野々山広三郎
サッポロビール・元取締役社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部
出自 —
- 出自
- 1925年3月に東京帝国大学経済学部を出て、同年4月に大日本麦酒へ入社した。1946年5月に新居浜化学工業へ出向して事務部長を務め、1949年9月の日本麦酒発足で経理部長に就いた。1953年9月に理事、1957年2月に取締役経理部長委嘱、1961年2月に常務取締役経理部長委嘱、1963年2月に専務取締役へ進んだ。工場も支店も持たず、経理部長を14年にわたって預かった本社の管理畑である。
- 抜擢
- 1967年2月、松山茂助氏の後任として取締役社長に就任し、松山氏は取締役会長へ移った。同じ日に内多蔵人氏が取締役副社長、武井英夫氏が営業部長を担う専務取締役となっており、営業の二人を差し置いて経理畑の野々山氏が上がった。前年の1966年12月期は単体売上高908億円・当期純利益18.3億円で、売上が5年で4割増える間に利益は1961年12月期の20.8億円を下回った。1967年の業界シェアは25.01%である。
- 施策
- 1967年6月にサッポロファイブスターを発売し、1968年4月には名古屋工場の竣工、北関東工場の生産開始、仙台工場の新設着工を並べた。朝日麦酒との合併交渉は1963年春・1965年暮・1966年春と三度流産しており、自力の設備増設で伸ばす道を採る。「毎年シェアを1%ずつ上げ、創業100年の1976年までに30%以上」と語ったが、1968年12月に国内シェアは25%を割り込んだ。1971年2月に取締役会長へ退き、副社長の内多蔵人氏が後を継いだ。
- 評価
- 執筆予定
就任前(FY65)908億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1967年版 生年・出身地・学歴・経歴
- 日本企業要覧 1968年版 経歴