ニッポンビールからサッポロへの統一(1964年・サッポロビールの決断)

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論点 新商標をやめて旧商標に戻すか
サッポロビール:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
分割後の新商標の廃止と、継承した旧商標への商品名と社名の一本化

何をなぜ決めたか:分割後の新商標の廃止と、継承した旧商標への商品名と社名の一本化

概要

1964年1月、日本麦酒は社名をサッポロビール株式会社に改め、本店を目黒工場の構内から東京・銀座七丁目へ移転した。社長は1961年9月に就任した松山茂助氏である。これで、1957年2月に全国で復活発売した商品名「サッポロビール」と会社の名前が同じになった。

社名変更は、商標の切替えの最後の段階にあたる。日本麦酒は1949年の発足時に「サッポロ」「ヱビス」の両商標を受け継ぎながら、同年12月には新商標「ニッポンビール」を売り出していた。旧商標を眠らせた新会社が、15年かけて旧商標の名前に戻ったことになる。

背景

出発点は分割である。終戦時の大日本麦酒はビール市場の75%を占めていたが、1949年9月に過度経済力集中排除法と企業再建整備法の適用を受け、日本麦酒と朝日麦酒の2社に分かれた。日本麦酒はサッポロとエビス、朝日麦酒はアサヒとユニオンの商標を受け継いだ。地域ごとに別の銘柄を売る不便を嫌い、日本麦酒は全国共通の新商標を選んだ。

ところが、戦後の暮らしが落ち着くと消費者は昔の銘柄に戻った。のちに石田平八専務は、この時期を 『大衆は昔の銘柄を選択するようになり、まことに不利な戦いを余儀なくされた』 と認めている。日本麦酒の地盤は北海道から関東までで、関西では販売が弱かった。そのため1954年5月に大阪府茨木市で大阪工場の用地を取得し、1961年4月に竣工させた。

内容

切替えは一度に行わず、地盤の北海道から始めた。1956年3月、創業80周年の記念として北海道で「サッポロビール」を復活発売し、同じ年に黒ビールとスタウトもサッポロの名に替えた。1957年2月には全国で復活発売した。1958年4月には系列のビヤホールの店名と樽生ビールをサッポロに改め、1959年1月にはニッポン樽生ビールを全国で廃止した。

社名変更はその5年後になる。1964年1月の変更と同時に本店を銀座へ移転した。社名を変更する前年の1963年2月には朝日麦酒との合併問題が表に出たが、3月に白紙に戻している。日本麦酒は朝日麦酒との再統合ではなく、サッポロの名での単独経営を選んだとみられる。

含意

商標の切替えのあと、売上は大きく伸びた。単体売上高は1959年12月期の380億円から、社名を変更した1964年12月期に871億円、1969年12月期には1,246億円へ増えた。地盤の北海道では1965年のシェアが86%に達し、1965年のビールのシェアでは朝日麦酒がサッポロを下回った。

一方で、関西の弱さは残った。1971年度のビールのシェアは22%で、近畿地方では約0.8%にとどまった。1966年6月には朝日麦酒との合併問題が再び持ち上がり、8月に白紙に戻った。1971年12月には、もう1つの旧商標「ヱビスビール」を復活発売してシェアの引き上げを狙った。

いつ何が起きたか 12件
考察:記憶にある銘柄へ戻る決断
考察

考察:記憶にある銘柄へ戻る決断

なぜ旧商標に戻したのか。分割の直後、日本麦酒には全国で同じ名前を売る理屈があった。サッポロは北海道、エビスは東京の銘柄で、地域ごとに名前が違えば販売の手間が増える。しかし、消費者は昔の銘柄を選んだ。新商標を育てるには時間と広告費がかかる。旧商標なら、消費者がすでに名前を知っている。日本麦酒は、受け継いだ商標をもう一度使うほうが早いと判断したのだろう。社名変更は、その判断を会社の名前にまで広げたものである。

もっとも、サッポロという名前には地域の色が付いていた。北海道では強いが、関西では知られていない。商標を戻しても、関西の販売網の弱さは直らない。日本麦酒は大阪工場を建設して関西に生産拠点を開設したが、販売力は工場とは別に要る。社名をサッポロに揃えたことは、北海道と関東の地盤を固める一方で、関西の消費者には遠い会社の名前を掲げることでもあった。統一の効果は、地盤の内と外で違ったと考えられる。

結果は部分的な成功である。商標の切替えのあと、単体売上高は1959年12月期の380億円から1969年12月期の1,246億円へ3倍以上に伸び、1965年には朝日麦酒を上回った。北海道のシェアは86%に達した。一方で、1971年度の全国シェアは22%、近畿地方では約0.8%にとどまった。サッポロへの統一は分割後の不振を止めたが、関西の劣勢は解消できなかった。そのため、会社はもう1つの旧商標であるヱビスを1971年に復活させることになった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
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図と表

サッポロビール:単体売上高と当期純利益の推移

売上高(億円)当期純利益率(%)

社名を変更した1964年12月期の売上高は5年前の2.3倍の871億円

サッポロビール:単体売上高と当期純利益の推移
(億円) 売上高当期純利益 備考
1959年12月期 38012.1 6月期と12月期の半期を合算(以下同じ)。社名は日本麦酒。この年1月にニッポン樽生ビールを全国で廃止
1960年12月期 46216.5
1961年12月期 65320.9 4月に大阪工場が竣工
1962年12月期 69221.4
1963年12月期 76917.1
1964年12月期 87116.2 1月にサッポロビールへ社名変更
1965年12月期 88616.4
1966年12月期 91018.4
1967年12月期 1,08321.1
1968年12月期 1,16421.4
1969年12月期 1,24622.7
出所:会社年鑑 1961年版 / 会社年鑑 1962年版 / 会社年鑑 1963年版 / 会社年鑑 1964年版 / 会社年鑑 1965年版 / 会社年鑑 1966年版 / 会社年鑑 1968年版 / 会社年鑑 1969年版 / 会社年鑑 1970年版 / 会社年鑑 1972年版 / 会社年鑑 1973年版
出所:会社年鑑 1961年版 / 会社年鑑 1962年版 / 会社年鑑 1963年版 / 会社年鑑 1964年版 / 会社年鑑 1965年版 / 会社年鑑 1966年版 / 会社年鑑 1968年版 / 会社年鑑 1969年版 / 会社年鑑 1970年版 / 会社年鑑 1972年版 / 会社年鑑 1973年版
参考文献

参考文献

参考
  • サッポロビール『サッポロビール120年史 : Since 1876』年表
  • 証券アナリストジャーナル 1972年 第10巻第5号(サッポロビール専務・石田平八氏講演)
  • 会社年鑑 1961年版・1966年版・1970年版・1972年版(日本麦酒・サッポロビール 最近の業績)
  • 証券アナリストジャーナル 1966年 第4巻第6号(サッポロビール専務・野々山広三郎氏講演)
  • 日本企業要覧 1966年版(朝日麦酒・会社概況)
  • 会社年鑑 1961年版
  • 会社年鑑 1962年版
  • 会社年鑑 1963年版
  • 会社年鑑 1964年版
  • 会社年鑑 1965年版
  • 会社年鑑 1966年版
  • 会社年鑑 1968年版
  • 会社年鑑 1969年版
  • 会社年鑑 1970年版
  • 会社年鑑 1972年版
  • 会社年鑑 1973年版
  • サッポロビール 社史「サッポロビール120年史 : Since 1876(年表)」
  • サッポロホールディングス 有価証券報告書「第102期(2025年12月期)【沿革】」

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