決断
店を増やす前に、教える場と作る場を自前で持った会社である。1974年4月、目黒の第一号店と同時にトレーニングセンターを開設し、本国の製法と店の運営を国内で教える拠点を置いた。1979年3月には富士小山工場を年産2,000千ガロンで稼働させ、1984年11月に3,500千ガロンへ引き上げている。1983年12月に店舗数が200店台に乗ると、翌1984年2月には関西以西への配送のため外部の営業倉庫を借り始めた。工場が静岡の1か所のまま店舗網が西へ延び、配送の仕組みが出店の速さを縛る構図がこの時点で生まれた。