参天製薬脅迫を受けた一般用目薬24品目の全品回収

混入の事実が確認できない段階で、店頭の全製品を引き上げるべきか

時期 2000年6月
意思決定者(推定) 森田隆和 社長
論点 製品回収と危機対応
概要
2000年6月14日に脅迫文が届いた翌15日、参天製薬が一般用目薬の全製品24品目の回収に着手した危機対応。混入の事実が確認されないまま、出荷済みの全ロットを対象とした。
背景
一般用目薬は1899年発売の大学目薬以来の看板商品で、店頭に置かれるため第三者が手を触れられる。製品にラップ包装がないことは、事件の前から製薬業界で指摘されていた。
内容
脅迫文は金銭的要求に応じなければ薬物を混入した製品を店頭に置くという内容だった。参天製薬は消費者の安全を最優先として、平成10年2月から12年6月までに出荷した一般用目薬の全製品を回収すると決め、翌日回収を開始した。
含意
対象24品目の出荷数量は約3700万本、回収予定数量は約250万本。健康被害の報告はなかった。直後に発覚した雪印乳業の集団食中毒事件と対比され、危機管理の議論で繰り返し引かれる一方、全品回収が前例になることを疑問視する論者もあった。
筆者の見解

被害が出ていない段階で棚を空にする

この決断が特異なのは、自社に落ち度が見つかったからではなく、外から犯罪を予告されただけで動いた点にある。異物が実際に入れられたかどうかは分からず、健康被害の報告も一件もなかった。それでも参天製薬は、ロットを絞る道を選ばずに1998年2月以降に出荷した24品目すべてを対象とし、脅迫を受けた翌日に回収へ入った。売上の裏づけとなる商品を、確証のないまま自ら棚から下ろす判断であった。

同時代の評価は割れた。外部から持ち込まれた危機への対応として引かれる一方で、全品回収が先例となり、以後は同種の脅迫のたびに同じ対応を迫られるという批判も出た。どちらの見方にも根拠があり、当時の参天製薬が二つの結果を天秤にかけた形跡は残っていない。ただ、回収に着手した2000年6月15日から2年後、この会社はバブル崩壊後の12年間を一度も減収せずに通した上場60社の一つに数えられていた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

店頭に置かれる24品目

参天製薬の一般用目薬は、1899年発売の大学目薬にさかのぼる看板商品である。1985年に一般用目薬「サンテ40NE」、1991年に「サンテFX」を投入し、2000年6月の時点では大学目薬、サンテFX、サンテ40NE、こどもサンテ、サンテ抗菌新目薬など24品目を店頭に並べていた。これらは1998年2月から2000年6月までに約3700万本を出荷している。医療用眼科薬で国内首位を占める会社にとって、大衆薬は創業以来の顔でもあった[1][2]

製造を担っていたのは、1985年1月に開設した能登工場である。医療用医薬品が医師と薬局を通って患者に渡るのに対し、一般用目薬は小売店の棚に並び、購入前に不特定の人が手を触れられる。参天製薬の製品にラップ包装がないことは、事件が起きる前から製薬業界で指摘されていた。守るべき対象が工場の外に大量に置かれている点で、大衆薬は医療用とは異なる危険をかかえていた。回収の対象となった品目は、能登工場が1998年2月から出荷したものにさかのぼる[3][4]

2000年という年

2000年の参天製薬は、事業の面では前へ進んでいた。この年、基本理念を体系化し、抗菌点眼薬「クラビット点眼液」を発売している。医療用眼科薬では国内首位を保ち、1997年にフィンランドで確保した欧州の生産・販売拠点も動き始めていた。眼科という狭い市場に資源を集める路線が、国内でも海外でも形になりつつあった年である[5][6]

一方で、この年の日本は食品と医薬品の安全が続けて問われた年でもあった。参天製薬が回収に着手した直後に雪印乳業の集団食中毒事件が明るみに出て、製品回収と情報開示の巧拙が社会の関心事になる。後に両社は繰り返し並べて論じられるが、参天製薬が判断を迫られた6月14日の時点では、比較の対象になる同時代の事例はまだ存在していなかった[7]

決断

6月14日の郵便と、15日の回収着手

2000年6月14日、脅迫文と、異物を混入したと称する一般用目薬1個を同封した郵便物が参天製薬に届いた。脅迫文は、同社に対して金銭を要求し、応じない場合は薬物を混入した製品を店頭に置くという内容であった。混入が実際に行われたかどうかは、この時点で確認しようがない。参天製薬は、消費者の安全を最優先と考えて一般用目薬の全製品について回収を行うことを決め、翌6月15日に回収を開始した[8][9]

判断は回収の範囲にも及んだ。参天製薬は特定のロットに絞らず、1998年2月から2000年6月までに出荷した一般用目薬24品目の全製品を対象とした。出荷数量約3700万本のうち、回収予定数量は約250万本である。異物混入の事実は不明のままで、健康被害の報告もなかった。被害が一件も出ていない段階で、店頭在庫を丸ごと引き上げる判断であった[10][11]

公表と、包装の作り直し

参天製薬は脅迫を受けた翌日に事実関係を公表し、同時に回収へ動いた。その速さは、のちに業界他社をうならせたと同時代の誌面に書かれている。厚生省が公表した回収概要は6月16日付で、危害の程度による区分はクラスIIIであった。脅迫の内容と自社製品が同封されていた事実まで含めて外へ出した点が、この対応の特徴である[12][13]

回収概要には、次に打つ手も記されていた。参天製薬は、品質には出荷時に万全を期しているとしたうえで、第三者による異物混入の防止に向けて改ざん防止策を早急に検討すると書いている。回収そのものは被害の拡大を止める措置にすぎず、店頭に戻すには包装を作り直すほかない。事件前から業界で指摘されていた包装の弱点に、ここで手を入れる方針が示された[14]

結果

賛否が分かれた同時代の評価

参天製薬の対応は、直後の雪印乳業の事件と対比されて論じられた。慶應義塾大学教授の小野桂之介氏は、取引先の先にいる最終消費者まで意識して働く企業では、外部から持ち込まれた危機への対応も明確になるとして、雪印乳業と対比される例に参天製薬を挙げた。参天製薬の名は、医薬品業界の外の危機管理論議に登場するようになった[15]

賛辞ばかりではなかった。リスクヘッジ代表取締役の田中辰巳氏は、脅迫されて全品回収という対策をとったために、同じような事件が起きるたびに全品回収をしなければならなくなったと述べ、捜査当局と打ち合わせたうえで消費者に十分な注意情報を提供すれば具体的な被害を防げたのではないかと書いた。危機管理の成功例と呼ばれることそのものへの異議である。田中辰巳氏が事件対応に必要と説いたのは、正確な情報収集、厳しめの展開予測、先手の対策の三つで、そのどれも回収の範囲を最大に取ることとは同義ではなかった。回収は被害を止める措置であると同時に、先例をつくる行為でもあった[16][17]

加害者と被害者、そして2年後

両社を並べる議論には、性質の違いを指摘する声もあった。住友海上リスク総研の取締役主席研究員である高田一平氏は、一方は自社のずさんな管理から生じた加害者としての危険であり、他方は毒物を入れられたかもしれないという脅迫による被害者としての危険で、二つの事件は似て非なるものだと書いた。そのうえで、回収の発動基準と実施手順をあらかじめ定めておく必要を説いている。参天製薬の速さは、立場の違いに支えられた面もあった。高田一平氏はあわせて、回収の可否は地獄の選択であり、どの条件で回収を発動するかを事前に決めておかなければ円滑な回収はできないと書いている[18]

事業への傷は残らなかった。2002年、バブル崩壊以降の12年間を連続増収で通した上場企業60社の一つに参天製薬が数えられている。眼科薬という2000億円規模の小さな市場で有利な位置を築き、参入意思のない大手から新薬を導入して眼科医の要望に細かく応じてきた点が、第一製薬と並ぶ例として挙げられた。2000年の対応の速さも、その評価のなかに書き込まれている[19]

出典・参考

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