雪印メグミルク

の歴史

創業
1925年
創業地
北海道
創業者
宇都宮仙太郎、黒澤酉蔵
上場
2009年
売上高(2026/3)
6,158 億円
営業利益(2026/3)
183 億円
従業員数(2026/3)
経営トップ
佐藤雅俊
雪印メグミルクの長期業績と経営の転換点売上高と利益率の長期推移
売上高(億円純利益率(%)

1925 北海道の酪農家がつくった製酪販売組合から戦時国策会社までの四半世紀

  1. 1925年有限責任 北海道製酪販売組合設立
  2. 1925年バター製造開始
  3. 1925年バター販売開始
  4. 1926年「雪印」商標決定(「雪印北海道バター」誕生)

雪印メグミルクの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

乳価の混乱に抗した酪農家自身による製酪組合の設立

雪印メグミルクの源流は、1925年(大正14)5月に札幌で設立された有限責任北海道製酪販売組合である。関東大震災後の恐慌で乳製品の市況が崩れ、原料乳の買いたたきに苦しんだ北海道の酪農家が、自らの手で乳製品をつくり売るための共同組織として立ち上げた。中心となったのは、米国で酪農を学んだ宇都宮仙太郎氏と、その門下で酪農運動を率いた黒澤酉蔵氏、佐藤善七氏らである。設立からわずか2カ月後の同年7月には、農場の一部を借りた仮工場でバターの製造を開始し、10月から販売を始めた。乳業メーカーの多くが資本の側から生まれたなかで、この組合は酪農家の出資でつくられた点で異色の出発だった。 [1][2][3]

組合の創業を思想面で支えたのが、黒澤氏の唱えた「健土健民」である。健康な国土があってこそ健康な国民が育つという意味のこの造語は、寒冷地の畑作偏重を改め、牛を飼い堆肥で土を肥やす循環型の酪農によって北海道農業を立て直すという運動論であり、現在も雪印メグミルクが創業の精神として掲げている。事業は初年度から軌道に乗り、翌1926年には組織を保証責任北海道製酪販売組合連合会(酪連)に改めて道内の集乳基盤を広げ、札幌に米国製の最新設備を備えた中央工場を建設して量産体制を整えた。東京出張所を開くなど、販売の目は早くから本州の消費地に向いていた。 [4][5]

  • 雪印メグミルクレポート2023
    • [4]黒澤酉蔵の造語「健土健民」が創業の精神とされている
    • [5]1926年に保証責任北海道製酪販売組合連合会(酪連)に改組した

「雪印」商標の誕生とバター市場での躍進

1926年12月、酪連は商標を「雪印」に決めた。札幌第一中学校(現・札幌南高等学校)の校章の雪のマークに着想を得て、雪の結晶に北極星を重ねた意匠であり、ここに「雪印北海道バター」が生まれた。品質本位の製造は販路を広げ、1927年には上海・大連への輸出を開始、1930年には鉄道貨車に氷を積む冷蔵輸送で本州への大量出荷を実現した。1929年に北海道庁が設けたバター検査条例の推奨マークも品質の裏書きとなり、1932年にはバターの国内生産量の75%を占めるに至っている。バターがまだ高級品だった時代に、一つの商標が市場の大半を押さえた。 [6][7][8][9]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1926年12月に「雪印」商標が決定し「雪印北海道バター」が誕生した
    • [7]商標は札幌第一中学校の校章の雪のマークに着想を得た
    • [8]1927年に上海・大連への輸出を開始した
    • [9]1932年にバター国内生産量の75%を占めた

販売の工夫も先進的だった。1930年ごろから映画スターを起用した宣伝を打ち、バターを使う料理を紹介する「料理のしおり」を配って、商品と洋風の食文化をひとまとめに家庭へ届けた。牛乳や乳製品が日本人の食生活にまだ根づいていない時代、まず食べ方から伝える販売活動だった。酪農家の販売組合として出発した酪連は、こうして道内の集乳網と本州の販路の両方を広げながら乳業メーカーとしての実体を強め、1935年には集乳量で先行する明治・森永の両社を上回り、全国一の製乳業者となった。設立から10年、小さかったバター需要を自らつくり、集乳網と販路を同時に広げた結果である。 [10][11]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1926年12月に「雪印」商標が決定し「雪印北海道バター」が誕生した
    • [7]商標は札幌第一中学校の校章の雪のマークに着想を得た
    • [8]1927年に上海・大連への輸出を開始した
    • [9]1932年にバター国内生産量の75%を占めた
    • [10]1930年ごろに映画スターを使った宣伝と「料理のしおり」による普及活動を行った
    • [11]1935年に集乳量で明治・森永を抜いて全国一の製乳業者となった

戦時統制下の興農公社から北海道酪農協同への改組

日中戦争から太平洋戦争へと続く経済統制は乳業にも及び、酪連は1941年、戦時の国策会社である株式会社北海道興農公社に改組された。酪農家の出資と合意を積み上げてきた共同販売組織は、協同組合の形を離れ、乳製品の増産を担う統制会社として戦時を過ごすことになる。牛乳・乳製品は軍需と国民栄養の両面で重視され、事業そのものは統制の網の中で続いたが、生産者が自ら値段と販路を決めるという創業の仕組みは、この改組でいったん失われた。設立から16年、「健土健民」を掲げた運動体としての組合の歴史は、ここでひと区切りを迎える。 [12]

敗戦後の1947年、会社は社名を北海道酪農協同株式会社(北酪社)に改めて再出発した。しかし道内の集乳とバター・チーズ製造をほぼ一手に担う体制は、財閥解体を軸とする連合国占領下の経済民主化政策と衝突する。北酪社は過度経済力集中排除法の適用対象となり、市場の独占的な地位を解くための会社分割を迫られた。戦前に集乳量で全国一まで育った事業体は、その大きさそのものが分割の理由になった。創業から四半世紀で北海道酪農の代名詞となった組織は、二つの会社に分かれて戦後の再出発を期すことになる。 [13][14]

    • [12]1941年に株式会社北海道興農公社に改組された
    • [13]1947年に北海道酪農協同株式会社に社名変更した
    • [14]北酪社は過度経済力集中排除法の適用を受けて分割された

1950 集排法下で発足した雪印乳業の全国ブランド化と乳製品自由化への備え

  1. 1950年雪印乳業株式会社設立
  2. 1950年雪印乳業株式会社、東京証券取引所・札幌証券取引所に株式上場
  3. 1951年「雪印ビタミルク」発売
  4. 1954年「6Pチーズ」大量生産化
  5. 1962年「雪印カマンベールチーズ」発売
  6. 1972年全国農協牛乳直販株式会社設立
  7. 1996年ジャパンミルクネット株式会社設立

雪印メグミルクの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

過度経済力集中排除法による分割と雪印乳業の発足

1950年6月、北海道酪農協同は過度経済力集中排除法にもとづき二分され、その一方として雪印乳業株式会社が設立された。もう一方は北海道バター株式会社(のちのクロバー乳業)である。雪印乳業は「雪印」の商標を引き継ぎ、設立からわずか2カ月後の同年8月には東京証券取引所と札幌証券取引所に株式を上場して、証券市場から資本を調達できる株式会社として再出発した。1925年に酪農家の共同組合として始まった事業体は、戦時の国策会社化と占領期の分割という二度の改組をへて、ここで上場企業になった。 [15][16][17]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1950年6月に雪印乳業株式会社が設立された
    • [17]1950年8月に東京証券取引所・札幌証券取引所に上場した
    • [16]分割のもう一方は北海道バター株式会社である

発足翌年の1951年には強化乳「雪印ビタミルク」を発売し、バター・チーズの会社から、飲む牛乳や育児用食品も含む総合乳業への歩みを始めた。分割で分かれた北海道バターはクロバー乳業と改称して同じ市場で競い合ったが、占領の終結によって分割を強いた政策環境そのものが変わると再結合が課題にのぼり、1958年に雪印乳業はクロバー乳業を合併して分割前の生産基盤を一つに戻した。北海道の原料乳を土台に全国の消費地へ売り広げる雪印ブランドの体制はここで固まり、高度成長期の拡大へ向かう足場ができた。 [18]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1951年に「雪印ビタミルク」を発売した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1950年6月に雪印乳業株式会社が設立された
    • [17]1950年8月に東京証券取引所・札幌証券取引所に上場した
    • [18]1951年に「雪印ビタミルク」を発売した
    • [16]分割のもう一方は北海道バター株式会社である

八雲工場食中毒事件と「全社員に告ぐ」

発足5年目の1955年3月、東京都内の小学校9校の学校給食で集団食中毒が発生した。原因は北海道の雪印乳業八雲工場が製造した脱脂粉乳で、製造機の故障と停電により原料乳あるいは半濃縮乳が粉化前に長時間放置され、黄色ブドウ球菌が増殖したものと推定された。給食を食べた7,638人のうち患者は1,579人にのぼり、成長期の子どもたちに被害が集中したことは会社に重くのしかかった。北海道庁の検査条例以来、品質を何よりの旗印として伸びてきた雪印の名が、創業30年にして初めて大規模な食品事故と結びついた事件である。 [19][20][21]

事件を受けて当時の社長佐藤貢氏は「全社員に告ぐ」と題する文書を全社に発し、品質への反省と出直しを求めた。この文書は以後、同社の品質管理の原点として語り継がれることになる。しかし、その記憶はその後の組織のなかで保たれなかった。雪印メグミルクは今日、八雲工場食中毒事件を風化させ、その教訓を活かすことができなかったことが2000年の食中毒事件の発生につながったと総括している。同じ黄色ブドウ球菌による事故が45年をへて繰り返されるまで、この事件が社の内外で顧みられる機会はほとんどなかった。 [22][23]

    • [19]1955年3月に東京都内の小学校9校の学校給食で食中毒が発生した
    • [20]原因は八雲工場製造の脱脂粉乳で、停電等による黄色ブドウ球菌の増殖と推定された
    • [21]給食者数7,638人のうち患者は1,579人である
    • [22]当時の社長佐藤貢が「全社員に告ぐ」を発した
    • [23]雪印メグミルクは八雲事件の風化が2000年の食中毒事件につながったと総括している

定番商品群の全国化と医薬・機能性への多角化

高度成長期の雪印乳業は、家庭の食卓に残る定番商品を次々に生み出した。1954年に「6Pチーズ」の大量生産化に踏み切り、1962年に「雪印カマンベールチーズ」と「雪印スライスチーズ」、1963年に「雪印コーヒー」、1968年に「雪印ネオ マーガリンソフト」(現・ネオソフト)を発売した。市乳では1972年に全国農協牛乳直販株式会社(のちの全国農協直販)が設立され、農協系の牛乳販売網が形づくられた。1979年にはプレーンヨーグルト「雪印ナチュレ」、1980年には「ストリングチーズ」(現・さけるチーズ)と、のちの主力品の多くがこの時期に出そろっている。 [24][25][26][27]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1954年に「6Pチーズ」を大量生産化した
    • [25]1962年にカマンベールチーズとスライスチーズ、1963年に雪印コーヒー、1968年にネオソフトを発売した
    • [26]1972年に全国農協牛乳直販株式会社が設立された
    • [27]1979年に「雪印ナチュレ」、1980年に「ストリングチーズ」を発売した

1980年代に入ると、乳で培った技術を土台に事業の幅を広げた。1983年には医薬品事業への進出をねらって生物科学研究所を設立し、約130人の研究者を集めて研究体制を築いた。この立ち上げを主導した研究本部出身の片山純男氏は1993年6月に社長に就任し、ウルグアイ・ラウンド交渉で迫る乳製品の輸入自由化に対し「打つべき手は打って、自由化をにらんだ一層の体制づくりに挑む」と備えを語った。1990年代後半には牛乳への乳成分強化で「毎日骨太」がヒットし、機能性を前面に出す商品開発は、以後の同社がくり返し使う手法になった。 [28][29][30]

  • 日経ビジネス 1993年11月22日号
    • [28]1983年に医薬品事業進出をねらい生物科学研究所を設立した
    • [29]片山純男は1993年6月に社長に就任した
  • 週刊東洋経済 2001年8月11日号
    • [30]「毎日骨太」は1990年代後半のヒット商品である
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1954年に「6Pチーズ」を大量生産化した
    • [25]1962年にカマンベールチーズとスライスチーズ、1963年に雪印コーヒー、1968年にネオソフトを発売した
    • [26]1972年に全国農協牛乳直販株式会社が設立された
    • [27]1979年に「雪印ナチュレ」、1980年に「ストリングチーズ」を発売した
  • 日経ビジネス 1993年11月22日号
    • [28]1983年に医薬品事業進出をねらい生物科学研究所を設立した
    • [29]片山純男は1993年6月に社長に就任した
  • 週刊東洋経済 2001年8月11日号
    • [30]「毎日骨太」は1990年代後半のヒット商品である

2000 戦後最大の集団食中毒と牛肉偽装によるグループ解体、雪印メグミルクの発足

  1. 2000年雪印乳業食中毒事件
  2. 2002年雪印食品牛肉偽装事件
  3. 2002年「毎日骨ケアMBP®」発売
  4. 2003年雪印乳業株式会社より分離した市乳事業部門・全国農協直販株式会社・ジャパンミルクネット株式会社が統合し、日本ミルクコミュニティ株式会社設立
  5. 2007年「低温脱気製法」で特許取得「特許第4015134号」
  6. 2007年「雪印北海道100」ブランドの展開
  7. 2009年日本ミルクコミュニティ株式会社と雪印乳業株式会社が経営統合し、共同持株会社「雪印メグミルク株式会社」設立、東京証券取引所市場第一部、札幌証券取引所に株式上場

雪印メグミルクの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

被害1万3420人の集団食中毒事件と経営陣の退陣

2000年6月27日、大阪市保健所に雪印乳業大阪工場製造の低脂肪乳による食中毒の届出があった。原因をさかのぼると、同年3月末に北海道の大樹工場で停電事故が起き、汚染された脱脂粉乳を再溶解してつくった脱脂粉乳が、大阪工場で低脂肪乳の原料に使われていた。黄色ブドウ球菌がつくる毒素エンテロトキシンによる被害者は13,420人にのぼり、戦後最大級の集団食中毒事件となった。45年前の八雲工場事件と同じ菌による、二度目の大規模食中毒である。毎日の食卓に届く牛乳で起きた事故であり、雪印の名はこの一件で消費者の信用を失った。 [31][32][33]

事件対応は後手に回った。商品回収と消費者への告知は遅れ、当初「低脂肪乳」以外は安全と説明したあとで「毎日骨太」など2品目が回収対象に加わり、被害者を回っていた社員の説明を覆した。当時の社長石川哲郎氏は7月4日夜の会見を「私は寝ていないんだ」と打ち切り、この映像が繰り返し放映されて批判を決定づけた。石川氏は7月6日に辞意を表明し、後任には営業出身の西紘平氏が急きょ就いた。西氏のもとで大阪工場をはじめ全国8工場の閉鎖、従業員の15%にあたる1,000人の人員削減という再建策が実行に移された。 [34][35][36]

  • 日経ビジネス 2000年10月2日号
    • [34]「毎日骨太」など2品目が後から回収対象に加わった
    • [35]石川哲郎社長は7月4日夜の会見で「私は寝ていないんだ」と発言し、7月6日に辞意を表明した
  • 週刊東洋経済 2001年8月11日号
    • [36]全国8工場の閉鎖と従業員の15%にあたる1,000人の削減が実施された
    • [31]2000年6月27日に大阪市保健所へ最初の患者届出があった
    • [32]原因は大樹工場の停電事故で汚染された脱脂粉乳を再溶解した原料を大阪工場が使ったことによる
    • [33]被害者は13,420人である
  • 日経ビジネス 2000年10月2日号
    • [34]「毎日骨太」など2品目が後から回収対象に加わった
    • [35]石川哲郎社長は7月4日夜の会見で「私は寝ていないんだ」と発言し、7月6日に辞意を表明した
  • 週刊東洋経済 2001年8月11日号
    • [36]全国8工場の閉鎖と従業員の15%にあたる1,000人の削減が実施された

雪印食品の牛肉偽装とグループ再建策

信頼回復が進みかけた2002年1月23日、子会社の雪印食品がBSE対策の国産牛肉買い上げ制度を悪用し、安価な輸入牛肉を国産と偽って交付金を不正受給していたことが新聞報道で発覚した。食中毒事件からわずか1年半での二度目の不祥事である。今度は法を犯した詐欺事件であり、消費者の反発は前回に増して激しく、雪印食品は同年4月末に解散に追い込まれた。雪印乳業本体の販売も再び急落し、公約していた2002年度の黒字化は不可能になった。西社長は事件から10日で他社資本の受け入れを決断し、3月28日に市乳事業などを本体から切り離す再建策を発表した。 [37][38][39]

再建の枠組みづくりでは、当初ネスレの資本参加を望んだ西社長に対し、農林水産省が全農・全酪連との市乳事業統合を後押しし、最終的に全農を筆頭株主とし伊藤忠商事も資本参加する農協系主導の再建に落ち着いた。赤字体質の市乳事業は全農・全酪連の事業と合わせて年商3,000億円規模とし、物流と営業の効率化で採算を立て直す構想である。育児品はネスレ、医薬品は大塚製薬グループ、アイスクリームはロッテと、事業ごとに提携先を探す事実上のグループ解体だった。西氏は雪印乳業本体をチーズ・バターの乳製品メーカーとして残し、「チーズ1000億円構想」で再興を期すと語った。 [40][41][42]

  • 日経ビジネス 2002年4月22日号
    • [40]再建策は全農を筆頭株主とし伊藤忠商事も資本参加する内容だった
    • [41]育児品はネスレ、医薬品は大塚製薬グループ、アイスクリームはロッテと事業ごとに提携した
    • [42]西紘平は「チーズ1000億円構想」を掲げた
    • [37]2002年1月23日に雪印食品の牛肉偽装が報道で発覚した
    • [38]雪印食品は2002年4月末に解散した
  • 日経ビジネス 2002年4月22日号
    • [39]2002年3月28日に再建策が発表された
    • [40]再建策は全農を筆頭株主とし伊藤忠商事も資本参加する内容だった
    • [41]育児品はネスレ、医薬品は大塚製薬グループ、アイスクリームはロッテと事業ごとに提携した
    • [42]西紘平は「チーズ1000億円構想」を掲げた

日本ミルクコミュニティの設立から2009年の経営統合へ

2003年1月、雪印乳業から分離した市乳事業部門と全国農協直販、ジャパンミルクネットの3者が統合し、日本ミルクコミュニティ株式会社が設立された。赤いパッケージの「メグミルク」ブランドで出発した同社だが、初年度の2003年度は132億円の営業赤字を計上して債務超過に陥り、工場閉鎖と物流・営業拠点の再編を経て2004年度に黒字化、2006年に農林中央金庫の支援で債務超過を解消した。一方の雪印乳業も2003年度に黒字へ浮上し、収益性の高いチーズ事業を軸に復配まで果たして、両社はそれぞれ再建に区切りをつけた。 [43][44][45]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [43]2003年1月に日本ミルクコミュニティが設立された
  • 週刊東洋経済 2009年2月7日号
    • [44]日本ミルクコミュニティは2003年度に132億円の営業赤字・債務超過となり、2004年度黒字化、2006年に債務超過を解消した
    • [45]雪印乳業は2003年度に黒字浮上し復配した

2009年10月、日本ミルクコミュニティと雪印乳業は経営統合し、共同持株会社の雪印メグミルク株式会社を設立して東京証券取引所市場第一部と札幌証券取引所に株式を上場した。両社の2008年度業績を単純合算すると売上高5,250億円・営業利益120億円で、2位の森永乳業に迫る規模である。乳製品に特化していた雪印にとって市乳部門との再結合は、縮小する国内の乳資源を確保し、牛乳からチーズまでを一貫して扱う総合乳業メーカーへの回帰を意味した。雪印乳業の高野瀬忠明社長は統合を「過去の雪印に戻るのではなく、次の世代に向けて成長するための出発点」と語り、事件については「風化させてはならない。10年、20年と背負っていく」と述べた。 [46][47][48]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2009年10月に経営統合で共同持株会社雪印メグミルクが設立され東証一部・札証に上場した
  • 週刊東洋経済 2009年2月7日号
    • [47]両社の2008年度業績単純合算は売上高5,250億円・営業利益120億円である
    • [48]高野瀬忠明社長は統合を「次の世代に向けて成長するための出発点」と語った
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [43]2003年1月に日本ミルクコミュニティが設立された
    • [46]2009年10月に経営統合で共同持株会社雪印メグミルクが設立され東証一部・札証に上場した
  • 週刊東洋経済 2009年2月7日号
    • [44]日本ミルクコミュニティは2003年度に132億円の営業赤字・債務超過となり、2004年度黒字化、2006年に債務超過を解消した
    • [45]雪印乳業は2003年度に黒字浮上し復配した
    • [47]両社の2008年度業績単純合算は売上高5,250億円・営業利益120億円である
    • [48]高野瀬忠明社長は統合を「次の世代に向けて成長するための出発点」と語った

2011 新生雪印メグミルクの構造改革と「食の持続性」への100年目の挑戦

  1. 2011年雪印メグミルク株式会社が日本ミルクコミュニティ株式会社および雪印乳業株式会社を吸収合併し、新生「雪印メグミルク株式会社」誕生
  2. 2015年「恵 megumi ガセリ菌SP株ヨーグルト」機能性表示食品として発売
  3. 2018年家庭用マーガリン類で原料油脂にトランス脂肪酸を含む「部分水素添加油脂」を使用しない配合実現
  4. 2020年「乳酸菌ヘルべヨーグルト ドリンクタイプ」発売
  5. 2021年「MBPドリンク」発売
  6. 2022年東京証券取引所の市場区分見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行
  7. 2025年雪印メグミルク株式会社 創業100周年(有限責任 北海道製酪販売組合設立から)

雪印メグミルクの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

吸収合併による新生雪印メグミルクと収益力の立て直し

2011年4月、持株会社の雪印メグミルクが日本ミルクコミュニティと雪印乳業の両事業会社を吸収合併し、事業持株会社としての新生雪印メグミルクが発足した。統合初年度の2011年3月期の連結売上高は5,042億円である。ただ収益力は乏しく、牛乳・飲料を含む飲料・デザート類セグメントの採算の低さが重荷となり、2015年3月期の営業利益は94億円、営業利益率は2%台にとどまった。2014年に就任した西尾啓治社長は飲料・デザート類の構造改革を進め、1年で40億円の利益改善を実現するとともに、成長分野への集中投資に移った。 [49][50]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [49]2011年4月に雪印メグミルクが両事業会社を吸収合併した
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2016年5月12日)
    • [50]西尾啓治社長のもとで飲料・デザート類の構造改革により1年で40億円の利益改善を実現した

投資の軸はチーズと機能性ヨーグルトである。2015年に「恵 megumi ガセリ菌SP株ヨーグルト」を機能性表示食品として発売し、内臓脂肪を減らす機能の訴求で販売を伸ばした。京都工場には約60億円を投じて小型ボトルのドリンクヨーグルト生産ラインを増設し、供給が追いつかず仕掛けられなかったテレビ広告や店頭販促を全開にできる体制を整えた。この投資と価格改定による製品構成の改善が効き、2018年3月期には連結営業利益が194億円まで回復した。骨の代謝を助ける乳塩基性タンパク質MBPや乳酸菌ヘルベなど、独自素材による機能性食品事業の育成も、この時期にマーケティング投資を集中して事業基盤を固めた。 [51][52]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [51]2015年に「恵 megumi ガセリ菌SP株ヨーグルト」を機能性表示食品として発売した
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2018年5月10日)
    • [52]京都工場の設備投資額は全体で約60億円である
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [49]2011年4月に雪印メグミルクが両事業会社を吸収合併した
    • [51]2015年に「恵 megumi ガセリ菌SP株ヨーグルト」を機能性表示食品として発売した
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2016年5月12日)
    • [50]西尾啓治社長のもとで飲料・デザート類の構造改革により1年で40億円の利益改善を実現した
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2018年5月10日)
    • [52]京都工場の設備投資額は全体で約60億円である

牛乳事業の赤字構造と中期経営計画の試行錯誤

2017年に策定した長期ビジョンでは、10年後の営業利益率5%程度・ROE8%以上を目安に掲げ、10年間で3,000億〜4,000億円の設備投資を構想した。しかし「グループ中期経営計画2019」の営業利益目標220億円は、ヨーグルト市場の伸び悩みやチーズの価格競争で届かず、2020年3月期の実績は180億円にとどまった。積年の課題は牛乳事業の採算である。牛乳は商品の差別化が難しく特売の定番となりやすいため赤字が常態化しており、続く「中期経営計画2022」でも赤字幅3分の1縮減の目標は未達に終わった。それでも生産ラインの統合・集約とPB・NB双方のアイテム見直しで、収益改善は少しずつ積み上がった。 [53][54][55]

  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2017年5月11日)
    • [53]長期ビジョンは営業利益率5%程度・ROE8%以上・投資3,000億〜4,000億円を目安とした
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2019年5月13日)
    • [54]中計2019の営業利益目標220億円に対し2020年3月期実績は180億円だった
  • 雪印メグミルク 決算説明会・中期経営計画2025説明会 質疑応答(2023年5月15日)
    • [55]中計2022の牛乳類赤字額3分の1縮減目標は未達に終わった

2020年からの新型コロナウイルス下では、学校給食や業務用の需要が消える一方で家庭用が伸び、機能性ヨーグルトは免疫系への需要集中とその反動を経験した。それでも2021年3月期の連結営業利益は198億円と統合後の最高水準を保った。この間も大樹工場に約70億円を投じて「さけるチーズ」の生産ラインを増設し、2021年には育児用粉ミルクの雪印ビーンスタークを完全子会社化するなど、強みのカテゴリーへの投資を続けた。2022年4月には東京証券取引所の市場再編でプライム市場に移行している。 [56][57][58]

  • 雪印メグミルク 2021年3月期決算説明会資料
    • [56]大樹工場に約70億円を投じ「さけるチーズ」のラインを増設した
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2021年5月13日)
    • [57]2021年に雪印ビーンスタークを完全子会社化した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [58]2022年4月にプライム市場へ移行した
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2017年5月11日)
    • [53]長期ビジョンは営業利益率5%程度・ROE8%以上・投資3,000億〜4,000億円を目安とした
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2019年5月13日)
    • [54]中計2019の営業利益目標220億円に対し2020年3月期実績は180億円だった
  • 雪印メグミルク 決算説明会・中期経営計画2025説明会 質疑応答(2023年5月15日)
    • [55]中計2022の牛乳類赤字額3分の1縮減目標は未達に終わった
  • 雪印メグミルク 2021年3月期決算説明会資料
    • [56]大樹工場に約70億円を投じ「さけるチーズ」のラインを増設した
  • 雪印メグミルク 決算説明会 質疑応答(2021年5月13日)
    • [57]2021年に雪印ビーンスタークを完全子会社化した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [58]2022年4月にプライム市場へ移行した

「食の持続性」の中計2025からNext Design 2030へ

2021年に就任した佐藤雅俊社長は、2023年策定の「グループ中期経営計画2025」で「食の持続性」を経営の軸に据えた。コロナ禍とウクライナ侵攻で食料調達の前提が揺らぐなか、乳製品の約4割を輸入に頼る日本で安定的に食を供給することを自社の役割と定義し、事業ポートフォリオの評価軸に「食の持続性貢献度」を持ち込んだ。折からの飼料高で疲弊した酪農への対応と資材高騰を受け、2022年以降は牛乳・乳製品の価格改定を重ね、常態化するPBR1倍割れに対してはROE6%を目標に政策保有株式の縮減を進めた。 [59][60]

  • 雪印メグミルク 社長スモールミーティング 質疑応答(2023年6月1日)
    • [59]中計2025は「食の持続性」を軸としポートフォリオに「食の持続性貢献度」の軸を導入した
    • [60]乳製品の約4割を輸入に依存し、ROE6%目標と政策保有株式の縮減を掲げた

創業100周年の2025年、雪印メグミルクは6年間の新経営計画「Next Design 2030」と長期ビジョン「未来ビジョン2050」を発表した。国内生産拠点の2〜3割を協業・M&A・生産受委託・自社統合で再編する「アセットの大変革」を柱に、配当性向の目安を30%以上から40%以上へ引き上げている。実行は速く、2026年5月までに神戸・興部・川越の3工場の生産終了を決め、再編目標への進捗は約13%に達した。海外では香港拠点からの撤退と育児用粉ミルクのファブレス化で赤字事業を整理し、骨密度を高める機能をもつ独自素材MBPの海外販売を成長の柱に据える。 [61][62][63][64]

  • 雪印メグミルク 経営計画説明会資料(2025年5月14日)
    • [61]2025年に新経営計画「Next Design 2030」と「未来ビジョン2050」を発表し、配当性向目安を40%以上に引き上げた
  • 雪印メグミルク 新経営計画・2024年度決算説明会 質疑応答(2025年5月14日)
    • [62]国内生産拠点の2〜3割を協業・再編する計画である
  • 雪印メグミルク 2025年度決算説明会 質疑応答(2026年5月14日)
    • [63]神戸・興部・川越3工場の生産終了で再編進捗は約13%である
    • [64]香港拠点から撤退し育児用粉ミルクのファブレス化を進め、MBPの海外販売を成長の柱とする

2026年3月期の連結売上高は6,158億円、営業利益は183億円、政策保有株式の売却益もあり親会社株主に帰属する当期純利益は329億円である。連結従業員は5,844人、事業は乳製品、飲料・デザート類、飼料・種苗の3セグメントで構成される。バター1品から出発した組合は、100年をへて牛乳・乳製品から機能性素材、飼料・種苗までを担う企業グループになった。二つの事件を社史に刻み続けながら、酪農生産基盤の弱体化と人口減少という創業時とは別種の構造課題に、「健土健民」の理念で向き合っている。

  • 雪印メグミルク 社長スモールミーティング 質疑応答(2023年6月1日)
    • [59]中計2025は「食の持続性」を軸としポートフォリオに「食の持続性貢献度」の軸を導入した
    • [60]乳製品の約4割を輸入に依存し、ROE6%目標と政策保有株式の縮減を掲げた
  • 雪印メグミルク 経営計画説明会資料(2025年5月14日)
    • [61]2025年に新経営計画「Next Design 2030」と「未来ビジョン2050」を発表し、配当性向目安を40%以上に引き上げた
  • 雪印メグミルク 新経営計画・2024年度決算説明会 質疑応答(2025年5月14日)
    • [62]国内生産拠点の2〜3割を協業・再編する計画である
  • 雪印メグミルク 2025年度決算説明会 質疑応答(2026年5月14日)
    • [63]神戸・興部・川越3工場の生産終了で再編進捗は約13%である
    • [64]香港拠点から撤退し育児用粉ミルクのファブレス化を進め、MBPの海外販売を成長の柱とする

雪印メグミルクの沿革1925〜2025年における主な出来事を抜粋

年月区分社長・CEO出来事重要度
会社設立有限責任 北海道製酪販売組合設立★★★
バター製造開始★★
バター販売開始
「雪印」商標決定(「雪印北海道バター」誕生)★★★
会社設立雪印乳業株式会社設立★★★
株式上場雪印乳業株式会社、東京証券取引所・札幌証券取引所に株式上場★★★
「雪印ビタミルク」発売
「6Pチーズ」大量生産化★★
「雪印カマンベールチーズ」発売
「雪印スライスチーズ」発売
「雪印コーヒー」発売
「雪印ネオ マーガリンソフト」(現「ネオソフト」)発売
会社設立全国農協牛乳直販株式会社設立★★
全国農協牛乳直販株式会社から全国農協直販株式会社へ社名変更
プレーンヨーグルト「雪印ナチュレ(現「ナチュレ 恵 megumi」)」発売
「ストリングチーズ(現「さけるチーズ」)」発売
「とろけるスライス」発売
「雪印北海道バター(10gに切れてる)」発売
会社設立ジャパンミルクネット株式会社設立★★
「北海道カマンベール 切れてるタイプ」発売
経営危機雪印乳業食中毒事件★★★
経営危機雪印食品牛肉偽装事件★★★
「毎日骨ケアMBP®」発売
組織再編・会社設立雪印乳業株式会社より分離した市乳事業部門・全国農協直販株式会社・ジャパンミルクネット株式会社が統合し、日本ミルクコミュニティ株式会社設立★★★
「雪印北海道100」ブランドの展開
研究開発「低温脱気製法」で特許取得「特許第4015134号」★★
組織再編・株式上場高野瀬忠明日本ミルクコミュニティ株式会社と雪印乳業株式会社が経営統合し、共同持株会社「雪印メグミルク株式会社」設立、東京証券取引所市場第一部、札幌証券取引所に株式上場★★★
組織再編中野吉晴雪印メグミルク株式会社が日本ミルクコミュニティ株式会社および雪印乳業株式会社を吸収合併し、新生「雪印メグミルク株式会社」誕生★★★
西尾啓治「恵 megumi ガセリ菌SP株ヨーグルト」機能性表示食品として発売
研究開発家庭用マーガリン類で原料油脂にトランス脂肪酸を含む「部分水素添加油脂」を使用しない配合実現
「乳酸菌ヘルべヨーグルト ドリンクタイプ」発売
佐藤雅俊「MBPドリンク」発売
東京証券取引所の市場区分見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行
雪印メグミルク株式会社 創業100周年(有限責任 北海道製酪販売組合設立から)
出典・参考

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