明治乳業乳酸菌LG21を使ったヨーグルトの発売と、味から体への働きへの訴求の転換
効能を唱えられない食品で、病名のどこまで手前を使うか——薬事法すれすれと評された宣伝と、計画の3倍近い80億円
- 概要
- 2000年3月27日、明治乳業が乳酸菌LG21を使ったヨーグルトを発売した。発売に先立つ1月27日のマスコミ向け説明会から2月の全国紙一面広告まで、味ではなく胃への働きを前面に置いた訴求を積み上げ、初年度の販売目標30億円に対して80億円を売った経営判断である。
- 背景
- ピロリ菌の除菌は欧米では三剤併用が一般的であったが、日本では厚生省が併用を認めず保険も効かなかった。一方、明治乳業の主力アイス「スーパーカップ」は頭打ちに入り、容器を納める三陽パックスのアイス向け紙容器は前期比12.3%減っていた。
- 内容
- 1月27日の説明会で、LG21入りのヨーグルトを食べてピロリ菌が減少した事例が紹介された。2月12日には自社がスポンサーの番組で抗菌作用が取り上げられ、翌朝の全国紙に「明治乳業が胃潰瘍」と書いた一面広告が載る。株価は年初311円から2月17日の668円へ上げた。
- 含意
- 食品は特定保健用食品の認可がなければ効能を唱えられない。明治乳業は2月上旬に厚生省の監視指導課へ呼び出され、製薬会社からも反発を受けた。乳製品で20億〜30億円がヒットとされる相場を大きく超える売上を得た一方、説明の精度をめぐる負荷も背負った。
効能を唱えられない商品に、効能に近い像ができるまで
20億円から30億円を売ればヒットと呼ばれる乳製品で、明治乳業は初年度の目標を30億円に置き、実際には80億円を売った。売り物にしたのは味ではなく、胃で働く乳酸菌という性質である。ヨーグルトを嗜好品の棚から体調を整える商品の棚へ移す作業を、特定保健用食品の認可を取らないまま、説明会と番組と一面広告の連鎖だけで成立させた。薬の言葉を一度も使わずに、胃に効く商品という評判だけが立った。
発売を翌月に控えた2月上旬、明治乳業は厚生省の監視指導課に呼ばれた。製薬会社からは「胃潰瘍の人が食べれば治るというものではない」と反発が出る。三剤併用の承認をなお待っていた薬の側からすれば、順序が逆であった。容器を納める三陽パックスの稲葉弘文社長までが「ピロリ菌を死滅させるヨーグルト」と呼んでいた事実は、触れ込みが会社の説明より先へ走ったことを示している。機能で売ると決めることは、その説明の精度まで引き受ける仕事であった。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
胃潰瘍とピロリ菌をめぐる空白
ヘリコバクター・ピロリは、感染すると再発を繰り返す悪性の胃潰瘍の原因になると疑われていた。除菌できれば再発は防げる。欧米では胃潰瘍薬と二種類の抗生物質を使う三剤併用が一般的であったが、日本では三剤とも単独での効能しか承認されておらず、併用は厚生省が認めていないため保険も効かない。武田薬品工業と大正製薬がすでに申請していたものの、中央薬事審議会の審査が始まるのは2000年の春からであった[1]。
薬の側の手当てが遅れる一方で、食品の側には別の壁があった。医薬品と違い、食品は効能を唱えられない。厚生省から特定保健用食品の認可を受けない限り、薬事法との関係で効果や効能を表示できない仕組みである。胃潰瘍という病名と乳酸菌を結びつけて語ろうとすれば、その線の手前で止まるほかない。明治乳業が2000年に選んだのは、この手前の領域をどこまで使うかという問題であった[2][3]。
主力アイスの頭打ちと、乳製品ヒットの相場
同じ時期、明治乳業の主力商品には陰りが出ていた。紙容器メーカーの三陽パックスは2000年5月期に売上高99億8,200万円と前期比4%の減収になり、アイスクリーム向けの紙容器は12.3%減った。稲葉弘文社長は、その理由を、大半を占める明治乳業の「スーパーカップ」がピークを打って横ばい状態に入ったためと説明している。容器の受注量という川上の数字に、アイスの頭打ちが先に映っていた[4]。
乳製品で新しい柱を立てるのは容易ではない。この分野では20億円から30億円を売り上げればヒットと呼ばれ、大型商品でも森永乳業「アロエヨーグルト」の年商200億円以上が一つの目安であった。連結売上高7,140億円・経常利益80億円という会社の規模(2002年3月期)に照らせば、1商品が持ち込む数字は限られる。それでも味と価格の競争から抜ける道を探すことは、アイスが頭を打った会社にとって現実の課題であった[5][6][7]。
決断
1月27日の説明会から3月27日の発売まで
2000年1月27日、明治乳業はマスコミ向けに、ピロリ菌と乳酸菌LG21についての説明会を開いた。席上、LG21の入ったヨーグルトを食べたことでピロリ菌が減少したという事例が講演で紹介された。市場の反応は速い。年初に311円だった株価は、講演の翌日に445円のストップ高をつけた。忘れ去られていた食品銘柄が、乳酸菌という一つの材料で買われ、やがて株価は倍の水準へ動いた[8]。
露出はここから積み上がる。2月12日、テレビ番組「一億三千万人のTV人間ドック」で乳酸菌LG21のピロリ菌に対する抗菌作用が紹介された。番組のスポンサーには明治乳業が入っていた。翌朝の全国紙には、胃の写真を大きく背景に敷き「明治乳業が胃潰瘍」と書いた一面広告が載る。週明けに製品発表を置き、2月17日の株価は668円と1997年来の高値をつけた。発売は3月27日、初年度の販売目標は30億円であった[9][10]。
薬事法すれすれと評された線
訴求は際どいところに寄っていた。胃潰瘍の原因とされるピロリ菌と絡めた乳酸菌の宣伝方法は薬事法すれすれと評され、明治乳業は2月上旬、厚生省の監視指導課に呼び出されている。会社は「ちゃんと説明してきたので何の問題もない」と述べた。製薬会社からは「胃潰瘍の人が食べれば治るというものではない」と反発の声が上がる。三剤併用の承認をまだ得ていない側からすれば、食品が先に病名の近くへ踏み込んだ形になった[11]。
LG21はピロリ菌を除く薬ではなく、明治乳業が薬効を主張したわけでもない。それでも説明会での事例紹介、番組での抗菌作用の紹介、翌朝の一面広告が数週間のうちに連なると、乳酸菌で胃潰瘍が治るのかという問いが外側で立った。当時の誌面の見出しがそのまま「乳酸菌で胃潰瘍が治る!?」である。会社が管理できるのは自らの表現までで、報道と株式市場の受け取り方には手が届かない[12][13]。
結果
計画の3倍近い80億円
発売から1年3か月後の2001年6月、LG21の年間売上は80億円に達していた。当初の販売計画を3倍近く上回る数字である。20億円から30億円でヒットと呼ばれる乳製品のなかで、2001年は100億円の大台を突破する勢いで売れ続けた。買っていたのは主に30代の女性で、支持層の80%を占める。発売から4か月後の2000年7月に雪印乳業の食中毒事件が起きて乳業への信頼が揺れたあとも、勢いは落ちなかった[14]。
売り方そのものも評価された。週刊東洋経済は、ヒットの秘訣を、味ではなく乳酸菌の機能性を消費者に浸透させた点に見ている。商品を出す前からプレスセミナーや新聞の一面広告であらゆる媒体を使い、発売時期もスーパー各社が新商品で棚替えをする3月に合わせた。明治乳業は口コミで急速に広がっていると説明し、同業他社からは「悔しいが売り方がうまい」という評が出た[15]。
川上に伝わった触れ込み
機能の触れ込みは、消費者より先に取引先へ届いていた。三陽パックスの稲葉弘文社長は2001年5月期の見通しを語るなかで、明治乳業のピロリ菌を死滅させるヨーグルトのカップを自社も受注しており、健康関連食品として今後さらに伸びが期待できると述べている。LG21はピロリ菌を死滅させる商品ではない。容器を納める側の社長までが、そう呼んでいた[16]。
主力アイスの容器が12.3%減った同じ決算で、ヨーグルトの容器は増産の対象になった。三陽パックスはヨーグルト紙カップ全体で前期比6億9,000万円の増収を見込み、ヨーグルト用成形機に約5億円を投じる計画を立てている。味と価格で競う商品が頭を打ち、体への働きで売る商品が立ち上がる。その入れ替わりは、容器を作る側の設備投資にまで及んだ。明治乳業は2002年4月に「明治おいしい牛乳」を全国発売し、品質を理由に高い価格を選んでもらう売り方も並べた[17][18]。
- 週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る!? 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」
- 週刊東洋経済 2001年6月9日号「新・売れる商品Best100 C分類 暮らし方が変わる新機能型ヒット」
- 証券アナリストジャーナル 2000年9月号 別冊付録「企業」三陽パックス(稲葉弘文社長 2000年8月3日講演)
- 明治乳業 有価証券報告書(2002年3月期・連結)
- 明治乳業 有価証券報告書【沿革】