ブランドへの投資
戦前の日本では、食品や日用品の多くが産地と等級で取引されていた。集荷した問屋が等級を付け、価格は市況で決まった。したがって製造元の名前は価格に反映されず、品質を上げても等級が同じなら手取りは変わらなかった。値決めは相場が担い、生産者はそれを受け入れていた。
製造元の名前で選ばれるには、いつ購入しても品質が揃っていると買い手が信じている必要がある。そのためには原料の規格を定め、輸送の途中で品質が落ちない仕組みを自前で持たなければならない。つまり商標は登録すれば取得できるが、その商標が価格を左右するまでには設備投資が要った。1926年、雪印乳業は商標を定めて品質と冷蔵物流へ投資し、産地でしか選ばれなかったバターを自社の名前で販売した。
輸出には別の制約があった。戦後の輸出は外貨獲得の手段として国が後押しし、取引の窓口は商社が担っていた。海外に販売網を持たない生産者は、現地の販売会社が指定する名前で納めるのが通例だった。相手の販路をそのまま使えるため販売促進の費用は要らず、まとまった数量も見込めた。しかし店頭に自社の名前は出ず、買い手が何を評価して選んだのかも生産者には届かない。契約が切れた時点で、売場も顧客の評価も手元に残らない。1955年、ソニーは他社の名前での納入を選ばず、自社の名で米国へ進出した。
内需が成熟すると、名前の役割はまた変わった。同じ価格帯に同じ性能の商品が並ぶ市場では、商標は品質の保証ではなく、選ぶ理由そのものになる。1990年代にブランドの空洞化が問題になったのは、名前が集客力を失えば売価も維持できないためである。各社は、名前で選ばれる商品へ経営資源を振り向けた。アサヒビールはスーパードライで従来の味を刷新し、キリンビールは一番搾りで反撃した。資生堂は多品種への分散をやめてTSUBAKIへ資源を集中し、ファーストリテイリングは原宿への出店とフリースで全国的な知名度を得た。
他社から借りた商標の脆さは、契約の満了まで顕在化しない。三陽商会はバーバリーの独占ライセンスを失って主力商品を一度に失い、住友ゴム工業はダンロップ商標をグッドイヤーから再取得した。商標を持つ会社は、同じ原価の商品に高い価格を付けられる。一方、持たない会社は、売場も価格も契約の相手に委ねたまま事業を続けることになる。商標は販売費の使い道ではなく、値決めの権利そのものである。
財務諸表のどこを見るか
広告宣伝費と販売促進費は、販売費及び一般管理費の主要な費目として開示される。売上高に対する比率の変化を、新製品の投入時期と突き合わせる。自社で持つ商標なら無形固定資産の商標権とその償却が、他社から借りるなら支払ロイヤリティと契約期間が現れる。借りている場合は経営上の重要な契約と事業等のリスクに更新条件が書かれるので、失効時に失う売上高を見積もる。買収で取得したときは、のれんと商標権への取得原価の配分額が価格の内訳を示す。