明治ホールディングス の歴史

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創業 1906年
創業者 相馬家
創業地 東京都中央区
創業
1906年12月、糖業家の相馬半治氏が台湾台南に資本金500万円で明治製糖を設立した。台湾の蔗糖を中核とする会社で、砂糖の消費先を自ら育てるため菓子・農牧場・乳製品・食品へ傍系事業を広げ、1916年には菓子会社の東京菓子が生まれる。東京菓子は1924年に明治製菓へ改称した。1940年には明治製糖の乳業部門と極東煉乳の統合で明治乳業が発足し、明治製菓の乳製品部門も同社へ移されて、菓子と乳業の分担がここで固まった。以後およそ70年、二社は同じ明治の名を掲げながら別々の会社として歩む。現在の明治ホールディングスは、その二社が2009年4月に共同株式移転で設けた持株会社である。
決断
会社の区分を二度引き直し、二度目は事業の側で引いた。2008年9月、明治製菓と明治乳業は合併ではなく共同株式移転を選び、持株会社・明治ホールディングスを設立することで合意した。どちらかが相手を吸収する形を取らず、両社の株式を新たに設ける持株会社へ移す段取りである。2009年4月に明治ホールディングスが発足して東証一部へ上場したが、傘下は菓子の会社と乳業の会社のままだった。2011年2月に吸収分割契約を結び、同年4月、明治製菓のフード&ヘルスケア事業を明治乳業へ承継させて、明治乳業は株式会社明治へ、明治製菓はMeiji Seika ファルマへ商号を変えている。1940年に決めた菓子と乳業という分担を食品と医薬へ引き直したことが、連結営業利益を2012年3月期の202億円から2018年3月期の947億円へ押し上げた。
現況
営業利益は伸ばしたが、純利益は特別損失で3割減った。2026年3月期の連結売上高は1兆1,737億円、営業利益は933億円と前期から増えたが、特別損失427億円で純利益は508億円から351億円へ減った。食品は売上9,415億円・利益687億円、医薬品は2,322億円・利益305億円で、利益率は7.3%に対し13.1%である。損失の中身は食品側の減損225億円で、中国事業の見直しと2025年11月に発表した四国明治の生産終了による。医薬品でも、KMバイオロジクスと開発したレプリコンワクチンのコスタイベが風評で接種見通しを当初の10分の1へ落とし、棚卸評価損を招いた。2025年6月に就任した松田克也社長は、ROICによる管理と資産の圧縮を掲げている。
競合
先に値上げできる立場は、先に数量を失う立場でもあった。2022年度の原材料コストは前年度から295億円増え、上期までの価格改定で198億円を回収したものの約100億円が残る。首位にあるブルガリアヨーグルトでは、競合が売価を上げないなかで先行して値上げを浸透させようとした結果、数量は約9割まで減り、R-1とLG21を含むプロバイオティクス全体も低迷した。2023年3月期の連結売上高は1兆621億円と前期を上回った一方、営業利益は754億円と18.7%減っている。乳業では日本ミルクコミュニティと統合して総合乳業へ戻った雪印メグミルク、菓子では乳業を分離せずに抱えた江崎グリコが同じ棚に並ぶ。棚で首位にあることは値上げの先行を可能にしたが、数量の維持までは保証せず、価格を戻さずに数量を取り返す作業が現在も続いている。
明治ホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2010年3月期2026年3月期

創業ストーリー 同じ源流から分かれた菓子と乳業が別々に歩んだ時代 (1906年〜)

製糖会社が菓子と乳業を生み、三社へ分かれるまで

1906年12月、糖業家の相馬半治氏が台湾台南に資本金500万円で明治製糖を設立[1]した。台湾の蔗糖事業を中核に成長し、昭和13〜14年には産糖高500万ピクル以上[2]を数え、終戦の時点では資本金6,100万円、蔗糖工場8、精製糖工場4、従業員5,000名[3]を擁していた。明治製糖は砂糖の消費先を自ら育てる目的で菓子・農牧場・乳製品・食品へ傍系事業を広げ[4]、1916年には菓子会社の東京菓子が設立された[5]。東京菓子は1924年に明治製菓へ改称し、相馬半治氏が会長として実権を握った[6]。同社は戦前からキャラメル・ビスケット・チョコレートを量産[7]し、菓子業界の大手となった。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)
    • [1]1906年12月 相馬半治が台湾台南に資本金500万円で明治製糖を設立
    • [2]昭和13〜14年 明治製糖の産糖高500万ピクル以上
    • [3]終戦時の明治製糖 資本金6,100万円・蔗糖工場8・精製糖工場4・従業員5,000名
    • [4]明治製糖の傍系事業 菓子・農牧場・乳製品・食品
  • 日本会社史総覧(1995年)
    • [5]1916年 東京菓子(明治製菓の前身)創立
    • [6]1924年 明治製菓へ改称・相馬半治が会長として実権を掌握
    • [7]戦前からキャラメル・ビスケット・チョコレートを量産

1940年、明治製糖の乳業部門と極東煉乳の統合により明治乳業が発足[8]し、明治製菓の乳製品部門も同社へ移された[9]。菓子と乳業の分担がここで固まり[10]、以後およそ70年、二社は同じ明治の看板を掲げながら別々の会社として歩んだ。明治製菓は1946年にペニシリンの製造を始めて薬品事業へ入り[11]、1958年のカナマイシンなど発酵技術を生かした抗生物質[12]を主力に育てた。明治乳業は1950年に東京乳業を、1951年に朝日乳業を合併[13]し、1973年の明治ブルガリアヨーグルトなど大型新商品で乳業大手[14]となった。一方の明治製糖は敗戦で台湾などの外地資産をすべて失い[15]、1946年に川崎で製薬業と倉庫業へ転換して再起を図った[16]

  • 日本会社史総覧(1995年)
    • [8]1940年 明治乳業が極東煉乳を前身として発足
    • [9]明治製菓の乳製品部門も明治乳業へ移管
    • [10]乳製品部門の移管により菓子と乳業の役割分担が確立
    • [11]1946年 明治製菓がペニシリン製造を開始し薬品事業へ参入
    • [12]1958年 カナマイシン発売・食品製造の発酵技術が基盤
    • [13]1950年 東京乳業・1951年 朝日乳業を合併
    • [14]1973年 明治ブルガリアヨーグルト等の大型新商品で乳業大手に
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)
    • [15]終戦により明治製糖は台湾等の外地資産を全て喪失
    • [16]1946年 明治製糖は川崎で製薬業・倉庫業へ転換し再起
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)
    • [1]1906年12月 相馬半治が台湾台南に資本金500万円で明治製糖を設立
    • [2]昭和13〜14年 明治製糖の産糖高500万ピクル以上
    • [3]終戦時の明治製糖 資本金6,100万円・蔗糖工場8・精製糖工場4・従業員5,000名
    • [4]明治製糖の傍系事業 菓子・農牧場・乳製品・食品
    • [15]終戦により明治製糖は台湾等の外地資産を全て喪失
    • [16]1946年 明治製糖は川崎で製薬業・倉庫業へ転換し再起
  • 日本会社史総覧(1995年)
    • [5]1916年 東京菓子(明治製菓の前身)創立
    • [6]1924年 明治製菓へ改称・相馬半治が会長として実権を掌握
    • [7]戦前からキャラメル・ビスケット・チョコレートを量産
    • [8]1940年 明治乳業が極東煉乳を前身として発足
    • [9]明治製菓の乳製品部門も明治乳業へ移管
    • [10]乳製品部門の移管により菓子と乳業の役割分担が確立
    • [11]1946年 明治製菓がペニシリン製造を開始し薬品事業へ参入
    • [12]1958年 カナマイシン発売・食品製造の発酵技術が基盤
    • [13]1950年 東京乳業・1951年 朝日乳業を合併
    • [14]1973年 明治ブルガリアヨーグルト等の大型新商品で乳業大手に

菓子の欠損と提携の解消、二社が別々に迎えた転機

1980年3月期、明治製菓の食料部門は経常損益で30億円の欠損[17]を計上し、薬品部門は61億円の黒字[18]でこれを補った。国内の菓子需要は7年連続で減少[19]し、原料となる砂糖・乳製品・小麦粉の国内価格は国際価格の2〜2.5倍で高止まり[20]していた。中川赴社長は菓子部門の合理化と薬品部門への集中投資という二方面作戦[21]を掲げ、退職者の不補充と薬品部門への配置転換を軸に3年間で500人の削減[22]を計画した。同年10月に発売した大型新薬ホスホマイシンは月商10億円を超え[23]、菓子の欠損を埋めた。中川赴社長は『菓子は生活必需品から嗜好品的の要素が強まってきました』[引用元]と語った。

  • 日経ビジネス 1980年8月25日号
    • [17]1980年3月期 明治製菓の食料部門 経常損益30億円の欠損
    • [18]1980年3月期 明治製菓の薬品部門 経常利益61億円
    • [19]菓子需要が7年連続で減少
    • [20]砂糖・乳製品・小麦粉の国内価格が国際価格の2〜2.5倍
    • [21]中川赴社長 菓子部門の合理化と薬品部門への集中投資という二方面作戦
    • [22]3年間で500人の人員削減計画・退職者不補充と薬品部門への配置転換
    • [23]1980年10月発売のホスホマイシンが月商10億円超

明治乳業は1970年から20年にわたり、アイスクリーム・チーズ・マーガリンの三事業で米ボーデンと提携[24]し、ボーデンブランドの年間売上高は250億円[25]に達していた。1990年の乳製品輸入自由化を機にボーデン側が日本での事業拡大と主導権を求める[26]と、中山悠社長はこれを拒み、20年続いた提携の解消を決めた[27]。明治乳業は家庭用高級アイスクリーム市場で約60%のシェアを持つレディボーデン[28]を手放した。福田耕作専務は『開発力のない会社に未来はない』[引用元]と述べ、提携下で制約されていた競合品の開発を解いて自社ブランドの構築へ切り替えた[29]。高級アイスクリーム『彩』が、ボーデン離脱後の自社ブランド戦略の第一弾[30]となった。

  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
    • [24]1970年から20年 米ボーデンとアイスクリーム・チーズ・マーガリンで提携
    • [25]ボーデンブランドの年間売上高250億円
    • [26]1990年 乳製品輸入自由化を機にボーデンが日本での事業拡大と主導権を要求
    • [27]中山悠社長 ボーデンの要求を拒否し提携解消を決断
    • [28]レディボーデンは家庭用高級アイスクリーム市場で約60%のシェア
    • [29]提携下で制約されていた競合品開発の解禁と自社ブランド構築への転換
    • [30]ボーデン離脱後の自社ブランド第一弾 高級アイスクリーム「彩」
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号
    • [17]1980年3月期 明治製菓の食料部門 経常損益30億円の欠損
    • [18]1980年3月期 明治製菓の薬品部門 経常利益61億円
    • [19]菓子需要が7年連続で減少
    • [20]砂糖・乳製品・小麦粉の国内価格が国際価格の2〜2.5倍
    • [21]中川赴社長 菓子部門の合理化と薬品部門への集中投資という二方面作戦
    • [22]3年間で500人の人員削減計画・退職者不補充と薬品部門への配置転換
    • [23]1980年10月発売のホスホマイシンが月商10億円超
  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
    • [24]1970年から20年 米ボーデンとアイスクリーム・チーズ・マーガリンで提携
    • [25]ボーデンブランドの年間売上高250億円
    • [26]1990年 乳製品輸入自由化を機にボーデンが日本での事業拡大と主導権を要求
    • [27]中山悠社長 ボーデンの要求を拒否し提携解消を決断
    • [28]レディボーデンは家庭用高級アイスクリーム市場で約60%のシェア
    • [29]提携下で制約されていた競合品開発の解禁と自社ブランド構築への転換
    • [30]ボーデン離脱後の自社ブランド第一弾 高級アイスクリーム「彩」

合併ではなく対等の共同株式移転を選ぶ

2008年9月、明治製菓と明治乳業は株主総会の承認を前提として共同株式移転により共同持株会社を設立することで合意に達し、両社の取締役会で統合契約書を締結[31]した。両社の株式を新たに設ける持株会社へ移すという段取り[32]が、ここで定まった。

  • 明治ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [31]2008年9月 共同株式移転による共同持株会社設立で合意・統合契約書を締結
    • [32]共同株式移転による共同持株会社の設立という枠組み
  • 明治ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [31]2008年9月 共同株式移転による共同持株会社設立で合意・統合契約書を締結
    • [32]共同株式移転による共同持株会社の設立という枠組み

器から事業へ、会社の呼称を解いた再編

2009年4月、共同株式移転により明治ホールディングスが設立され、普通株式が東京証券取引所市場第一部に上場[33]した。発足後初の通期となる2010年3月期の連結売上高は1兆1,066億円、営業利益は288億円[34]で、営業利益率は2.6%にとどまった。連結の従業員は14,168人[35]を数えた。翌2011年3月期も売上高1兆1,110億円、営業利益289億円と横ばい[36]で推移した。

  • 明治ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [33]2009年4月 当社設立・普通株式を東京証券取引所市場第一部に上場
  • 明治ホールディングス 有価証券報告書(連結経営指標等)
    • [34]2010年3月期 連結売上高1兆1,066億円・営業利益288億円
    • [35]2010年3月期 連結従業員14,168人
    • [36]2011年3月期 連結売上高1兆1,110億円・営業利益289億円

2011年2月、明治ホールディングスは両社の資産管理に係る事業の一部を持株会社が承継する吸収分割契約[37]を結び、明治製菓のフード&ヘルスケア事業を明治乳業へ承継させる契約[38]も締結した。2011年4月、明治製菓はMeiji Seika ファルマへ、明治乳業は株式会社明治へ商号を変更[39]した。

  • 明治ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [37]2011年2月 資産管理に係る事業の一部を当社が承継する吸収分割契約を締結
    • [38]明治製菓のフード&ヘルスケア事業を明治乳業へ承継する吸収分割契約
    • [39]2011年4月 明治製菓がMeiji Seika ファルマへ・明治乳業が株式会社明治へ商号変更
  • 明治ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [33]2009年4月 当社設立・普通株式を東京証券取引所市場第一部に上場
    • [37]2011年2月 資産管理に係る事業の一部を当社が承継する吸収分割契約を締結
    • [38]明治製菓のフード&ヘルスケア事業を明治乳業へ承継する吸収分割契約
    • [39]2011年4月 明治製菓がMeiji Seika ファルマへ・明治乳業が株式会社明治へ商号変更
  • 明治ホールディングス 有価証券報告書(連結経営指標等)
    • [34]2010年3月期 連結売上高1兆1,066億円・営業利益288億円
    • [35]2010年3月期 連結従業員14,168人
    • [36]2011年3月期 連結売上高1兆1,110億円・営業利益289億円

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明治ホールディングスの沿革1906〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1906〜2005年同じ源流から分かれた菓子と乳業が別々に歩んだ時代明治製糖を台湾に創立
東京菓子を設立(明治製菓の前身)
極東煉乳を設立(明治乳業の前身)
明治製菓に商号変更
川崎工場を新設(明治製菓初の近代的菓子工場)
明治ミルクチョコレートを発売★★
明治乳業を発足★★
川崎工場が空襲で全焼・海外資産を喪失
ペニシリンの製造を開始★★
ストレプトマイシンの製造を開始
カナマイシンを発売
足柄工場(薬品原末)を開設
スナック菓子「カール」を発売
ボーデンとのアイスクリーム提携を開始
明治ブルガリアヨーグルトを発売
きのこの山を発売
菓子部門が初の大幅赤字を計上★★
大型新薬ホスホマイシンを発売
明治乳業がヘルスサイエンス研究所(MIH)を開設
果汁グミを発売
ボーデンとの20年間の提携を解消
2006〜2011年原料高と成熟市場のなかで持株会社を設け、会社の区分を解くまで明治製菓と明治乳業の経営統合、持株会社・明治ホールディングスの設立

2008年9月、明治製菓と明治乳業が経営統合を発表し、翌2009年4月に共同株式移転で持株会社・明治ホールディングスを設立、2011年4月には菓子・乳業という会社区分を解いて食品『明治』と医薬『Meiji Seika ファルマ』へ再編した経営判断。

詳細を読む
★★★
佐藤尚忠明治HDを設立・東京証券取引所一部に上場
佐藤尚忠佐藤尚忠氏が社長に就任
佐藤尚忠グループ再編完了・明治製菓がMeiji Seikaファルマに商号変更★★
2011〜2019年食品事業が牽引した収益改善と、医薬品への追加投資松尾正彦松尾正彦氏が社長に就任
松尾正彦Medreich Limitedを子会社化
川村和夫川村和夫氏が社長に就任
川村和夫KMバイオロジクスを子会社化★★
2020〜2026年原材料高とワクチンの誤算、体質改革への着手川村和夫原材料高・エネルギー高が本格的に業績を圧迫
川村和夫2024〜2026年度中期経営計画(26中期経営計画)を策定
川村和夫コスタイベ(レプリコンワクチン)の風評被害が顕在化★★
松田克也松田克也氏が社長に就任
出典・参考
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2022年度第2四半期)
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2022年度本決算)
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2023年度第1四半期)
  • 明治ホールディングス 統合報告書2023
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2023年度本決算)
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2024年度第2四半期)
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2024年度第3四半期)
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2024年度本決算)
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2025年度第2四半期)
  • 明治ホールディングス 決算説明会(2025年度第1四半期)
  • 明治ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 明治ホールディングス 有価証券報告書(連結経営指標等)
  • 明治ホールディングス 有価証券報告書(連結セグメント情報)
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)
  • 日本会社史総覧(1995年)
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号
  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
  • 明治ホールディングス 2023中期経営計画

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