この設立で決まったのは、会社を設立したことよりも、どこで戦わないかであったと推察される。天ぷら油という日本の製油業の本流には、宣伝費を投じても入れなかった。その失敗のあとに残ったのが、南方系の固まる油と、その油を融点の違いで分ける技術という、当時は誰も主戦場と考えていなかった領域であった。最後発で資本も小さいという条件が、結果として大手と重ならない事業構成を選ばせたと思われる。強い会社の合理的な多角化ではなく、弱い立場での消去法から出発している点に、この判断の性格がうかがえる。
もっとも、消去法で選んだ領域に留まり続けたわけではない。分別で得た技術を、チョコレート用油脂から植物性クリーム、大豆たん白へと縦に伸ばしていく方針は、原料価格の変動を最終製品に近い側で吸収するという、商社出資の会社らしい採算の読み方に支えられていた。加工度を高めて価格の安定した領域まで進むという1950年代の考え方は、のちの業務用チョコレートの海外買収でも、プラントベースフードへの投資でも繰り返し現れる。人まねをしないという言葉が75年後の社長の口からも出てくることが、この最初の選択の重さを示しているといえる。