柴田清
サッポロビール・元取締役社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 東京帝国大学法科大学独法科
出自 —
- 出自
- 1912年に東京帝国大学法科大学独法科を出て、1916年に日本硝子工業へ入社した。同社は大日本麦酒に合併され、柴田氏は1931年に東京出張所長、1936年に取締役へ進んだ。麦酒の醸造や工場ではなく、合併で加わった硝子会社から入り、東京出張所と本社の役員を歩いた経歴である。日本硝子工業の合併は1920年4月にさかのぼる。
- 抜擢
- 1949年9月、過度経済力集中排除法と企業再建整備法により大日本麦酒が解散し、資本金1億円の日本麦酒が発足した。柴田氏は旧会社の取締役から初代社長に迎えられている。承継したのはサッポロ・ヱビス両商標と、札幌・川口・目黒・名古屋・門司の五工場で、資産は朝日麦酒と折半された。分割前の大日本麦酒は業界シェア75%を占めており、その半分を任せる人事となった。
- 施策
- 1949年12月、承継したサッポロ・ヱビスを使わず、新商標ニッポンビールで販売を始めた。地域別に多くの銘柄を持つ不自由さの解消をねらったが、消費者は戦前の銘柄を選び、不利な戦いになった。分割を免れた麒麟麦酒が伸び、1954年に順位が入れ替わる。1957年にサッポロ商標を復活させ、単体売上高は1955年12月期の244億円から1960年12月期の460億円へ伸びた。1961年9月、在任のまま死去し、副社長の松山茂助氏が後を継いだ。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1961年版 生年・出身地・学歴・経歴
- 日本企業要覧 1960年版 学歴