルフ事業への進出 商号のヨネックスへの変更と新素材クラブの発売 エニックスへ商号変更 開発部門を持たない出版社型モデルの採用と、外部作者との提携 DCブランドの取り込み 若者向けファッションへの品ぞろえ転換
1970年代
「エリエール」で家庭紙参入 ティシューペーパーを起点とした紙おむつ・ナプキンへの品目拡大 ヤンマーOEMから直販転換 OEM供給依存から竹内ブランドでの直接販売への転換 生ビール全国発売でキリンに挑む 「サッポロびん生」を旗艦に据え、瓶の主力を生へ移す全面転換 営業本部・4事業本部制移行 生産志向でつくられてきた事業部編成の解体と、市場を起点とする体制への組み替え オニツカなど3社合併 ジィティオ・ジェレンクとの合併によるアシックスの発足 "犬神家の一族"で映画参入 東宝と提携した劇場映画の製作による映画事業への参入 タレントスカウトキャラバン創設 新人発掘の他社番組依存からの転換と、全国公募オーディションの創設 日本化路線の採用 外資の現地法人を国内企業と同等に位置づけて売り込む構え ハローキティの誕生 自社キャラクターを版権で稼ぐライセンスモデルの確立 販売子会社23社体制へ再編 代理店に委ねてきた流通の直接掌握と、首都圏販売の3系列への集約 米ナビスコとの合弁進出 日綿実業を加えた合弁によるビスケット事業への進出
1960年代
American Kawasaki設立 二輪車の米国販売会社の設立と、中・大型車に絞った北米市場への傾斜 天田勇の直接販売網構築 代理店経由の販売からの離脱と直接販売網の構築 「ニッポンビール」から改称 かつての商標「サッポロ」の復活から社名までを揃えるブランドの一本化 "EPSON"ブランド制定 東京オリンピックの計時用プリンターを起点とした印刷機事業の立ち上げ 仏ロレアルと技術提携 国内資本にこだわらず、外資との合弁を受け入れる道の選択 ダンロップから経営権移管 住友電気工業を中心とする日本側への経営権の移行と、住友ゴム工業への商号変更 ビール市場への参入 主力が順風のうちに、勝ち目の薄い市場へあえて踏み出す選択 リポビタンDの発売 20mlのアンプル剤から100mlのドリンク剤へ、飲み方ごとの作り替え レジャー事業への参入 志摩・英虞湾の土地取得を起点とした事業領域の拡張 総合食品化への転換 栄養菓子の一本足からアイス・チョコ・ガム・カレーへ広げた総合食品化