北海道興農公社の設立は、戦時統制と国策のもとで進められた乳業の大同団結であった。狭い北海道で酪連と練乳三社が競い合う非効率を、国土計画に基づく総合開発の一環として一本化する——その枠組み自体は、上からの統制の産物であったと思われる。ただ、その中心にいた黒澤酉蔵氏は、営利を第一とせず、従業員を使用人と見ない協同の理念を公社に持ち込もうとした。国策が求めた効率と、酪農家が育てた協同の思想とが、一つの公社のなかで交わろうとしていた点に、この統合の両義性がうかがえる。
もっとも、異なる出自を一つに統合した公社が、そのままの姿で存続したわけではない。営利を旨とする練乳会社系と、産業組合の精神を継ぐ酪連系という二つの色合いは、戦後の経済秩序の再編のなかで改めて問い直されることになる。国策のもとで一体化された巨大な乳業組織は、やがて集中排除の対象として解体を迫られる場面を迎えた。発展的解消という言葉に託された協同の理念が、統制の時代を越えてどこまで受け継がれたのか——興農公社の発足は、その後を静かに問いかける出発点でもあったのだろう。