内多蔵人

サッポロビール・元取締役社長

(敬称略)

Uchita Kurauto

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生年月日
学歴 東京商科大学
出自
出自
1927年3月に東京商科大学を出て、同年4月に大日本麦酒へ入社した。1944年7月に麦酒配給統制の業務部長、1948年3月に酒類配給公団の業務第2局長を務め、1949年7月に大日本麦酒へ復帰した。1951年4月に日本麦酒の東京支店長、1953年9月に理事、1955年2月に取締役東京支店長委嘱、1961年2月に常務取締役営業部長兼宣伝部長委嘱、1967年2月に取締役副社長へ進んだ。統制と公団で酒の配給を扱った経験を持つ営業畑である。
抜擢
1971年2月、野々山広三郎氏の後任として取締役社長に就き、営業本部長を兼ねた。野々山氏は取締役会長へ移っている。二人は1961年2月に経理と営業で同時に常務取締役へ上がっており、経理の野々山氏が先に社長へ就いたのち、営業の内多氏が4年後に続いた。就任前年の1970年12月期は単体売上高1333億円・当期純利益21億円で、1968年12月に国内シェアが25%を割り込んだ後だった。
施策
差別化商品を並べる路線を引き継いだが、ファイブスター、ライト、1970年12月に復活したヱビスビールはいずれも麒麟麦酒に打撃を与えられず、1971年度のシェアは22%、近畿では約0.8%にとどまる。単体売上高は1970年12月期の1333億円から1972年12月期の1483億円へ伸びたものの、当期純利益は21億円から16億円へ落ちた。1973年2月に取締役会長へ移った。退任後の1977年、麒麟の独走を許した反省点が多いと語っている。
評価
執筆予定
就任前(FY69)1,333億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1967年版 生年・出身地・学歴・経歴
  • 日本企業要覧 1972年版 経歴
  • 人事興信録 第28版 上(人事興信所、1975年)う 読み

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