B-Rサーティワンアイスクリーム:ビー・アールジャパンの設立と富士小山工場の建設
1973年〜不二家と米バスキン・ロビンスが提携したビー・アールジャパンと、目黒の第一号店
不二家は1973年12月、ビー・アールジャパン株式会社を資本金40百万円で設立した。設立の目的は、米国のバスキン・ロビンスと合弁でアイスクリームの事業を営むことにあった。当時の不二家では、1969年5月に社長へ就任した藤井総四郎氏が、製菓を本業に据えたまま事業の多角化を進めた。藤井総四郎氏は就任直後にドライブイン経営へ参入し、1970年にはピザパイのチェーンを始めた。1972年のサンフランシスコでの初の海外進出に続き、翌1973年にはアイスクリームのチェーンへの参入。アイスクリーム店を不二家本体の店舗網に加えず別会社で始めたのは、外資の出資を受け入れる会社を先に用意するためだったとみられる。
- 有価証券報告書 第53期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1973年12月、不二家がバスキン・ロビンス社との合弁事業の目的でビー・アールジャパンを設立(資本金40百万円)
- [2]1973年12月、不二家がバスキン・ロビンス社との合弁事業の目的でビー・アールジャパンを設立(資本金40百万円)
- 政経人 1977年「企業一族物語――不二家」
- [3]不二家は1969年5月に藤井総四郎氏が社長就任、ドライブイン・1970年ピザパイチェーン・1972年サンフランシスコ進出・1973年アイスクリームチェーンと多角化
- [4]不二家は1969年5月に藤井総四郎氏が社長就任、ドライブイン・1970年ピザパイチェーン・1972年サンフランシスコ進出・1973年アイスクリームチェーンと多角化
- [5]不二家は1969年5月に藤井総四郎氏が社長就任、ドライブイン・1970年ピザパイチェーン・1972年サンフランシスコ進出・1973年アイスクリームチェーンと多角化
ビー・アールジャパンは1974年1月、バスキン・ロビンス社を引受先とする第三者割当増資を実施した。これにより出資者は不二家と米国側の2社となり、新会社は日米の合弁会社に変わった。同年4月には第一号店を東京・目黒に出店し、トレーニングセンターも同時に開設した。設立から第一号店の開業までの期間は4か月。親会社の不二家は1963年に京都の伏見店を第1号としてフランチャイズ制を導入した。1977年時点で不二家のフランチャイズ店は約500店に達し、80店程度の直営店を大きく上回った。フランチャイズで店を増やした不二家の経験から、本国の製法と運営を加盟店へ伝える拠点を先に置いたと推察される。
- 有価証券報告書 第53期(2025年12月期)【沿革】
- [6]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- [7]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- [8]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- [9]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- 政経人 1977年「企業一族物語――不二家」
- [10]不二家は1963年の京都・伏見店からフランチャイズ制を導入、1977年時点でFC店約500店・直営店80店程度
- [11]不二家は1963年の京都・伏見店からフランチャイズ制を導入、1977年時点でFC店約500店・直営店80店程度
参考文献[1]-[11]
- 有価証券報告書 第53期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1973年12月、不二家がバスキン・ロビンス社との合弁事業の目的でビー・アールジャパンを設立(資本金40百万円)
- [2]1973年12月、不二家がバスキン・ロビンス社との合弁事業の目的でビー・アールジャパンを設立(資本金40百万円)
- [6]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- [7]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- [8]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- [9]1974年1月、バスキン・ロビンス社への第三者割当増資で不二家との合弁会社化。同年4月、東京・目黒に第一号店とトレーニングセンターを開設
- 政経人 1977年「企業一族物語――不二家」
- [3]不二家は1969年5月に藤井総四郎氏が社長就任、ドライブイン・1970年ピザパイチェーン・1972年サンフランシスコ進出・1973年アイスクリームチェーンと多角化
- [4]不二家は1969年5月に藤井総四郎氏が社長就任、ドライブイン・1970年ピザパイチェーン・1972年サンフランシスコ進出・1973年アイスクリームチェーンと多角化
- [5]不二家は1969年5月に藤井総四郎氏が社長就任、ドライブイン・1970年ピザパイチェーン・1972年サンフランシスコ進出・1973年アイスクリームチェーンと多角化
- [10]不二家は1963年の京都・伏見店からフランチャイズ制を導入、1977年時点でFC店約500店・直営店80店程度
- [11]不二家は1963年の京都・伏見店からフランチャイズ制を導入、1977年時点でFC店約500店・直営店80店程度
1975年〜年産200万ガロンの富士小山工場と、200店台に乗った全国の店舗網
1979年3月、ビー・アールジャパンは富士小山工場を静岡県駿東郡小山町に建設した。稼働時の生産能力は1年あたり2,000千ガロンで、店で売るアイスクリームを自前の工場で作り始めた。1984年11月には同工場の生産能力を1年あたり3,500千ガロンへ引き上げ、稼働から5年余りで1.75倍にした。親会社の不二家も、1952年に卸売へ着手し1963年にフランチャイズ制を導入した後、新工場の相次ぐ開設で業績を拡大してきた会社である。1977年時点の不二家で、1964年発売の果肉飲料ネクターのシェアは50%強。店の数に合わせて供給を自前で押さえる判断は、製造と販売網を一体で持つ不二家の経営の型を引き継いだものと思われる。
- 有価証券報告書 第53期(2025年12月期)【沿革】
- [12]1979年3月、静岡県駿東郡小山町に富士小山工場を建設し年産2,000千ガロン体制。1984年11月に年産3,500千ガロンへ増強
- [13]1979年3月、静岡県駿東郡小山町に富士小山工場を建設し年産2,000千ガロン体制。1984年11月に年産3,500千ガロンへ増強
- [14]1979年3月、静岡県駿東郡小山町に富士小山工場を建設し年産2,000千ガロン体制。1984年11月に年産3,500千ガロンへ増強
- 政経人 1977年「企業一族物語――不二家」
- [15]不二家は1952年卸売着手・1963年FC制導入で経営基盤を固め、新工場を次々開設して業績拡大。ネクターは1964年発売でシェア50%強
- [16]不二家は1952年卸売着手・1963年FC制導入で経営基盤を固め、新工場を次々開設して業績拡大。ネクターは1964年発売でシェア50%強
ビー・アールジャパンは1983年12月、フランチャイズ店と直営店を合わせた店舗数を200店台に乗せた。店舗網は1974年の目黒の第一号店から約10年で全国へ広がった。1984年2月には関西以西での出店を広げるため、外部の営業倉庫の利用を始めた。倉庫を使う目的は、店への配送の能率を高めることにあった。親会社の不二家は1977年時点で、札幌や広島で地元資本と共同のサブフランチャイズ方式を採り、地方都市へ店を広げた。不二家は1980年末までに全国1,000店という目標を掲げた。工場が静岡の1か所のまま店舗網が西へ延び、配送の仕組みが次の出店を左右し始めたのだろう。
- 有価証券報告書 第53期(2025年12月期)【沿革】
- [17]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- [18]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- [19]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- [20]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- 政経人 1977年「企業一族物語――不二家」
- [21]不二家は1977年時点で札幌・広島で地元資本と共同のサブフランチャイズを展開し、1980年末までに全国1,000店を目標
- [22]不二家は1977年時点で札幌・広島で地元資本と共同のサブフランチャイズを展開し、1980年末までに全国1,000店を目標
参考文献[12]-[22]
- 有価証券報告書 第53期(2025年12月期)【沿革】
- [12]1979年3月、静岡県駿東郡小山町に富士小山工場を建設し年産2,000千ガロン体制。1984年11月に年産3,500千ガロンへ増強
- [13]1979年3月、静岡県駿東郡小山町に富士小山工場を建設し年産2,000千ガロン体制。1984年11月に年産3,500千ガロンへ増強
- [14]1979年3月、静岡県駿東郡小山町に富士小山工場を建設し年産2,000千ガロン体制。1984年11月に年産3,500千ガロンへ増強
- [17]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- [18]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- [19]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- [20]1983年12月、全国展開によりFC店・直営店合計で200店台。1984年2月、関西以西の店舗展開拡大のため配送能率向上の見地から外部営業倉庫の利用開始
- 政経人 1977年「企業一族物語――不二家」
- [15]不二家は1952年卸売着手・1963年FC制導入で経営基盤を固め、新工場を次々開設して業績拡大。ネクターは1964年発売でシェア50%強
- [16]不二家は1952年卸売着手・1963年FC制導入で経営基盤を固め、新工場を次々開設して業績拡大。ネクターは1964年発売でシェア50%強
- [21]不二家は1977年時点で札幌・広島で地元資本と共同のサブフランチャイズを展開し、1980年末までに全国1,000店を目標
- [22]不二家は1977年時点で札幌・広島で地元資本と共同のサブフランチャイズを展開し、1980年末までに全国1,000店を目標
出典・参考
2件
- 有価証券報告書 第53期(2025年12月期)【沿革】
- 政経人 1977年「企業一族物語――不二家」