雪印乳業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

値段だけは自ら決め、会社の形は外から決められた。1930年の金解禁と翌年の大不況でバターは1ポンド95銭から40銭へ落ち、他社が投げ売りへ走るなかで黒澤酉蔵氏は値下げに追従せず、空売りで相場を引き戻した。他社の在庫が尽きるのを待って売りに出た結果、1932年に相場は本来の水準へ回復し、国内バター生産量の75%を占めた。一方で会社の輪郭は自ら引けない。1941年3月には森永・明治・極東の道内乳業を統合した北海道興農公社が発足し、1948年2月には過度経済力集中排除法の指定を受けて裏金を拒んだまま指定の解除を求めた。三分割の指令を二分割へ戻した抵抗は集乳網の半分しか守れず、残る半分はクローバー乳業として8年間の競争相手になった。

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