松山茂助

サッポロビール・元取締役社長

(敬称略)

Matsuyama Mosuke

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生年月日
学歴 東北帝国大学農科大学農芸化学科
出自
出自
1915年に東北帝国大学農科大学農芸化学科を出て、1919年に日本麦酒鉱泉へ入社した。1932年4月に農学博士となり、1933年11月の大日本麦酒との合併で川口工場長として移り、1934年2月に目黒工場長、1940年11月に財団法人醸造科学研究所長を務めた。1945年1月に大日本麦酒の取締役、1949年9月の日本麦酒発足で常務取締役、1955年2月に専務取締役へ進んだ。工場と研究所を預かる醸造技術者の経歴である。
抜擢
1961年9月、柴田清氏の死去にともない取締役副社長から昇任した。同年2月には内多蔵人氏が営業部長兼宣伝部長、野々山広三郎氏が経理部長のまま常務取締役へ上がったところで、副社長は松山氏ひとりだった。1957年に復活したサッポロ商標が受け入れられ、単体売上高は1960年12月期の460億円から1961年12月期の652億円へ伸びていた。醸造の側から社長を出す交代となった。
施策
1963年4月にサッポロ・ジャイアンツを発売し、1964年1月には商号を日本麦酒からサッポロビールへ変更して社名を主力銘柄に一致させた。同年12月に英国ギネス社と日本での専売契約を結んでサッポロ・ギネスを設立し、1965年1月の増資で資本金は100億8000万円となる。単体売上高は1961年12月期の652億円から1966年12月期の908億円へ伸びたが、当期純利益は20.8億円から18.3億円へ落ちた。1967年2月に取締役会長へ退いた。
評価
執筆予定
就任前(FY60)652億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1967年版 生年・出身地・学歴・経歴
  • 日本企業要覧 1961年版 経歴

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